2000年の衆議院議員選挙で初当選し、内閣府特命担当大臣や経済産業大臣などを歴任。初当選と同年に自民党「青年海外協力隊に関する小委員会」の事務局長となり、これまでに各国の協力隊員の活動現場への視察を経験。13年6月からJICA議員連盟(日本の国際協力~特に青年海外協力隊の活動~を支援する国会議員の会)の事務局長を務め、23年11月より会長を務める。
1997年に青年海外協力隊に参加(インドネシア/市場調査/1996年度3次隊)し、帰国後の99年、国際協力事業団(現JICA)入構。米国事務所次長や総務部審議役を歴任し、2022年12月から25年2月まで青年海外協力隊事務局長を務める。24年9月、編著者として『JICA海外協力隊から社会起業家へ共感で社会を変えるGLOCAL INNOVATORs』(文芸社)を上梓。
橘1965年度に5カ国への青年海外協力隊員の派遣から始まったJICA海外協力隊事業は本年60周年を迎えます。日本の国際協力の中においてJICA海外協力隊の意義や価値を小渕先生はどのように評価されていますか。
小渕まず、60年もの長い間JICA海外協力隊事業が脈々と続いてきたこと、60周年という節目を迎えられたことは大変素晴らしいことだと思います。さまざまな形で支えてくださった方々、協力隊員として開発途上国に派遣され活動してくださった方々に心から感謝します。日本が世界の多くの国々から信頼を集め、強固なつながりを築くことができたのはやはり、政府開発援助(ODA)の事業があり、JICA海外協力隊の事業があったからこそだと思います。2年という限られた期間で一人ができることはそれほど大きなものではないかもしれませんが、それを60年間、のべ5万7,000人を超える方々がやってきたというのはものすごいことだと思います。その積み重ねが確実に日本の価値や信頼度を高め、我々の日々の平和につながっているのだと思います。
橘嬉しいお言葉をありがとうございます。小渕先生は当選1年目から長きに渡りJICA海外協力隊を応援してくださっていますが、協力隊との関わりについてあらためて教えてください。
小渕私は26歳の時に初当選したのですが、当時、20代の国会議員はほとんどおらず、大変な時期も経験しました。
そんな中、JICA議連の前身となる「青年海外協力隊に関する小委員会」の事務局長を打診され、引き受けたのが始まりです。その頃、協力隊に20代の女性が増えていて、一人で開発途上国に渡り、右も左もわからないところで一から頑張る彼女たちの姿が、政治の世界で頑張る自分自身と重なるような気がしました。そして、同世代の協力隊を政治の場から応援してきました。
橘海外出張で派遣国に行く際には、協力隊員の活動現場を視察し、懇談の時間を持たれてきたそうですが、視察された際に印象に残っているエピソードなどはありますか。
小渕隊員の皆さんと話をすると、だいたい派遣前にイメージしていたことと現地での活動にギャップを感じ、やりたいことが思うようにできないといって悩んでいるのですが、それでも自分なりに消化して、置かれた環境の中で自分にできる最大限のことをやろうとする姿が素晴らしいと感じます。例えば、サッカーを教える前にまずは「時間を守る」というルールから教えなければならない、井戸の役割を知らずにごみを捨ててしまう現地の人々に衛生観念から教えなければならない、といった話もよく聞きます。
単に技術を教えるだけではなくて、日本の考え方をうまく活用しながら「魚を与えるのではなく釣り方を教えよ」というスタンスで支援しているのを見て、これは現地に協力隊員が入り込むからこそできることだと実感しました。
橘確かに、求められることをやる中で人間関係を築き、現地の人に受け入れてもらいながら活動を行うという姿勢は今も昔も変わっていません。その経験は帰国後にも生かされると思いますが、協力隊員の帰国後の活動についてはどんなことを期待されていますか。
小渕例えば、協力隊経験者の矢島亮一さんが、群馬県甘楽町で「自然塾寺子屋」を立ち上げ、農業を通じて地域と海外をつないだり、派遣前の協力隊員に事前研修をしたり、
支援や交流の拠点となってくれています。東京五輪の時にニカラグア共和国のホストタウンになるなど、外国人の受け入れに対する地域全体のハードルがとても低く、非常にいい事例を作ってくれていると思います。
以前は協力隊員の帰国後の課題といえば就職先でしたが、今では、協力隊経験者といえば引く手あまたでしょう。海外での経験を企業で生かす人もいれば、地方で生かす人もいて、さまざまな形で社会還元が進んできていると思います。
今後は日本でも外国人材も積極的に受け入れていかなければならないと思いますが、いろいろな国で実際に生活し、肌で感じた経験を持っているというのは非常に価値あることだと思います。日本国内でも徐々にコミュニティが衰退し、つながりの希薄さが問題になっていますが、日本と海外の橋渡しだけでなく、人々の間の溝や隙間を埋めるような役割を担ってもらえたらと期待しています。
橘最後に、途上国の現場で活動している協力隊員、あるいは協力隊経験者に向けて応援メッセージをお願いできますか。
小渕活動する中でいろいろな不安や葛藤、ある種の不満足さなどを抱えると思いますが、私はそれでもいいと思っています。その取り組みが積み重なって、やがてお金では決して買えない大きな信頼と平和につながっていくからです。積み上げた信頼を次世代につなぎ、平和に貢献する一翼を担っているという自信を持って活動してほしいと思います。
一方、時代は大きく変化し、協力隊が発足した時代と今の時代では協力隊の意義も変わってきています。一人ひとりの隊員を守り、その背中を押していくためにも、組織としてできることを考えていかなくてはなりません。発足当時よりも海外が身近になり、国際協力といってもNPOやNGOなどさまざまな選択肢がある中で、なぜ協力隊が必要なのか、協力隊にしかできないことは何なのか、常に存在意義を明確にしていく必要があります。日本の外交の軸となる「人間の安全保障」を具現化するのが協力隊です。これまでも、これからも、協力隊事業に関わるすべての皆さんが日本の平和を築くための外交官であり、先駆者であるという誇りを持ち、次のODA80周年、そして協力隊70周年に向けて進んでいってほしいと思います。
橘ご期待に添えるように頑張ってまいります。本日は貴重なお話を本当にありがとうございました。
※役職は取材当時(2025年1月)のもの
Text=秋山真由美 Photo=飯渕一樹(本誌)