ケニア/コミュニティ開発/2014年度
1次隊・栃木県出身
障害を理由に捨てられる子どもをゼロにする─。そんな目標を掲げて試行錯誤を重ねている三関理沙さん。そのフィールドは、10年前に協力隊員として赴任したケニアだ。
三関さんが隊員として活動したのは首都ナイロビから160kmほど離れたオザヤという山間部の町で、配属先は児童相談所のような役割を果たす組織。域内の児童養護施設に向けたイベント実施などに取り組んだ。よく学校見学などに連れ出してくれるスタッフなどにも助けられ、「おかげで現地の人のニーズを細かく理解できました。JICAの『世界の笑顔のために』プログラムで届けてもらった鍵盤ハーモニカなども適切な形で寄贈できたと思います」。
ただ、三関さんは現場のジレンマも目の当たりにした。それは、配属先の取り組みによって児童養護施設などの劣悪な環境が改善されることで、かえって貧しい家庭の親が子どもを託しに来てしまう実情があったことだ。
「ケニアは親族のつながりが重要な社会なので、孤児として成長して施設を出ても、社会的に孤立してしまいます。私は施設より家庭を支援すべきだったのだという反省があります」
家庭や保護者に向けた取り組みが必要だと痛感した三関さん。帰国後、大学院で学び直したりNGOで経験を積んだりする中で特に深刻だと感じたのが、障害のある子どもの置かれた環境だった。貧困だけでなく社会的差別によっても見捨てられ、養子や里子としても敬遠されてしまうためだ。
自らの目指す方向性が明確になる中で、今度は在ジンバブエ日本大使館の職員として働きつつ、支援方法を探るため、休暇を利用してアフリカ各地を訪ねて回った。
模索の旅を通じて強く影響を受けたのが、ルワンダでキセキという会社を運営している山田美緒さんだった。ゲストハウスを運営して安全な宿泊場所や食事を用意しつつ、支援活動プログラムやスタディツアーといった有償サービスを日本人向けに提供。現地の雇用も多数創出している。
「無償援助ではなくソーシャルビジネスによる支援の道があることを知りました。援助も時には必要ですが、ケニアの人々が自分たちのポテンシャルに気づいていないのはもったいないことです。本人のスキルや仕事の成果に見合った給料を支払うスタイルがいいと思い至りました」
三関さんが最初に考えたのはキセキのモデルをケニアで導入することだったが、ゲストハウスには多額の初期費用や固定費がかかる。自分にはハードルが高いと思い直して “小さく始める”ことを選択。障害のある子どもを持つ家族に技術を教え、羊毛フェルトでの小物作りをすることにした。それが、現在の「Pamoja na Africa」の活動の始まりだった。
「取り組みはナイロビで始めようと思っていたのですが、同期隊員のカウンターパートで顔見知りだった方と再会し、『俺のところに来いよ』と誘ってもらいました」
ナイロビから車で1時間半ほどのマチャコスという町の郊外で職業訓練校やNGOを率いて活動していたので、その人脈ならば、働きたい母親を集めやすく、作業場も借りられる。三関さんは事業規模の検討を重ねた末に、「まずはやる気がある5人を確実に雇用するために月34万円の売り上げが必要」という現実的な目標にたどり着いた。
「多くのお母さんはあまり教育を受けておらず、ハサミで布を真っすぐに切るのも難しかったりします。現状では、私が作業場にいないと規格と違うものができてしまったりしますが、ようやくできるようになったお母さんのドヤ顔を見られるのが何より楽しい。悲観的になりがちだった人の自己効力感がグッと上がり、収入にもつながる瞬間です」
月34万円で賄う経費の中に、三関さんの生活費や渡航費はもちろん含まれていない。自身は他の仕事で生計を立てつつ、2028年までに15人を雇うというのが、三関さんが考える次の目標だ。あくまでも社会課題の解決が目的なので、羊毛フェルトの生産・販売にビジネスの範囲を限定してはおらず、現在は、農家の支援・研修などに取り組むケニアのコーヒー会社から仕入れたコーヒー豆も販売している。
「社会的インパクトという意味ではまだ規模は大きくありません。でも、私が一番やりたいことは目の前のお母さんたちと向き合って、一緒に模索しながら成長していくこと。協力隊的な精神が続いているのだと思います」
Pamoja na Africaとはスワヒリ語で「アフリカと一緒に」を意味する。24年6月には株式会社としての登記も果たし、三関さんは「目の前にいるアフリカのお母さんと一緒に」歩み始めている。
2005年
2009年
2014年
現地情勢の影響で、当初予定されていた任地ではなくオザヤで活動することになりました。その上で、さらにカウンターパートが代わったりしましたが、協力的なスタッフに恵まれたのはよかったです
2016年
2017年
協力隊員時代に気づかされた『児童養護施設の支援よりも貧困に苦しむ家庭へのエンパワーメントが重要』というテーマについて研究しました
2019年
ケニアやウガンダの子どもとその家族を支援する団体で、私の目指す分野に合致していました。
この仕事を通じて、特に障害のある子どもが取り残されていることがわかりました
2021年
働きながら、ソーシャルビジネスに関するオンライン講座を受けて事業計画を練りました
2023年
ケニアに住む日本人のフェルト作家のところで1カ月ほど学ばせてもらいました
2024年
生産態勢を整えるべく6月から現地を訪れましたが、お母さんたちに技術を伝える道のりの長さを認識。私自身は日本で就職して働きつつ、少人数に集中してじっくりと質を高めていく方針にシフトしました
Text =大宮冬洋 写真提供=三関理沙さん