
ルワンダ/コミュニティ開発/2018年度1次隊・長崎県出身
ルワンダの首都キガリの南東100kmのンゴマ郡へ赴任し、郡庁の一員として井戸管理のサポートや、水の安全に関する啓発活動に携わった。専門的な知識・技術を持たず、途中でカウンターパートが2度代わるなどの苦労も経験する中、自分に何ができるかを問い続けた1年8カ月間だったという。
長崎県庁の大阪事務所で、関西・中部圏での長崎物産のプロモーションに従事。
ルワンダで活動した田川統子さんは2020年3月、コロナ禍で任期を残して帰国した。帰国後の進路はまだ漠然としか考えていなかったが、長崎県の職員採用試験に海外活動経験者枠があると知って受験した。結果は合格だったものの、気持ちが整理できていなかったこともあってすぐには決心がつかず、長崎大学熱帯医学研究所で事務員として半年間働いてから改めて入庁を決めた。田川さんは当時の心境を「ルワンダでは郡庁に配属されて、住民の生活がよりよくなるようにと働く行政職員と一緒に活動していました。それを思い返す中で、日本の行政はルワンダとどう違うのか、住民のために行政がどう役立てるのかといったことを、もっと知りたいと考えるようになりました」と振り返る。
入庁後は文化観光国際部の世界遺産課(当時)を経て、24年4月に大阪事務所に異動。観光や物産、移住など、関西・中部圏での長崎県の窓口となる同事務所で、田川さんは県産品の振興などの長崎の魅力発信のほか、県ゆかりの人物や地域活性化に関わる人との人脈構築に携わっている。
「地元愛が強い関西という場所で長崎の食や文化、物産の魅力をどう紹介すればいいのか、毎日考えています。その点では、どう話せば現地の人に私の意図が伝わるのか日々考えていたルワンダでの活動と似ているかもしれません」
ルワンダでは、被爆地である長崎を未だに人が住めない場所だと誤解している人が多いことにショックを受け、「長崎の今」にフォーカスした平和展を開催したこともある田川さん。協力隊での経験を通じ、外から長崎を見つめ直したことで、故郷への思いも強くなったと感じているという。
「県職員として働く中で地域について改めて知ったことも多いので、その魅力を国内外に伝えられたらと思っています」
Text=油科真弓 写真提供=田川統子さん
私の進路選択について
私が協力隊に応募した時は、地元の大学を卒業して地元の金融機関で働いてきたキャリアをリセットし、違う世界に踏み出してみたいとの思いがありました。とはいえ将来のイメージははっきりしておらず、帰国後に県職員の採用試験を受けて合格した時もまだ迷っていたくらいです。協力隊に行ってから2年間のうちに価値観が変わることもあるでしょうし、派遣前に深く考え過ぎなくてもいいと思います。
派遣前も帰国後も、進路にはいくつもの選択肢があって迷ったり悩んだりすることは常にありますが、一つを選んだことによって見えてくる別の道もあるはず。悩み抜いて自分で決めた道であれば、どの道を選んだとしても、行き止まりではなくどこかに続いていくはずです。