協力隊員時代、JICAの活動を紹介する原田さん
協力隊員としてのセネガルでの活動を経て、国際農業開発基金(※)でもセネガルに赴任し、さらにJICA専門家としてコートジボワールへ。2024年2月には国際協力プロジェクトの企画や実施、管理、調査および日本企業の海外進出支援を専門とする開発コンサルティング会社を設立――。原田拓朗さんは国際協力のプロとして着実なキャリアを重ねている。その秘訣は、自らの思いと現場経験を重視しながらも慎重にキャリアを設計したことだ。
早稲田大学在学中からフィリピンやインドでのボランティアをしていた原田さん。卒業後は大手メーカーの村田製作所に就職。国内外の工場現場でカイゼン活動などに取り組んだ。「利益追求のために働くのも楽しかったのですが、私が本当にやりたいことではないとの思いもありました」。
進路に悩んだ原田さんは、今までに一番楽しかった体験は何かと振り返り、学生時代の途上国での活動を思い出した。国際協力のプロとして生計を立てるにはどうすればいいのか。あれこれ調べた末、協力隊参加に思い至った。
国産米振興プロジェクトで生産者を訪問する様子。JICA専門家として、現場に出る機会を多く得た
「人々と共に暮らしながら現場で活動するのがとても魅力的でした。その中で国際協力は自分が本当にやりたい仕事なのかを判断できると思いましたし、帰国後にJPO(Junior Professional Officer)を受験する目標もありました」
JPOとは各国政府の費用負担を条件に国連などの国際機関が若手人材を受け入れる制度で、日本の外務省も人員を募集し、国際機関へ派遣している。応募資格の一つは、希望するポストに関連する分野で2年以上の職務経験を有すること。協力隊活動も該当する。
また、隊員としてフランス語圏のセネガルを志望したのにも原田さんなりの構想があった。
「すでに英語は話せたので、この機にフランス語を習得することができれば、国際協力のプロになった時に他者との差別化ポイントになると考えました」
コートジボワールのローカル市場での国産米振興キャンペーンの様子
実際には必要に迫られて現地語のウォロフ語ばかり上達したと笑う原田さん。手工業組合の職人の村でビジネスプラン講座などを開催したほか、裁縫職人に現地の布でシャツや浴衣を作ってもらい、日本で売ることを企画。材料費などの資金をクラウドファンディングで賄い、実現にこぎ着けた。
協力隊の2年間で、貧しい農村のような厳しい環境でも暮らして活動できるとの実感を得て、国際協力を生涯の仕事にする手応えもつかむことができた。「途上国で、何かをやりたくてもできない人に寄り添って一緒に取り組むことに面白みを強く感じました」。
任期後はパリ政治学院で1年間学び、フランス語に磨きをかけつつ開発経済で修士号を取得。JICAコートジボワール事務所で農業・水産分野の企画調査員(企画)を経験した後、念願のJPOに合格し、国際農業開発基金の一員としてセネガルに戻った。協力隊に参加してから8年後のことだ。
22年からは、JICA専門家としてコートジボワール事務所へ赴任し国産米振興事業に取り組んできた原田さん。今の専門は農業分野のプロジェクト管理で、栽培の専門家などと協力しつつ、流通網の構築やマーケティングに取り組むのが主な役割である。協力隊での経験で得た強みは、「現地の事情や背景を理解する重要性を知っていること」だという。
ECOWAS(西アフリカ諸国経済共同体)のワークショップ
「例えば、任地の人々は時間を守らないという問題。『時間』の定義を共有していないからだと私は思っています。時間を失うとか、無駄にするといった概念は我々が決めていることであって、他の文化の人は同じような見方はしていないかもしれません」
24年5月現在、こうして国際協力の現場で力を発揮してきたことに満足しつつ、6月でJICA専門家の業務を終える原田さんは、自らの会社を設立して働き方を変えようとしている。
「妻子の存在が大きいです。JICA事務所などとの労働契約ではなく、自分の会社でプロジェクトを受注すると、働き方の自由度が上がり、ライフワークバランスが取りやすくなるはずです」
7月には、2人目の子どもが生まれる予定だ。自分で会社を経営すれば、一定期間は育児に集中することもできる。仕事や家庭の「現場」を直視して柔軟に対応し、国際協力への志を貫き続けている。
※国際農業開発基金…国連機関の一つで、低金利の貸付金と補助金により、開発途上国のへき地などでの農業開発を支援する組織。略称はIFAD。
▶1986年、静岡県生まれ、親の転勤に伴い日本各地で幼少期を過ごす。
▶2005年、早稲田大学政治経済学部入学。
『大学でNGOを立ち上げ、自分たちで資金を集めてフィリピンでセメントから作ったコンクリートで道路を造ったり、インドで家屋建設に関わったりしました』
▶2010年、村田製作所入社。
『福井県の工場などでカイゼンに取り組みました。現場で働くことの大切さを学んだ貴重な体験です』
▶2014年、協力隊員としてセネガルへ赴任。
▶2017年2月~7月、JICA無償協力プロジェクトに携わりコンゴ民主共和国へ赴任。
『職業訓練校を建てるプロジェクトを現地で立ち上げる仕事です。大学院の学費を稼ぎつつ、フランス語を磨くことができました』
▶2017年9月~、パリ政治学院で1年間学び、修士号取得。
▶2018年、企画調査員(企画)としてJICAコートジボワール事務所に赴任。
『農業と水産業に関するプロジェクト管理に関わる中で、アフリカの産業を盛り上げる上で農業が持つポテンシャルが高いと感じ、自分のテーマにしようと思い定めました』
▶2020年、国際農業開発基金の職員としてセネガルへ赴任。担当エリアはセネガル・モーリタニア・ギニアビサウ。
『現地政府と共に農村開発プログラム(畜産、養鶏、園芸など)の企画・実施の支援を行いましたが、私は後方でプロジェクト管理をする立場で、現場に出られず物足りなさもありました』
▶2022年、JICA専門家としてコートジボワールへ赴任。
『JICA勤務時代の上司から「もっと現場に近いところで働かないか」との連絡があり、応募しました』
▶2024年、開発コンサルティング会社「Green Field Advisory」を設立。
Text=大宮冬洋 写真提供=原田拓朗さん