コートジボワール/統計/1991年度2次隊・東京都出身
協力隊で培った経験、人脈、志を帰国後の仕事にどう生かせばいいのか。多くの隊員が直面する課題である。脇坂誠也さんが試行錯誤の末にたどり着いた結論は、国際協力への思いと税理士としての知識・技術を“かけ合わせて”社会の役に立つことだった。
脇坂さんが統計隊員として協力隊に参加したのは25歳の時。海外への漠然とした興味はあったが、元々は国際協力に熱意があったというより、勤めていた企業を退職して違うことをしてみようというスタンスだった。配属先は交通事故の調査や交通安全教育を行う部局。職場はスラム街の近くで、日本人はおろか外国人の姿も見当たらなかった。
「初代隊員で先輩もおらず、最初に行った時はとても怖くて不安でした。だからこそ、20人ほどの職場の人たちに温かく受け入れてもらい、親切にされたこ
とが本当に嬉しかったです。交通事故に関するデータベースを作ることを目標に設定しましたが、肝心のパソコンは壊れていました」
同僚たちの誘いで全土を回って地元警察などへの聞き取り調査を行うことはでき、膨大な調査票を手集計で分析してみた脇坂さん。すると、交通事故という側面から国内の地域間格差も見えて興味深く、レポートとしての発表に至った。
「帰国後に一生をかけるべき自分の仕事を見つけた気がしました。すなわち、データを集めて一定のルールに従い集計し、意味あるものを見つけ出す仕事です。それは簿記や会計の仕事、つまり税理士じゃないか!と」
もちろん、その頃にはコートジボワールが大好きになっていた脇坂さんだったが、国際協力のプロになって途上国の第一線で働くのは自分には厳しいと感じており、日本で税理士になろうと考えた。実は、脇坂さんの父親は税理士事務所を開業していて、業務の大変さ故に、息子が同じく税理士を目指すことには反対したが、最終的には許してくれたという。
「顧問している会社の中には、私が子どもの頃から父のお客さんだった会社もあります。ありがたいことです」
一方で、日本にいる外国人をサポートすることへの興味もずっと持っていた。自分がコートジボワールで受けた親切が忘れられず、同じことをしてあげたいと思ったからだ。
「協力隊の2年間を単なる思い出にしてはもったいない、なんとか生かしたいとの気持ちでした。そんな中、あるNPOの活動に参加して在留外国人向けの確定申告講座を開く機会がありました。たった2人しか来てくれませんでしたが、そのうち1人が納め過ぎた所得税の還付に大喜びしてくれたのです」
この成功体験を応用しようと脇坂さんは思った。国際協力分野を含め、社会貢献に取り組んでいるNPOを会計と税務の知識で支えれば、間接的にでも国際協力に関わることだってできる――。税理士としての方向性がつかめた瞬間だった。
脇坂さんが税理士資格を取得した1998年は特定非営利活動促進法(NPO法)の施行元年でもある。その数年後、NPOの会計税務を支える専門家による「NPO会計税務専門家ネットワーク」を知る。「事務局長の瀧谷和隆さんが協力隊経験のある税理士だったのです。おおっ、と思いましたね。これは関わらない手はない!とすぐに連絡を取りました」。
その後の脇坂さんはNPO法人会計基準の策定にも関わり、現在は同ネットワークの理事長を務めている。
「日本は寄付文化がないなどと言われますが、そもそも寄付金控除が受けられる認定NPO法人の数はアメリカやイギリスに比べるとはるかに少ないのが現状です。なんとか増やしたいと思い、認定NPO法人の悩みなどをアンケート調査して『認定NPO法人白書』を作ったりもしています」
税理士としての脇坂さんがよく関与しているのは、国際協力団体で多く見られる、寄付を主たる財源として運営されているNPOだ。寄付金には法人税も消費税もかからないため、税理士のニーズがないとされがちだが、規模が大きくなるほど、寄付された不動産や株式にかかる税金関連の問題が出てきたり、会計処理の疑問や従業員の税金問題などを専門家に相談したいというニーズも生じる。脇坂さんはNPOの税務支援の第一人者となった。
「NPOのサポートが事務所の事業として成り立つまでには、かなり時間がかかりました。でも、興味があるものに近づくと思わぬニーズが見えてきたりします。その中で自分が役に立てることがあれば、お金を頂ける局面もあるでしょう」
自分の興味を大事にする。その対象に近づき、役に立つ努力をしながら、自らの生計を立てる道にもつなげる。そんな脇坂さんの未来の開き方は、協力隊の精神に通じている。
1990年
当時の日本はバブルの絶頂期でした。自分が何をやったらいいのかわからず、入社した大手の物流系企業は半年で退職。協力隊に応募しました
1991年
大学で統計を少し学び、新卒入社の会社を退職後に統計を扱う財団法人でもしばらく働いて経験は積んでいました。でも、統計隊員として大きな活動ができたとはいえず、自分の力不足を思い知らされた2年間でした
1998年
税理士の父の姿を見て育ちましたが、税理士になれと言われたことは一度もありません。でも、税理士になるなら父の事務所を継ごうと決めました
2003年
ネットワークではNPOの会計税務に関心がある専門家およそ500人が集まり、情報交換や調査を行い、公の提言も行っています
2009年
2020年
税理士と協力隊経験者、そしてユーチューバー。それぞれ100人に1人以上の希少さでしょう。「100人に1人」を3つかけ合わせれば、100万人に1人です。協力隊という希少な経験をベースに、他の希少なものと掛け合わせることで、他の人にはない、自分らしい生き方ができるのではないかと思っています
Text=大宮冬洋 写真提供=脇坂誠也さん