中谷なほさん
中谷なほさん

ジンバブエ/料理/2006(平成18)年度0次隊、
ウガンダ/料理/2008(平成20)年度8次隊、
ジンバブエ/料理/2015(平成27)年度9次隊・東京都出身

中学生時代に北海道で2年間の山村留学をし、高校生時代にはオーストラリアに1年間留学。社会人となり調理師として経験を積んだ後、協力隊に料理職種があることを知って応募。ジンバブエに派遣されたが、現地情勢が悪化し、振替派遣でウガンダへ。帰国後、2009年に石川県珠洲市に移住。協力隊OG4人で能登の魅力を発信する「のとガール」としても活動した。15年には短期派遣で再度、ジンバブエに赴任した。

外国人技能実習生たちにとっての頼れるお姉さん
協力隊経験で身についた、人への興味が根底に

能登半島地震の現場で活躍するOV
奥能登豪雨の災害時も、中谷さんは現地を訪ねボランティア活動を行った。「輪島市のお宅です。後ろに見えるカーテンの染みまで水が上がってきたようです。独り暮らしのおばあちゃんが、私が住んでいる珠洲のことも心配してくれたので、嬉しさと哀しさが同時に胸に迫りました」(9月6日撮影)

   ジンバブエとウガンダで料理隊員として活動した中谷なほさんは、帰国後の2009年から能登半島の珠洲市に移住し、地元の食材を使った手作り菓子の販売や食堂経営、牧場勤務の仕事をしながら、日本語指導などを通じて地域に住む外国人技能実習生と友人として交流を続けてきた。

   24年1月1日、能登半島地震が起きた時、中谷さんは休暇で隣町の能登町にいた。同町の避難所で二晩を過ごして3日に戻ってみると、震源に近い珠洲の家は半壊の状態だった。

「実習生の皆は無事だろうか、何か困っているのではと心配になり、戻った翌日から連絡を取って安否を確かめました。避難所を訪ねると、そこで支援を受けているグループもいましたが、避難所に適応できず、電気や水が止まり、風呂もトイレも使えない寮に戻ったグループもいました。普段は日本で暮らしていても、避難所で放送される支援情報などの複雑な日本語になると理解できず、まわりの人々ともコミュニケーションが取れず、心細かったのだろうと思います」

能登半島地震の現場で活躍するOV
日本語教室で中谷さんが教えていたクラスのベトナム人とラオス人の友人たちは、珠洲市の中学校へ避難していた。別の日本語教室の先生と共に避難所に入った彼女たちは、支援を受けられていて一安心。一番奥は珠洲市在住の協力隊OV(1月11日撮影)

   震災発生から日数が経つと、水の供給や仮設トイレの設置が始まったが、寮に戻った人たちにはやはり情報が伝わっていなかった。実情を知った中谷さんは、知人の実習生たちに必要な情報を伝えるなどのサポートを行いつつ、それまで接点のなかった在留外国人にもつながりを広げていった。「仕事が再開できる目途が立たず、県外へ移らざるを得なかった人や、心的ストレスもあったのか、帰国した人もいました」。

   多言語での支援に対応する行政や支援団体の相談窓口も開設されていたため、中谷さんは当初、そうした窓口に連絡するよう促していたが、「後日、聞いてみると、誰も連絡していなくて、義援金などさまざまな支援が受けられていませんでした。知らない人とのオンラインでの相談、言葉が通じない不安などがブレーキをかけているようでした。勤務先の企業の方々も自身のことで手一杯という状況で、彼らには身近で頼れる存在が必要なのだと思いました」。

能登半島地震の現場で活躍するOV
中谷さんが働いていた珠洲市唐笠町の松田牧場は、9月の豪雨によって牛の放牧地が崩れてしまった。地震と豪雨で2回の孤立を経験した(9月27日撮影)

   中谷さんは24年5月、JICA北陸センターに誘われ、応募して国際協力推進員の職に就いた。震災から復興するためにJICAができることの調査、地域の外国人支援の推進、能登町役場での復興推進課の業務を主に行っており、それまでの個人としての活動から、仕組みづくりへと幅を広げている。それでも中谷さんの気持ちは変わらない。

「私は外国人を“支援”しているとは思っていません。協力隊員時代に他者とコミュニケーションすることの面白さや大切さに気づき、今も身近な外国人と友人として交流する中で、自分にできることを心がけています。今も行政の支援が届きづらい県外にいる人ともつながり続けていて、9月に起きた能登の豪雨災害の時には、逆に私の無事を心配する連絡もあり、お互いに支え合っています。個人同士の信頼関係があってはじめて彼らの本当の現状を知り、必要なサポートができるのだと考えています」

   8月には、富山県に移動したグループを訪ねて、一緒にピクニックを楽しんだという。

「ピクニックには去年も、珠洲市で働く外国人や地域の方々と行っています。その時、きっかけさえあれば、外国人と関係づくりをしていきたい地域住民の方々も少なくないことに気づきました。これからも、時間をかけながら自然と交流が生まれる機会を設けていきたいと思っています」

Text =三澤一孔 写真提供=中谷なほさん