派遣から始まる未来
進学、非営利団体入職や起業の道を選んだ先輩隊員

島に移住し、木工作家として活動

楳田亨樹さん
楳田亨樹さん
ドミニカ共和国/木工/2016年度3次隊・広島県出身




移住先条件は「海の近くの小さなコミュニティ」
木工作家とみかん農家の兼業で心豊かに暮らす

ウッドバーニングの技法でお土産品を作る職人たち

ウッドバーニングの技法でお土産品を作る職人たち

「協力隊の任期を終える頃、帰国後に住む場所を探していました。一番の条件は、派遣国のドミニカ共和国のように海が近くにあること。ふと、亡き祖父母がいた山口県の通称・周防大島(屋代島)を思い出しました。小学生の頃は夏休み期間中、島にいて、毎日海へ行っていたんです」。のんびりした調子で語る楳田亨樹さんが島に住み始めたのは2019年の3月。ドミニカ共和国から帰国して2カ月後のことだった。

   楳田さんは高校卒業以来、一貫して木工の分野で働いてきた。家具デザインの専門学校で学び、地元の家具メーカーの営業職を経て、作り手になりたいと岐阜県の家具メーカーで修業した。協力隊では木工隊員として活動し、周防大島への移住を機に独立。現在は島特産のみかんの木材を使った作品などを制作し、セレクトショップや各種展示会、ネットショップで販売している。

「みかんは島の特産品の一つですが、後継者不足などの理由からみかん農家を辞める方もいます。その時は樹木を伐採しなければなりません。放置しておくと虫が湧いてしまうこともあるからです。栽培中の果樹も毎年枝を剪定するので、それらを単に燃やすだけでなく木材として使うことを考えました。みかんの木は強度があって木目も美しいので木工細工に向いています」

みかん農家との兼業は、本業の木工職人とのバランスを取るのが大変だという

みかん農家との兼業は、本業の木工職人とのバランスを取るのが大変だという

   周防大島は本土と橋でつながっており、広島市などからの観光客も多く、木工体験のワークショップなどは人気を博するかもしれない。ただ楳田さん自身、1ヘクタールほどの農地を借りてみかん農家としても働いているため、収穫期などは多忙を極め、新しいことを始める余裕がないのが現状だ。

「僕の農地は専業農家の3分の1程度の広さですが、それでも木工と農業の両方を回すのは大変です。労働時間の配分が下手なだけかもしれませんが。農地はもう少し減らして、木工に使う時間を増やそうかと思っています」

   試行錯誤が続いている楳田さんだが、その表情は明るい。協力隊での経験で「なんとかなる」とおおらかな心構えを持てるようになったからだ。

   ドミニカ共和国での協力隊活動が大成功だったわけではない。むしろ、好意と努力が空回りしてしまうことのほうが多かったと楳田さんは振り返る。

妻のミクさんとお子さんと

妻のミクさんとお子さんと

「ラ・リスタという人口1000人ぐらいの村で活動しました。家具作りで知られる村ですが、近年では安価な輸入品に押されています。僕はその状況の改善に取り組みました」

   村にある20ほどの工房を回り、日本企業が得意な5S(整理・整頓・清掃・清潔・躾)活動などを伝授した。しかし、木工以外の仕事にも従事して生活費を得ている男性たちは、売り上げに直結するわけではない5S活動に積極的に時間を割こうとはしなかった。

「できたことといえば、はんだごてで焦がして模様をつけるウッドバーニングという技法を教えること。珍しがられて、端材を使って土産品を作る講座は特に女性に喜ばれました」。制作した土産品は現地で販売した。売り上げは村の人たちに還元されたが、こうした取り組みを継続的に行う流れをつくることはできなかった。

   それでも現地での生活は楽しく、自然の中での「スローでリラックスした暮らし方」に心引かれた楳田さん。協力隊仲間である女性との出会いもあった。妻、ミクさんだ。

楳田さんの作品の中で最も小さい、地元のみかんの木(右)や桜の木(左)を使用したボールペン

楳田さんの作品の中で最も小さい、地元のみかんの木(右)や桜の木(左)を使用したボールペン

   千葉県出身の作業療法士であるミクさんは、周防大島での新生活に賛同。二人で移住した島で、島在住の高齢者向けに、通院や買い物の時などに送迎をしたり、家事代行をしたりする「暮らし支援サービス」を行っている。昨年は長女にも恵まれた。楳田さんが制作活動を行う木工の工房は、アルバイト先の養蜂家の作業場を間借りすることができた。2年前から住んでいる住宅は島の寺院の住職から購入した。「住職がゲストハウスとして使っていた家で、広い駐車スペースもあります。僕たち家族が住むには十分です」。

   高齢化が進む周防大島の人たちにとって、一家は希望の一つなのだろう。「ほとんどの家にみかんの木があるので、みかん農家をしていると話題が尽きません。島の人と同じ仕事をすると親しくなりやすいんです」。楳田さんは島の人々からの期待を感じつつ、身近にある素材に美しさを見いだして活用する活動を加速しようとしている。

楳田さんの歩み

1989年、広島県福山市生まれ。

『隣接する府中市は、府中家具という全国有数の収納家具の産地です。僕も高校卒業後に専門学校で家具デザインを学びました』

2000年、府中家具の会社に営業職として就職し、4年半勤める。その後、岐阜県の飛騨高山にある家具メーカーに作り手として転職。

『家具職人は2年間の期間限定の雇用でした。次はどうしようかと考えていた時、子どもの頃に母親から『将来、一度は海外で働いてみたら』と言われたことを思い出しました。一度は外を見ておきたいと、協力隊に応募しました』

2017年、JICA海外協力隊員としてドミニカ共和国のバラオナ県ラ・リスタ村へ。

『カウンターパートは木工組合の組合長です。ご夫婦で住んでいる家にホームステイさせてもらいました。小さな村なので最初は警戒されて遠巻きにされていましたが、子どもたちと遊んだり夜に飲み屋で飲んだり踊ったりしながらなじみました。心の幅が広がったように感じています』

2019年、周防大島に移住。

『周防大島は人口1万4000人ほどです。祖父母が長く住んでいたこともあり、歓迎されました。みかん栽培は未経験でしたが、県の柑きつ振興センターでアルバイトをさせてもらって果樹の世話を覚えました。娘ができた今、子どもが大きくなった時に暮らしたくなるような島にしたいと思っています』

【楳田さんのウェブサイト】

Text=大宮冬洋   Edit=ホシカワミナコ 写真提供=楳田亨樹さん

知られざるストーリー