SV/ジャマイカ/卓球/2016年度3次隊、
バヌアツ/卓球/2022年度4次隊・山形県出身
定年退職後、シニアボランティアとしてジャマイカに赴任し、ナショナルチームの卓球指導に当たる。コロナ禍の待機期間を経て、2023年4月からバヌアツで卓球のナショナルチームのコーチとして指導中。女子シングルスの選手をパリ2024オリンピックに導く。
髙嶋諭史さんがバヌアツの首都、ポートビラにあるバヌアツ卓球連盟のナショナルチームのコーチとして赴任したのはコロナ禍明けの2023年。パリ2024オリンピックを経て、今も活動している。
そもそも髙嶋さんへの要請内容は二つ。一つはバヌアツの卓球の競技人口を増やすこと。もう一つは、国際大会で良い成績を収めることだ。しかし連盟の体制にしろ、練習施設にしろ、ジャマイカでの協力隊経験のあった髙嶋さんにとっては、すべてが想定外だったという。
「ジャマイカの卓球協会の歴史は古く、現地の指導者も結構そろっていて選手層も厚かったのですが、バヌアツでは卓球の歴史は浅く、現地の指導者もいない。国からの補助金もないため、ほとんど家族経営で運営されています」
活動の拠点となる体育館は、1時間約120円払えば、誰でも使える公共の体育館。隣ではバスケットボールやバレーボールをやっていて、やって来た利用者から卓球をやりたいと言われたら、卓球台を譲らなければいけない。一般の人たちは土足で体育館の中に入り、雨の日はドロドロ、ゴミもそのまま。そこで全くの初心者も、中級レベルの選手も、国際大会の代表選手も、みんな一緒に練習するという状況だった。
「選手たちはたいてい30分ぐらいは遅れてきます。毎日行き当たりばったりで、来たメンバーを見てから練習計画を立てるという経験したことのない環境で、最初はさすがにストレスがたまりました。ただし技術的なことでいうと、17年まで約20年間にわたって中国人コーチが2年交代で派遣されていたので、年配の選手たちの基本はしっかりしていました」
今回、女子シングルスでパリ2024オリンピックに出場したプリシラ・トミー選手は17年以来久しぶりにコーチ指導を得たこともあり、オリンピックの切符を手にした。
「トミー選手は、もともと国際大会でもメダルを取るような力のある選手でしたから、オリンピックの予選でも全勝で優勝し、出場が決まりました。しかし、ただ勝ってしまうと、なかなか自分の欠点に気づけません。やはり負けたほうが勉強になるんです。オリンピックでは、上のレベルの選手と当たるわけですから、もっと技術を向上させていかなければいけない。もともとトミー選手は、ボールをカットで拾いながら、チャンスがあれば打っていく守備型の選手。オリンピックでは守っているだけでは勝てません。もっと攻撃力をつけて、相手を惑わせるプレーも必要です。最初は『なぜ勝っているのに変えなくてはいけないのか』と抵抗を示しましたが、それをする理由について丁寧に説明し、オリンピックに向けて、必要な練習を一つ一つ積み重ねていきました」
オリンピックは、スポーツ選手なら誰しもが夢見る最高の舞台。実際にその場に同行した髙嶋さんは、こんなふうに語る。
「今回、バヌアツから出場した選手は6名。コーチ陣はオーストラリア人、ニュージーランド人、アメリカ人、イタリア人、日本人の私と、非常に国際色豊かでした。みんなスポーツに携わる者同士という共通点の下、いろいろなことを分かち合い、非常に団結力のあるチームでしたね」
トミー選手の試合は夜8時からだったが、他の選手やコーチ、みんなが応援に来てくれたという。
「オリンピックは、もう入場する時から普通の大会とは違います。入場行進曲と共に会場に入り、選手は一人ひとりアナウンスされて卓球台につく。歓声もすごいし、テレビカメラの数もすごい。まさに最高の舞台で、選手はいやが応でも緊張が高まります。トミー選手も例外ではなく、この大舞台では、なかなか練習の成果を100%発揮できず、残念ながら1回戦で敗退してしまいました。しかし、もっともっと経験を積んで、またこの舞台に戻りたいという気持ちは強まったようです。オリンピックという特別な舞台で戦えたことは、トミー選手にとっても私にとっても、かけがえのない経験になりましたね」
赴任当初は年齢や文化、風習の壁があり、チーム全体とも個々の選手とも、なかなかコミュニケーションをとることが難しかったという高嶋さん。しかし、日々の練習や約1カ月間のパリ2024オリンピックで寝食を共にしたことで、かなり距離が縮まったという。
「私のやり方を、最初よりもずっと理解してもらっていると感じています。他の選手も、トミー選手に刺激を受けたのか、今までは私が一番に来ていたのに、私よりも早く来て、卓球台を準備してくれる子が現れました。もっとうまくなりたいんだなとやる気を感じて、嬉しいですし、こちらも一生懸命教えたくなります。今は普段の練習に、『フォアハンドを200本ノーミスで続ける』『コントロールよくサーブを出す』などのスキルテストを3カ月に1度行うなどして、選手一人ひとりのモチベーションを上げる工夫をしています」
とはいえ、卓球の練習をした後は笑顔で帰ってほしいという。
「とにかく、継続的に選手が増えなければ、レベルが上がっていきませんから。楽しくやってくれるように、というのは、いつも気にしていますね」
そして髙嶋さんの残りの任期は約半年。帰国するまでに「卓球の競技人口を増やす」という、もう一つのミッションを果たそうとしている。「小学校や中学校に行って、卓球を紹介しながら見込みのある子に声をかけるという活動を広げていきたいと考えています。同時に進めている企画が『テーブルテニスフェスティバル』というイベントの開催。体育館に卓球台をセットアップして、みんなで楽しくピンポンしましょう、オリンピックで戦ったトミー選手とも、一緒に練習できますよ、というイベントを計画しています。これが実現して、卓球に興味を持ってくれる子が増えることを願っています」。
※パシフィックゲームズ…南太平洋諸国を中心とする国際的なスポーツ競技大会で、1963年にフィジーで初開催され、現在は4年ごとに各国の持ち回りで開催されている。
Text=池田純子 写真提供=髙嶋諭史さん