帰国後、内定までの就職活動の方法を聞きました。
就職先:大阪市の公立中学校
中学生の頃から体育教諭になることが夢だった浦田悠理子さん。カンボジアで教師をしている日本人をテレビで見たのがきっかけで、途上国の教育に携わりたいと思うようになり、大学卒業後に協力隊に参加した。
「日本の教育現場を経験してから参加することも考えましたが、学校以外の世界を知ってから教諭になったほうが子どもたちに伝えられることが多いと思い、在学中に応募しました」
モンゴルでは、主に小学生の体育の授業を担当したが、授業はほぼ自由時間という受け止められ方で、浦田さんの指示を聞いてくれない子もいた。先生たちからは「モンゴルの子どもはルールを守らないから教えても無理」と言われ、積極的な協力姿勢はあまり期待できなかった。浦田さんは、「子どもたちは絶対にできる、やっていないだけ。楽しい授業をして、しっかり教えれば、ルールを守って体育に取り組める」と先生たちに言い続けた。
1年目に運動会を開催すると、子どもたちの成長にモンゴル人の同僚教員も関心を持つようになり、浦田さんと一緒に体育の授業を行い、浦田さんからのフィードバックを聞いてくれる関係になった。
任期中、ケガで一時帰国をした際には欧米のスポーツ教育学も学んだ。帰国後は広島大学大学院人間社会科学研究科に進学。スポーツ教育や日本の体育教育について知識を深めたいと思ったからだ。2021年度から始まった「JICA海外協力隊帰国隊員奨学金事業」を活用することができた。
現在、中学校の体育教諭として、子どもたちと向き合う毎日を送っている。協力隊経験者の中には国際関係の仕事に就く人も多く、なぜ教師を選んだのか聞かれることもあるという。
「私一人がボランティアに行っても小さな力ですが、私の経験を聞くことで国際協力に興味を持つ子どもが増えていったら、それは未来に向けて大きな力になるはずです」
教育者として子どもたちに海外での経験を伝えること。それが浦田さんのやりがいになっている。
浦田さんは子どもたちが楽しみながら運動ができるように授業を工夫した。モンゴルでは寒気のため1年の半分ほどは外に出ず体育館で体育の授業を行う
生徒数約1,800人の小中高一貫の学校に体育隊員として配属され、主に小学生と中学生、特別支援学級の生徒の授業を担当しました。しかし、体育の授業は自由時間のようなもので、教員はそれを放置しているという状況で、私が赴任すると、教員は私に任せて授業に出てこないこともしばしばでした。そこで、運動会を開催するという目標を立て、それに向けて運動会の種目を取り入れながら授業を進めました。協調性を育むため、種目には二人三脚、ボール運び、台風の目など、2人以上で行う競技を選びました。運動会の後に同僚の教員にアンケートを取ったところ、「子どもたちに成長を感じた」という回答があり、その後は同僚の体育教員も積極的に関わってくれるようになりました。2年目は同僚に運動会の種目を考えてもらおうと計画していたのですが、コロナ禍により緊急帰国となってしまったのが残念です。
大学院進学の前年の20年12月から、大阪市の中学校で体育の非常勤講師を務めました。大学院入学後もリモート授業を受けながら大阪で非常勤講師を続け、21年9月に広島に引っ越しました。広島では22年1月から約1年間、不登校の中高生が通うフリースクールでも体育を中心に自主勉強をサポート。23年4月に大阪に戻り、再びリモートで授業を受けながら大阪府の高校で非常勤講師として働きました。大学院での研究者の立場と現場の教員の立場を行き来できたことは、理論と実践が体験でき、とても有益なことでした。
帰国後に日本の体育教育を学び深めたい気持ちが高まりました。同時に、体育教諭の経験を生かして、将来は国際機関で活躍したいという夢もあり、体育教育と国際協力の両方を学べる広島大学大学院へ21年4月に進学しました。担当教授は協力隊の技術補完研修で教わった齊藤一彦先生で、スポーツ教育学とスポーツ国際開発学を研究されています。入学後に「JICA海外協力隊帰国隊員奨学金事業」(※)を知り、給付を受けられたので金銭面で助かりました。
大阪市の教員採用テストを受けました。大学院に在籍しながら受験をしたのは、講師をしている間は1次の筆記が免除され、採用試験に合格して大学院に進学した場合は、2年以内であれば次の採用試験は1次の筆記と2次の筆記・実技が免除になり、2次の面接のみでよいという大阪市の特例があったためです。
面接では、協力隊、非常勤講師、大学院、フリースクールのスタッフと経験した中で、一番印象的なことは何かを聞かれました。特にフリースクールでの経験に関心があったようで、不登校の子どもへの指導方法を聞かれました。私は学校がすべてと思っていないので、その子が居場所を見つけられるように手伝いたいと答えたと記憶しています。
大学院では、日本の体育教育やコーチングの仕方、スポーツの持つ可能性について深く考えることができました。学会発表や論文投稿、海外調査などさまざまな経験ができたことで、論理的思考力や批判的思考力、資料を簡潔にまとめる力がつきました。なによりも広く人脈ができたことが大きな財産となりました。
大学院で行った研究成果をマレーシアでの国際学会にて、英語のポスター発表で報告した浦田さん。「さまざまな国の人たちと交流して楽しく過ごしました」
大阪市の中学校で、週に18時間、保健体育を担当しています。生徒たちに体育を嫌いになってほしくないので、授業では楽しいと思える体験、仲間と関わり合う機会をつくることを意識しています。運動能力は人それぞれ違うため、例えば50メートル走であれば、タイムではなくスタートや走り方が正しくできているか、倒立であれば、補助倒立、壁倒立など、それぞれのレベルに合わせて達成度を評価し、各自が達成感を得られることを大切にしています。また保健の授業では、日本とアフリカの平均寿命から医療を考えるなど、国際関係を絡める工夫もしています。
帰国後に学校などで講演を行うと、進路について助言を求められることがありますが、私はいつも、迷った時には自分がワクワクするほう、可能性がより広がるほうを選んではどうかと伝えています。私自身、進路に迷った時にはそうしてきました。大切なのは、決めたのは自分だと腹をくくり、ひたすら頑張ること。頑張った結果、思いどおりにいかずに失敗したとしたら、別の方法を考えればいいのです。やり直しはいつでもできます。
※「 JICA海外協力隊帰国隊員奨学金事業」については、PDF版の本誌5ページに詳しい内容が掲載されています。
Text=油科真弓 写真提供=浦田悠理子さん