Case1
パラリンピック・柔道

長尾宗馬さん

インド/柔道/2021年度7次隊・兵庫県出身

高校時代は高校総体で個人3位入賞。大学3年時に外務省のスポーツ外交推進事業を通じてインドで柔道を教えた後、2022年3月から柔道隊員として再びインドへ。健常者・障がい者両方への柔道指導に当たっている。パリ2024パラリンピックに同行して任期を9カ月延長し、24年12月まで活動。

長尾宗馬さん

すべての歯車がかみ合って
視覚障がい者柔道男子の選手が銅メダルの快挙!

2023年のIBSA 柔道グランプリ東京大会でメダルを獲得したパーマー選手とコキーラ選手

まさかパラリンピックに出られるとは

   インドのウッタル・プラデーシュ州に柔道隊員として派遣された長尾宗馬さん。指導する選手の中から、男子のカピル・パーマー選手と女子のコキーラ選手の二人がパリ2024パラリンピック競技大会に出場し、パーマー選手は銅メダルの快挙を成し遂げた。しかし「二人に初めて会った時には、パラリンピックに出られるとは思わなかった」と長尾さんは振り返る。

   長尾さんが配属されたのは視聴覚障がい者柔道協会。赴任当初は地元の柔道クラブを訪れて、障がい者・健常者問わず柔道を教えながら、障がい者柔道の国際大会がある時には強化キャンプを組んで代表選手を指導していた。しかし、練習場の環境は劣悪。畳はボロボロで、エアコンも利かない。選手たちの練習態度もどこか気が抜けていた。

   しかし赴任から約8カ月のタイミングで、柔道の活性化を目的に、「インドパラ柔道アカデミー」が発足。選手たちの練習環境が飛躍的に改善されて、長尾さんもつきっきりで指導に当たり、選手たちは、めきめきと力をつけていった。とはいえ、パラリンピックに出場できる選手に育てるまでの道のりは、そう簡単ではなかった。

「僕がメインで指導していたのは視覚障がいのある選手でしたが、まず立ちはだかったのは言葉の壁。健常者相手のように身ぶりで伝えることができないので、まず正しいやり方を健常者の選手に見せ、それから障がい者の選手に説明してもらう段取りが必要でした」

インドパラ柔道アカデミーに所属して稽古に励む選手たち

   少しずつ言葉が通じるようになってからは、障がいのある選手に直接指導するようになった長尾さん。技の動きを一つ一つ止めながら、手の位置はここ、足の位置はここ、と触れながら行った。

「ただ、やり方を教えても、インドの選手は『なぜこれをやらないといけないの?』と始まります。ですが、僕自身はこれまでコーチからやれと言われたら、言われるとおりにやってきたので、なぜと聞かれても答えられません。そこで初めてその理由を考えて、伝えるようになりました。選手自身も疑問を持つから上達しますし、それは柔道以外にも通じるものがあるな、とハッとさせられました」

   また障がいのある選手には、健常者にはない集中力があると感じたという。「特に視覚障がいのある人は、情報を得るには聞いたり触ったりするしかないためか、すごく集中して取り組みます。健常者は、聞こえるし見えるので、どこか気が散ってしまうんです」。

   環境が整い、練習への取り組み方が変わり、男子のパーマー選手は世界ランク1位に。問題なくパリ2024パラリンピックの代表選手に選ばれた。女子のコキーラ選手は、予選会で落選したものの、その後復活して選ばれた。長尾さんは「指導した二人とも出られるようになってよかった」と安堵した気持ちで、パリに同行したという。

寝技の指導をする様子。派手な投げ技などに興味が向きがちな中、基本的な技術の練習に力を注いでいる

教えた以上のことを試合で発揮

「実はパーマー選手は、金メダルを取れる実力があると思っていたので、準決勝で敗れた時は、『ああ、負けてしまったか』って。ですから、敗者復活戦で勝って銅メダルを取った時はホッとしました。一方、コキーラ選手は、最初から強豪選手と当たる組み合わせだったこともあり、メダルは難しいなと。しかし試合が始まると、そんな強豪相手にいい技が次々と出て、もしかしたら勝てるかもしれないという展開に。結局、1回戦で敗退しましたが、すごくいい試合をしてくれました。二人とも、僕が教えたことをアレンジして、もっと上のレベルでやっていたのは嬉しかったですね」

   パリ2024パラリンピックの前から徐々についてきた2選手の自信は、大会出場を経て確固たるものになってきたという。

「二人からは『自分はできる』という前向きな姿勢が、練習でも試合でもすごく感じられるようになりました。特にコキーラ選手に関しては、自分より格上の相手に対しても果敢に攻めるようになって、大きく成長しましたね」

   長尾さんは2024年3月で2年間の任期を満了して帰国するはずだったが、配属先から請われて12月まで任期を延長。パリ2024パラリンピックの後は、次なる大会に向けて指導に励んでいる。「視覚障がい者柔道チームが強くなったのはナガオのおかげ」という周囲の声も多いが、それだけではないと長尾さんはきっぱり否定する。

「やはり柔道協会がかなり力を入れて、パラ柔道アカデミーという拠点をつくって、環境を整えたことが大きいですね。そこに協力隊員として僕が入り、歯車がとてもかみ合った。多分、ただ僕一人がここに来ても、そこまでの成果は出せなかったと思います」

   残り少ない任期だが、長尾さんはインドではほとんど知られていない「投げの型」を教えて帰国したいと言う。そして、自らは帰ったら就職するか、現役の柔道選手に戻るか…。

「これまで無心に柔道をやってきましたが、インドでコーチとして柔道を教えて、技についてもじっくり考える時間を持てました。それで、また柔道の選手になったら、以前とは違った選手になれるかもしれない。これからはスポーツとしての柔道ではなく、武道としての柔道を追究していきたいですね」

   武道としての柔道を極めるとは、自分を磨くこと。そういう思いにさせてくれたのは、やはりパラリンピックに出た選手たちの影響が大きい、そう力強く語ってくれた。

Text=池田純子 写真提供=長尾宗馬さん