遊牧民文化やソ連時代の建築物が残り、異文化が感じられる一方、
人々の外見は日本人に似ていて親近感を持てる国。
面積 | 19万8,500平方キロメートル(日本の約半分) |
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人口 | 670万人(2023年、国連人口基金) |
首都 | ビシュケク |
民族 | キルギス系(73.8%)、ウズベク系(14.8%)、ロシア系(5.1%)、ドゥンガン系(1.1%)、ウイグル系(0.9%)、タジク系(0.9%)、その他タタール系、ウクライナ系など (2021年、キルギス共和国統計委員会) |
言語 | キルギス語が国語(ロシア語は公用語) |
宗教 | 主としてイスラム教スンニ派 |
※2023年12月21日現在
出典:外務省ホームページ
派遣取極締結日:1998年7月15日
派遣取極締結地:ビシュケク
派遣開始:2000年8月
派遣隊員累計:314人
※2024年7月31日現在
出典:国際協力機構(JICA)
ケニア/村落開発普及員/2013年度1次隊・島根県出身
JICAキルギス事務所・企画調査員(ボランティア事業)。東日本大震災の際に受けた海外からの支援に恩返しがしたいと協力隊に応募。警察を退職して2013年、ケニアに赴任。15年に帰国してからは、二本松青年海外協力隊訓練所勤務、ベトナム事務所での企画調査員(ボランティア事業)を経て、22年からキルギス事務所に勤務。
キルギスへの協力隊派遣は2000年に4名の派遣から始まりました。当初はスポーツ、日本語教育、IT技術分野が中心で、その後、村落開発や障害者支援、観光にも分野を拡大し、これまで50種類以上の職種で累計300名以上が活躍しています。
14年に中低所得国の仲間入りをしたものの、特に地方を中心に貧困から抜け出せておらず、国際支援やロシアへの出稼ぎ労働者からの収入に頼っています。JICAは06年から、特産品を作って地域振興を図る「一村一品運動」の展開を支援し、22年には国家プロジェクトに採択されるまでになりました。協力隊員も連携し、各地の生産者団体で活動してきた歴史があります。
近年は、教育・青少年育成分野の隊員が半数近くを占め、小学校教育や英語教育に携わっています。特にグローバル化の進展を受け、キルギス政府が教育の国際化・多言語化を進める中、隊員は日本での経験を生かして英語教員の指導技術向上や生徒への直接指導を行っています。
ソ連時代には首都を中心にインフラ整備が進みましたが、地方のインフラ整備はまだまだ不十分です。特に教育や社会福祉は立ち遅れており、教育系以外にも、産業人材の育成支援や保健医療・福祉分野への支援に関する案件形成にも力を入れています。
キルギス人は日本人と外見がとても似ているため、隊員も現地になじみやすく、治安も比較的安定していますし、市場には肉や野菜など多くの食材が並び、暮らしやすい国です。山岳国として登山やスキー、遊牧民文化を伝える乗馬などのアクティビティも盛んです。
キルギス語とロシア語二つの言語が使われていることから、コミュニケーション面での苦労もありますが、隊員には、現場に飛び込んで自分の目で観察し、良いと思うことに挑戦してほしいと思います。
コミュニティ開発/2013年度2次隊・神奈川県出身
旅行で各国を回る中で現地の人たちが参画できるツーリズムに興味を持つ。大学卒業後、旅行会社に就職。協力隊任期終了後の翌2016年にキルギスに戻り、旅行会社Nippon Hospitality Tabi Company LLCを設立。旅行業のほか教育サービス事業も展開。22年からはJICAの地域開発・観光促進プロジェクトの専門家も務めている。
キルギスでは、地域素材を使った特産品を作ることで地域活性化とコミュニティ振興を図ろうと、2006年にJICAの協力による一村一品(One Village One Product・以下、OVOP)プロジェクトがスタートした。生産者団体を支援する協力隊員も派遣され、伝統的な手仕事による羊毛フェルト製品や蜂蜜、塩などの商品化に成功した。OVOPはキルギスの国家プロジェクトに採択され、全国展開が進められている。
OVOPに観光の側面から関わったのが、13年にコミュニティ開発隊員として派遣された朝山琴美さんだ。キルギスにはそれまで存在しなかった、生産者が観光客を受け入れる体験型ツーリズムのプログラムを作った。
朝山さんが活動したのは、風光明媚で避暑地として知られるイシククリ湖の南岸地域の生産者団体。北岸はリゾート地として開発され、海外から観光客が多く訪れる。一方で、南岸はアクセスなどの問題から開発が進まず、農業にも厳しい土壌だが、朝山さんの目から見れば、「夏の期間だけ遊牧生活をする人が住み、木とフェルトで作られた伝統式住居で有名な村もあります。素朴な雰囲気があって、キルギス人の生活に触れるプログラムに向いていると思いました」。
朝山さんは生産者団体を訪ね、体験型ツーリズムについて理解してもらうことから始めた。「遠出をするのは親戚に会う時くらい」と旅行になじみがない生産者にとって、海外からの観光客を受け入れ、フェルト作りを教え、そのサービスで収入を得るというイメージを持つことは難しく、「商品を売って対価をもらえばいい」という反応が多かった。
朝山さんはフェルトでコースターを作るプログラムを考え、興味を示した7団体を対象に、外国人観光客に慣れること、プログラムを段取りに沿って行うこと、観光客へのコースター作りの教え方などについて、配属先のNGO一村一品組合や他隊員の協力を得てシミュレーションを重ねた。
観光客を受け入れてみると、最初こそ自分が作ってしまいそうな勢いの生産者たちだったが、回数を重ねて教え方も上達し、日本やアメリカ、フランス、スペインなどから来た人々が一緒にお茶を飲んでおしゃべりをし、自分たちの伝統文化や生活に興味を示してくれることを喜んだ。商品を売らなくても観光客を受け入れれば収入になることを理解し、もっと良いプログラムにしようと朝山さんにアドバイスを求めたり、観光客が来ることを楽しみにするようになった。
朝山さんは生産者団体と共に、ビシュケクの旅行会社を訪ねて営業活動も行った。村からほとんど出ることがない生産者の女性たちにとって首都のオフィスへの訪問は敷居が高いが、それでも自分たちのプログラムに自信を持って説明した。「熱意を持って紹介する姿が今も目に浮かびます」。
活動2年目には、観光客や旅行会社からのリクエストを受け、生産者家庭での伝統料理作り体験や、職人による大きなフェルト絨毯の制作実演なども行った。また、旅行会社と生産者団体を結ぶ窓口を配属先に設け、朝山さんの帰国後も受け入れが続けられるようにした。それでも「やり残した気持ちが大きかったんです」という朝山さんは、任期終了後にビシュケクで起業し、世話になった生産者団体と日本の観光客をつなぐ事業を展開している。
陸上競技/2017年度3次隊・福島県出身
高校から陸上を始め、大東文化大学在学中、箱根駅伝に2回出場。卒業後、製薬会社、福島県庁に勤務。協力隊ではキルギス陸上界の発展に貢献したとして、日本人初となる個人への勲章をキルギス政府より授与された。2021年にはキルギスオリンピック委員会副会長顧問として東京五輪出場選手に帯同。現在、私立会津若松ザベリオ学園教諭。
大学時代に箱根駅伝に2回出場するという夢をかなえた髙橋賢人さんは、多くの人から支えてもらった競技経験を還元したいと協力隊に参加、2018年にキルギスに派遣された。主な要請は2年後に控えた東京2020オリンピックを目指す長距離選手の育成と強化だった。
しかし、配属先であるキルギスアスリート連盟と陸上競技分野の各協会や学校との連携がうまくいっておらず、活動先が見つからない。トップチームに売り込みに行っても、コーチは足りているとか、外国人ボランティアは国外遠征のたびに所属先の承諾が必要で足手まといだ、と拒否された。
悩んだ髙橋さんは陸上競技場に通い、トラックをひたすら一人で走り、負荷の大きい練習をする日々を続けた。すると、その能力を見て驚いた人たちが声をかけてくるようになった。3カ月ほどたった頃、マラソン協会のコーチで小学生から社会人まで十数人に指導している監督と知り合い意気投合、そのチームで教えることになった。監督は海外の大会出場を目指す選手のトレーニングを一任してくれた。
キルギスでは「走るのは馬や羊」とされて、長距離走という競技を知らない人すらいる。指導を始めてみると、選手が「練習はきつくて疲れる」と嫌がり、目標もなく、すぐ諦めてしまう。髙橋さんは、「また練習に来たい」と思ってもらうことから始めようと、覚えたてのロシア語で、「嫌ならやめてもいい。でも今日の練習を始めたなら最後までやってみよう」と日々の練習を諦めないよう働きかけた。
さらに、選手に自主性を持ってもらおうと、ワンパターンだったトレーニングの内容を変えた。例えば、街中の舗装の悪いデコボコ道を走ったり、山道を走ったりとコースを変えることは同じ筋肉に疲労をためない目的があると教え、「今日はどっちの練習をすればいいと思う?」と選手に考えさせた。食事を含めて多くの時間を共にし、体づくりに対する意識も変えていった。
「ケントと走るのは楽しい」。チームがそんな雰囲気になった頃、「親が練習に行かせてくれない」と一人の選手が助けを求めてきた。家で作ったトマトを路上で売る仕事をしている少年だった。陸上などやっている余裕はないと親に殴られたが、それでも続けたいと泣きながら訴えてきた。髙橋さんはすぐ親の職場に行き、頭を下げて懇願し練習参加の許可を得た。
その少年は他の選手が利用する乗り合いタクシーに乗ることも難しく、どうすればいいかチームで話し合った。彼と同じスタイルで通えばいいのではという意見が出て、「私は彼と同じように練習場まで歩く」と髙橋さんが言うと、「私も」と全員が賛同。それぞれが歩いたり走ったりして練習場に通った。髙橋さんは住まいから片道約3.5キロの道のりを任期終了まで1年以上徒歩で通った。互いが精神的な支えとなり、選手たちは大寒波の時でさえ練習を休まなかった。
髙橋さんは、同じシャツを着続けシューズも中古品を使い回す選手たちのために、大学の恩師やスポーツメーカー勤務の知人を通じて支援を仰いだり、キルギス代表のユニホームを製作したりするなど環境面からも後押しした。
選手たちは「もっと速くなりたい」と目標を明確にして切磋琢磨し、国際大会にも出場。アジア大会や中央アジア大会の優勝者も生まれた。東京2020オリンピックには3人の長距離選手が出場し、髙橋さんも選手団の一員として帯同した。「ケントと出会ったからここにいるんだ。ありがとう」「何を言ってるんだ、君の努力だよ」。選手とそんな言葉を交わせたことが髙橋さんには何よりも嬉しかったそうだ。
障害児・者支援/2023年度2次隊・沖縄県出身
大学で農業を専攻し、ラオスで卒業研究を行ったことで、途上国や国際協力に興味を持った。大学院では特別支援教育について研究し、卒業後は、障害者への就職支援に当たる障害者職業カウンセラーとして独立行政法人高齢・障害・求職者雇用支援機構に就職。8年勤めた後に協力隊に参加。
キルギスの障害者を取り巻く環境は厳しく、障害者の社会参加が進んでいるとはいえない。そんな中、若年層の障害者支援に取り組んでいるのが2023年10月に着任した前濱風花さんだ。
配属先はソーシャルビレッジマナスという、障害者に生活の場を提供しリハビリや職業訓練を行っている施設。ビシュケクから車で1時間ほどのムラケ村に20年ほど前に設立されたNGOだ。20代を中心に24人の知的障害者が共同生活を行いながら、手工芸品制作や畜産、野菜栽培を行い、乳製品などはビシュケクで、手工芸品はインターネットなどを活用し、ドイツなどの海外に向けても販売している。
要請内容は、障害者の運動やレクリエーションプログラムを充実させること、スタッフの業務効率化に役立つ提案など。障害者の就学率が低いキルギスでは、読み書きの学習経験がないまま入所してきた人も多く、「自立につながる能力を身につけてほしい」と施設長からも依頼されている。
前濱さんは、午前中は入所者に個別に時間を設け、文字や数字、基礎的な算数、時計の見方や時間管理の仕方、カレンダーの読み方などを教えている。派遣前訓練では公用語のロシア語を学んだ前濱さんだが、入所者はキルギス語しか話せない人もいるため、前濱さん自身もキルギス語を学びながら教えている。日本人は外見がキルギス人とよく似ているといわれ、前濱さんも「日本人だと言うと驚かれますが、『キルギス人によく似ていて安心する』と言われるので、キルギス語を話せるようになりたいと思っています」。
前濱さんは入所者の文字や数字の覚え方に文化の違いを感じている。「日本では知的障害者に教える場合、絵や図など視覚を使って教えると効果的なことが多いのですが、遊牧民の口承文化の名残なのか、視覚で覚えるよりも、口頭で教える方がスムーズに覚えられる方が多い印象で、教えることの面白さを感じています」。
食事の前は、同席する人たちの健康や幸せを祈り、皆で「オーミン」と唱える。「つい忘れると入所者からたしなめられ、キルギス人がしきたりや共に生活する人との絆を大切にしていることに気づかされます」。
午後は商品として販売する絵はがきやクッションといった手工芸品作りをする入所者の支援などを行う。
「スタッフがついて丁寧に作業を支援していますが、納期に間に合わなくなることもあるので、もっとスムーズに作業できる環境にしたいと考えています」
配属先では、障害者支援を専門的に学んできたのは施設長とソーシャルワーカー的存在のカウンターパートだけで、そもそもスタッフ数が不足しているため、海外からのインターンにも効率よく活動してもらえるようにしたいという前濱さん。“カギ”となるのがアセスメントシートだ。
配属先には入所者それぞれの特性や能力について記録したアセスメントシートはあるものの、日本の障害者支援の現場で導入されている、細かい目標やその達成時期の設定、本人へのフィードバックなどがないという。
「集中して作業できる時間の長短や休憩時間の設定を個々の人により合った内容にしていくことや、『ここまでできたね』ときちんと本人を評価する場も設けたいと思っています」
そうした仕組みやツールを整備できれば、入所者は自分の生活や作業について具体的に意識し、モチベーションを持って行動できるようになり、スタッフも仕事がやりやすくなるはずだ。「日本のやり方を押しつけず、キルギスの文化に合う方法を提案していきたいと思っています」。
黒髪に黒い瞳、顔立ちもキルギス人に似ているため、隊員はよくキルギス語で声をかけられる。「日本人」と答えると、こんな話を聞かせてくれるという。
昔、ロシアの南方に、キルギス人の先祖も日本人の先祖も住んでいた。魚好きが日本に行って、肉好きがキルギスに行った――「キルギス人皆が知っている伝説で、『キルギス人と日本人はきょうだいだ』と言ってくれます」と朝山琴美さん。
もてなしは、やはり肉を使った料理。前濱風花さんは、麺の上に馬肉がのせられた「ベシュバルマック」というお祝いの席で出される伝統料理がおいしいと話す。「数百人が集まる盛大な結婚式を行うのは出身の沖縄に似ていますが、沖縄以上に歌や踊りが大好きで延々と続き、そのパワフルさに驚きます」。
Text=工藤美和 写真提供=ご協力いただいた各位