派遣国の横顔   ~知っていますか?
派遣地域の歴史とこれから[ボツワナ]

新たな学びを取り入れ
人々が平等に豊かになれる社会を目指して

互いに思いやり、支え合って生きるボツワナの人々。支援を通じて体験した国の魅力を紹介します。

稲森岳央さん
稲森岳央さん
村落開発普及員/1998年度1次隊・東京都出身

PROFILE
普通の人と違うことや、世の中のプラスになることがしたいと協力隊を目指す。海外で農業普及ができるスキルを身につけるため農業大学に進学。大学院時代にはタイの農村調査も行い、卒業後は農業高校の教員を務めた。協力隊はタイへの派遣を希望していたが、技術顧問の勧めで第2希望のボツワナへ。任期満了後は、JICAジュニア専門員や開発コンサルタントとして、ガーナや南スーダン、カメルーンなどで業務に当たった。現在は岡山大学グローバル人材育成院准教授。学生には「第2希望の選択が、良い結果につながることもある」と話している。

     
佐藤省吾さん
佐藤省吾さん
コンピュータ技術/2015年度1次隊・広島県出身

PROFILE
高校時代から海外への憧れがあったが、世界とつながることができるコンピュータやネットにも興味を持ち、ネット関連のベンチャー企業で13年ほど働いてネットワークやサーバーの管理に関する技術を磨いた。会社の視察で訪れたカンボジアでネット環境が整っていることを知り、途上国でもコンピュータやネットワーク分野で発展に貢献できるのではないかと協力隊参加を決意。現職参加でボツワナに赴任した。

     
阪上鈴華さん
阪上鈴華さん
環境教育/2022年度1次隊・大阪府出身

PROFILE
大学卒業後に商社で1年働き、退職して大阪府内の中学校で英語教員を務め、現職教員特別参加制度で協力隊に参加。コロナ禍で生徒と外国人との交流事業がなくなり、自分の目を通して海外を伝えたいという思いと、教諭だった父自身がコンピュータ技術の隊員として協力隊参加を希望しながら他界し、「父が隊員として見たかった世界を知りたい」との思いもあり応募を決断した。自分の経験を広げるため、教員職種ではなく環境教育を選び、複数の学校を巡回できる要請を選択した。

     
吉田晃子さん
吉田晃子さん
コミュニティ開発/2022年度2次隊・東京都出身

PROFILE
16年間勤めた自動車部品会社を休職し、現職参加で活動中。会社では営業や受発注管理を通じてカイゼン活動を進めていた。趣味でベトナムやカンボジアなど20カ国以上を旅行する中で、人と人の距離の近さに魅力を感じ、海外でカイゼンの手法を伝えて発展に貢献したいと応募した。コロナ禍による約2年間の待機期間中には、活動に役立てようとせっけん作りやパン作りを身につけた。当初のタンザニアから任国変更の上、ボツワナに赴任した。

障害者を差別せず共に学び合う
助け合って生きていく姿に学ぶ

キャンプヒルの施設で子どもたちと生活を共にしながら支援する稲森さん

キャンプヒルの施設で子どもたちと生活を共にしながら支援する稲森さん

   稲森岳央さんは1998年、首都ハボローネからバスで約1時間のオッツェ村にある自立支援施設「キャンプヒル・コミュニティートラスト」に赴任した。障害のある人と健常者が共同生活を行う中で、お互いに学び合うキャンプヒル運動(※)の実践施設として設立され、NGOコミュニティートラストによって初等教育や職業訓練が実施されている。

   稲森さんへの要請は、高校生くらいから20代くらいまでの障害のある青少年に農業技術を教えることだった。施設の農場では野菜が栽培されていて、稲森さんはオレンジの挿し木の方法などを教えたほか、牛の飼育や養鶏、養蜂を担うこともあった。

   施設の資金は十分でなく、収穫したオレンジや野菜などを販売所で売って運営資金の足しにしていたが、「大きな収入にはなっていませんでした」。施設の子どもたちとスタッフは自分たちで農作業ができており、稲森さんは基本的にはその様子を見守っていた。

   工事業者を雇う余裕もなかったためか、稲森さんはやがて施設メンテナンスの仕事を頼まれるようになった。「大学時代の配管工のアルバイト経験が役に立ちました。協力隊員で誰よりもコンクリートを練ったという自信はあります」と稲森さんは苦笑する。

   資金と支援者を増やすため、施設にカフェが造られることになった際、施設の子どもや子連れ客のため、稲森さんが滑り台やブランコを造った。それは20年以上たった今も使われている。

   活動するうち、稲森さんは障害者が比較的短命であることに気づいた。

栽培して収穫したオレンジを販売する施設の子どもたち

栽培して収穫したオレンジを販売する施設の子どもたち

「自分の活動に意味があるのか悩んだ時期もありましたが、せっかくこの世に生を受けた彼らに、楽しかったという思い出をつくることが自分のミッションだと気持ちを入れ替えました」

   感心したことの一つに、子どもたちが助け合って生活していることがあった。「自分で用を足すことができない車椅子の子もいましたが、周囲の子どもたちが、当たり前のようにトイレやシャワーをサポートしていました」。

   施設内には、家具作りを行う職業訓練校があり、車椅子でバスに乗り、自宅から通ってくる年配の男性がいた。「道路もバスも、バリアフリー対応ではありませんでしたが、周囲の人たちがバスの乗り降りを手伝っていました。バリアフリーの設備がなくても、助け合うことができれば、問題なく暮らせるのだと思いました」。

   稲森さんが障害者への認識を変えるような出来事もあった。

「施設内の中学校から移ってきた片手の不自由な女子がいました。私は農作業の何ができるか見守っていたのですが、彼女は自発的に片手でクワを持ち、畑を耕し始めました。障害があるからこの作業は難しいと勝手に限界をつくってはいけない、機会を奪ってはいけない、と反省しました」

   障害者を含む助け合いの精神など、ボツワナの人々との生活で多くの気づきを得た稲森さんは、現在も大学で異文化理解について学生に伝えている。

※キャンプヒル運動…19世紀末から20世紀初頭にかけて活動した哲学者・教育者のルドルフ・シュタイナーが提唱した「人智学」に基づく社会活動。学習障害や心理面に葛藤を持つ成人や児童による共同生活を行う。2010年時点で世界21カ国、119カ所で行われている。


コンピュータ技術は経験が大事
同僚や学生に自信を与えた活動

短大の生徒たちに教える佐藤さん。「先生方が教室にあまりいなかったため、私が生徒たちに指導する機会が多く、知識や技術を伝えられました」

短大の生徒たちに教える佐藤さん。「先生方が教室にあまりいなかったため、私が生徒たちに指導する機会が多く、知識や技術を伝えられました」

   コンピュータ技術隊員の佐藤省吾さんは、2015年にハボローネから約200キロ離れたジュワネンの町にある技術短期大学に配属された。同短大には、情報通信技術(ICT)、ビジネス、自動車、服飾などのコースがあり、佐藤さんはICT部門に配属された。学内ネットワークの維持管理などを行うIT担当職員の技術向上を図りながら、メンテナンスなどを行った。

   学内のIT関係は、この職員が一人で担当していた。彼女は、パソコンの使用方法や修理など、基本的な知識は持っていた。「しかし、ネットワークやサーバーのトラブルなどには対処した経験が少なく、自信もなさそうでした」。

   問題は、IT担当職員と共に作業する機会がほとんどないことだった。時間どおりに出勤するが、気づくと姿が見えなくなっている。教員も学生に課題を出した後は教室を出ていく。そのため、学生たちが職員室にいる佐藤さんに操作などを聞きに来ることが増え、佐藤さんは学生たちにワードやエクセルの操作方法、メンテナンス作業に必要なLANケーブルのつなぎ方などを教えた。

   職員との協働ができないことをICT部門長に相談したところ、担当職員の女性は妊娠していて病院での受診のため出かけていたことが判明。他の教員や職員も、病院の受診、公共料金の支払いなどで学外に出ていた。それらの窓口は平日の日中だけだからだ。

生徒たちにLANケーブルのつなぎ方を教える佐藤さん

生徒たちにLANケーブルのつなぎ方を教える佐藤さん

   そんな事情も踏まえて、2年目の活動計画を想定していたが、その年は新入生の受け入れが停止された。ボツワナ独立50周年の節目の省庁再編に伴い、教育省も改名されるなど混乱の中、短大の講義要項の期限が切れ、それで授業を行ったとしても卒業と認められない事態になったためだ。残っていた2年生が6月に卒業すると、短大にはほとんど誰もいなくなり、佐藤さんは途方に暮れた。

   それに加え、佐藤さんが常々残念に思っていたことは、職員も学生も、実作業の経験が圧倒的に少ないことだった。そのため、知識はあるのに、実作業の経験がないから自信がつかない。

   そんな時、IT担当職員から、町内の小学校のコンピュータトラブルの対処に同行してほしいと声がかかった。

「小学校でのメンテナンスは、現場経験を通じて自信をつけるにはもってこいの機会だと思い、職員のほか、ICT部門のインターンも連れて小学校に赴きました」

   小・中学校へ赴いてのメンテナンスは佐藤さんとIT担当職員との新たな仕事として継続的に行った。

   任期満了が近づいた頃、緊急にパソコンのウイルス対策をしなければならない事態が発生した。

「担当職員は『自分でやってみる』と宣言し、驚くほど率先して作業を進めました。無事に作業をやり遂げたことで『すごく自信がつきました』とも言ってくれて、成長を感じました」

   学生たちが自分たちだけで、町の図書館の無線システムを修理したこともあった。「私は現場に行かず、わからない部分を電話で指示しただけです。学生たちとの交流が多く、その中でLANケーブルの知識も教えました。学生たちは身近に私の作業の様子を見る中で、自分たちにもできそうだと勇気を持ってくれたのかと思います」。


自ら巡回先の学校を開拓して
5千人以上の生徒に環境教育

阪上さんは、子どもたちへの環境教育と同時に、挙手や話し合いなど、生徒が積極的に参加する授業を行った

阪上さんは、子どもたちへの環境教育と同時に、挙手や話し合いなど、生徒が積極的に参加する授業を行った

   阪上鈴華さんは環境教育隊員として2022年に着任した。配属先は、ハボローネから約50キロの位置にあるクウェネン県庁の公衆衛生部。しかし、環境教育の担当者がいないどころか、環境教育がどのようなものかを理解している人もいなかった。その上、最初の約1カ月間は廃棄物処理の担当と誤解され埋め立て地の担当課に配属されたため、自分は学校で環境教育をするために来たと周囲に伝え、環境衛生担当課に変更してもらった。

   その後も学校巡回に連れて行ってくれる人はいなかったため、阪上さんは歩いて行ける範囲の学校を対象に、授業のアポ取りから一人で開拓し始めた。

   ボツワナでは、ごみの分別収集はほとんど行われていなかったため、阪上さんは、なぜごみのポイ捨てがいけないのか、なぜ分別が必要かを説明することに力を入れた。捨てられたごみが分解されるまでの期間を、バナナの皮、新聞紙、缶、ペットボトルそれぞれについてどれくらいの期間が必要かを具体的に説明した。小学生が理解できるように、絵カードを使い、英語に加えてツワナ語でも説明した。

「あなたが今、空き缶を捨てたら、あなたが大人になっても、そのまま残っているのよ、と話すと、子どもたちは驚いて、納得しました」

   ボツワナでは、教員が一方的に説明する授業が多かったが、「授業中に手を挙げて意見を言ったり、生徒たち同士で議論したりする形式も取り入れました。子どもたちには新鮮だったと思います」。

   担任の教員たちは、自分が教えなくてもいいという状況になると、スマートフォンを操作して大きな音で音楽をかけたり、教室を出て行ったりしてしまった。「そこで、私が授業しているところを写真や動画で撮影してほしいと伝え、先生にも役割を持って授業に参加してもらうようにしました」。

ボツワナのダンスの魅力に引きつけられた阪上さんは、ダンスグループに入って現地のダンスを学び、グループでイベントや結婚式で踊った

ボツワナのダンスの魅力に引きつけられた阪上さんは、ダンスグループに入って現地のダンスを学び、グループでイベントや結婚式で踊った

   各校とも1学年3~4クラスあり、午前と午後で生徒が入れ替わる2部制の学校も多い。1日に4~6コマの授業をしても終わらないので、また別の日にも訪れて全クラスに教えるようにした。このようにして計18校を回った結果、阪上さんが教えた生徒は約5,500人になった。

   最初は緊張していた子どもたちも、別の学年を教えるために再び学校を訪れた時には、阪上さんの周りに集まり、教えた「こんにちは」という日本語の挨拶で話しかけてきた。町を歩いている時も、授業を受けた子どもから、「ごみのこと教えてくれたね。私のこと覚えている?」と話しかけられることもあった。

   ボツワナの人と仕事をする上で少し戸惑ったのは、相談や提案をすると、とりあえず、「イエス」の返事が返ってくること。「イエスと言ってくれるけど、実現するかどうかは、別問題なんです。争うことが嫌いなのだと思います。ツワナ語で平和を意味する『カギソ』という名前の人がいたり、国歌の歌詞にもカギソが入っています。話し合いも大切にするので、会議なども長かったです」。

   阪上さんは「子どもたちが大人になった時、分別収集やリサイクルが実現していてほしい」との思いを持って活動を締めくくった。


ピザ店の立ち上げに向け窯を手作り
協力者が増え物作りの喜びを実感

本格的なピザ窯を造る吉田さん。製作には多くの地元の人々が協力してくれた

本格的なピザ窯を造る吉田さん。製作には多くの地元の人々が協力してくれた

   地域で小規模ビジネスを行っている住民グループの支援に取り組んでいるのが、2022年11月に着任したコミュニティ開発隊員の吉田晃子さんだ。

   配属先はマハラペ県庁。同県はハボローネと第2の都市フランシスタウンを結ぶ道路の中間に位置する町。ボツワナは都市部と村落部での経済格差が大きいため、地方の活性化が課題となっている。同県庁でも住民の生活改善を目標に、グループの商品開発や販路拡大をサポートできる隊員を要請した。しかし、赴任当初の吉田さんは意外な現実に直面した。

「数年前に作成されたリストには、約100グループが載っていました。でも、実際に調査した結果、活動を継続しているグループはほとんどありませんでした」

   吉田さんは、支援対象のグループを自分で探そうと、配属された地域開発課だけでなく、農業管轄など他部署にも顔を出して広く職員とつながり、職員に紹介してもらった住民に声をかけていった。

   新たなグループ支援の一つは、蜂が巣を固める時に出すビー・ワックス(蜜蝋)の利用だ。「養蜂に取り組んでいる人たちに集まってもらった時、ビーワックスは捨てていると聞いて、それでハンドクリームやリップクリームを作れないかと考えました」

   県庁が月に1回開催している「マーケットデイ」に参加していた食器洗剤を販売しているグループに、「一緒にせっけんを作って売ってみませんか」と声をかけた。ボツワナでは洗髪も含めてせっけんが重宝されており、手作りのせっけんは価格の安さからよく売れるという。

   ビーワックスのハンドクリーム、手作りせっけん共に、商品化を進め、今年8月に首都で行われたフェアに出展することを目標に支援を行っている。

ピザ店オープンを目指し、ピザ作りのワークショップを行う住民たちと吉田さん

ピザ店オープンを目指し、ピザ作りのワークショップを行う住民たちと吉田さん

   現在、吉田さんが最も力を入れているのが、ピザ店の立ち上げだ。

「住民の中に『ピザを作って売りたい』という人が何人もいました。そこで、ピザ店開店に向けたワークショップを行いました。ところが、全然動きだしてくれないのです。理由を聞いてみると、理由の一つがガスオーブンを購入したいが高いからできないということでした。そこで、やるなら本格的なピザ窯を造ろうと考えました」

   開店する場所は県庁管轄の大きな市民ホールのスペースを借り、ピザ窯はすぐ裏の屋外に設置する方針にした。

「皆で相談して、身近で手に入る材料で造ることにしました。廃材置き場に行き、バス停の屋根や捨てられた窓枠、看板など使えそうなものを入手。窯の煙突にはバス停の支柱がぴったりでした。壁などに使う砂は、県庁の道路関係の部署から余っている砂をもらいました。買ったのはセメントとブロックだけで、材料費は2万円以下に収まりました」

   吉田さんは当初、もし誰も手伝ってくれなくても、自分で窯を造ろうと考えていた。「ところが、実際に造り始めると、他の人たちの協力が必要になりました。溶接技術がある人が必要だったし、壁を造るのには地元の大工さんが協力してくれました。どんどん協力者が増えて、いろいろなアイデアが出ました。煙突の位置、セメントと砂の配合のアドバイスなど。助け合いのうねりが生まれ、皆と一緒に取り組む物作りの楽しさ、喜びを感じました」。

   ピザ窯として造っているが、「パンを作りたい」という声も上がった。

「ピザでもパンでもいいので、安価な地元の農産物に付加価値をつけて売る体験をしてもらうことが目的です。お店でも、イベントへの出展でも、材料費や収益などの計算もできるようになって、成功体験につなげてほしい。それが残された数カ月で実現したい目標です」


活動の舞台裏

ボツワナで結婚するのは大変!
屋外のテントで行われた結婚披露宴の様子

屋外のテントで行われた結婚披露宴の様子

   ボツワナでは、結婚する際、男性から女性に牛を贈る風習がある。相場は8頭前後で、牛が用意できず結婚できない人もいるという。コンピュータ技術隊員の佐藤省吾さんは、ボツワナの男性と話していて、自分に娘がいると言うと、「あなたの娘さんは牛何頭分だい?」と聞かれて面食らったそうだ。

   結婚式もハードルが高い。親族や招待者だけでなく、地域の人など誰でも参加してよいのだ。

   佐藤さんは、派遣中に何回も結婚式に出席した。2時間あまり続く親族紹介が終わると、いよいよ祝いの料理へ。前日から準備が進められた牛肉の料理やサラダなど、普段はなかなか食べられないようなものが盛大に振る舞われる。この料理を楽しみに、人々が集まり、一緒に歌を歌ったり、アフリカンダンスを楽しんだりする。

   結婚式に100人くらい集まることは普通で、多い時には200人になることも。招待状も、会費や祝儀も不要で、費用はすべて結婚する人の負担。1回で100万円かかることもある。そのため、「結婚式を挙げるのは、30代から50代で経済的に余裕のある人が多かったです」(佐藤さん)。

活動の舞台裏

ピースジョブとイペレヘン
吉田さんはピザ窯を造る際に、一部の作業をイペレヘンを利用して手伝ってもらった

吉田さんはピザ窯を造る際に、一部の作業をイペレヘンを利用して手伝ってもらった

   ボツワナは人口が少ないことを主な原因として、若者の就労機会が乏しいことが大きな問題となっている。そんな状況の中、コミュニティ開発隊員として活動中の吉田晃子さんが感心したのが、「ピースジョブ」の習慣だ。

   ピースジョブは、ボツワナで一般的に行われているアルバイトのようもので、家事や子守り、洗車、大工仕事などを対価を支払って依頼する。契約は個人間だが金額や内容はだいたい決まっている。誰にでも頼めて、友人や同僚にも気軽に頼んでいる。

   吉田さんは最近、現地の人に「お金を貸して」と言われると、「じゃあ、ピースジョブで私の靴を洗ってくれる?」などと聞くようにしている。貸し借りのトラブルもなくて気楽だという。

   また、ボツワナ政府が貧困対策に行っている「イペレヘン」は、地域清掃の仕事を住民に委託する事業で、平等に仕事を配分できるように、請負人の選定はくじ引きで行なわれる。月に6,000円くらいの収入が得られる。

   吉田さんは配属先を通じて依頼し、ピザ窯造りにイペレヘンを利用した。レンガや大きな材料を運んでもらったが、「仕事を請け負う人たちが若い人ばかりだったので驚きました」。


Text=三澤一孔 写真提供=ご協力いただいた各位

知られざるストーリー