※2023年12月22日現在
出典:外務省ホームページ
※2024年6月30日現在
出典:国際協力機構(JICA)
今年、日本との外交樹立70周年とODA50周年を迎えるヨルダン。
協力隊派遣も、1986年以来40年近い歴史がある。
お話を伺ったのは
PROFILE
(ヨルダン/障害児・者支援/2015度3次隊・宮城県)
JICAヨルダン事務所員。学生時代から国際協力に関心を持ち、インクルーシブな社会づくりに貢献したいと障害児教育や障害者の就労支援に3年半携わる。その後、協力隊に参加。シリア国境に近いパレスチナ難民キャンプの障害児施設で活動。帰国後はJICA東北に専門嘱託として勤務。2023年1月に職員として採用され、5年半ぶりにヨルダンに赴任した。
ヨルダンは、イスラム教の開祖ムハンマドの子孫とされるハーシム家を王家とする、立憲君主制の国家だ。長くオスマン帝国の一部だったが、第1次世界大戦後のイギリスの委任統治を経て、第2次世界大戦後の1946年に独立した。国土は北海道とほぼ同じ面積で、イラク、シリア、イスラエル、パレスチナといった紛争当時国・地域に囲まれているが、国民に対する王室の求心力が高く国内の治安は安定しており、中東地域の平和と安定に重要な役割を果たしている。
非産油国で、観光以外に外貨を獲得できる産業はほとんどない中、周辺地域からの難民を受け入れ、国際社会の支援も得ながら教育や保健・医療などの公共サービスを提供してきた。ただ、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)と国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)に登録されている難民の数はヨルダン人口の3.5人に1人に上り、難民問題の長期化が課題だ。
首都アンマンの歴史は紀元前にさかのぼり、現在でも多くの遺跡が残されている
ヨルダンと日本は1954年に国交を樹立し、今年で70周年。皇室と王室は長らく友好関係にあり、国民もアニメ・マンガや科学技術などを通して日本をよく知る親日国である。
日本政府は同国への積極的な協力を行い、この地域の安定を後押ししてきた。協力隊の派遣は視聴覚機器、写真、電気機器の3名の隊員から始まり、教育文化、保健衛生、障害者福祉、職業訓練に分野を拡大してきた。
07年にはパレスチナ難民支援のための派遣も始まり、100名近い隊員が派遣されてきた。シリア難民支援は13年からで、共に青少年の分野が中心。ヨルダンOVでJICAヨルダン事務所に勤務する井澤仁美さんは「難民キャンプでの体育・美術・音楽などの情操教育に多くの隊員が貢献してきました」と話す。ヨルダン事務所では今後に向け、職業訓練やコミュニティ開発隊員を増やし、難民の経済的自立を目標とした支援も強めていく方針だ。
アラビア文化にイスラム教、古くからの部族社会の影響があるため、男女の役割や価値観 一つ取ってもコミュニティや家族によって多様だ。さらには難民とそれを受け入れるコミュニティといったさまざまな社会構造がある中で悪戦苦闘しながら活動する協力隊員を、ヨルダン政府関係者は高く評価しているという。
「目の前の人々と苦楽を共にしようとする隊員に配属先の同僚たちが共感し、二人三脚で現場の質の向上に取り組むことが多いと感じます。そのため、技術以上に、隊員の活動が与える影響を重視して派遣継続を求めてきます」
そうした関係性が成り立つ根底には、相手に見返りを求めないヨルダン人特有の優しさもあると井澤さんは言う。
「私の場合は『アラビア語が得意ではないから手伝ってほしい』と周りの人に助けを求めました。面倒見の良い人が多く、自分のやりたいことや思いを真摯に伝えれば応えてくれます」
Text=工藤美和 写真提供=JICAヨルダン事務所