Case2
隊員時代に知った“アドベンチャーレース”を仕事に
起業から20年、日本の地方活性化にも貢献

我部 乱 さん

コスタリカ/観光業/2002年度1次隊・東京都出身
有限会社エクストレモ代表取締役
アウトドアスポーツイベントプロデューサー

大学卒業後、1998年に株式会社日本交通公社(現 株式会社JTB)へ入社。企業や学校など法人への新規営業、旅行企画、添乗など年間100本のツアーに携わる傍ら、トライアスロンやオーシャンスイムなどスポーツツアーの新規開拓にも携わる。2002年に退職して協力隊に参加。帰国後の05年に起業し、自然資源の活用や地域交流を目的としたアドベンチャーレースを企画・運営する。13年には大学院でアウトドアスポーツの地域貢献について研究。20年の「第8回スポーツ振興賞・大賞」や「スポーツ文化ツーリズムアワード2020・スポーツツーリズム賞」などを受賞したほか、著書に『アドベンチャーレースが未来をつくる 自然をフル活用したスポーツが、地方と教育を元気にする!』。

協力隊を経た先輩のキャリアを知ろう   帰国隊員の仕事の現場
協力隊を経た先輩のキャリアを知ろう   帰国隊員の仕事の現場

   任地で開催したアドベンチャーレースを日本でも行おうと、帰国後に起業した我部 乱さん。以来20年にわたってアドベンチャーレースを主催している。

   アドベンチャーレースとは、大自然を舞台にチームで地図を読みながらトレッキングやマウンテンバイク、カヌーなど複数のアウトドア種目に挑み、ゴールを目指す競技だ。派遣当時、観光業隊員だった我部さんへの要請は、自然豊かなサベグレ川流域の村落開発プロジェクトの中で地域の魅力を引き出し、観光開発していくというものだった。我部さんは対象地域をくまなく歩いて調査し、トレッキング用観光地図の作成などを行った。そして、アウトドアスポーツ好きな我部さんが出合ったのが、まだ歴史の浅いアドベンチャーレースだった。自らレースに参加して魅了され、任地の近くにあるラフティング会社などに働きかけて1回目の大会を開催。さらに任期2年目には自然のスケールの大きさと魅力をさらにアピールする2回目を開催した。参加者からも地域の人々からも好評で、何より自分でやり遂げたことに自信を持った。

「自分が楽しいと思える仕事をして日本で食べていけたら幸せだろうなと感じて、起業することにしたんです」

   任期終盤には日本でアドベンチャーレースを開催できそうな地域を選び、企画書を作っては国際郵便で自治体や観光協会に送付。その数は70にもなった。帰国するとその地域を訪ねてアドベンチャーレースの開催を働きかけ、栃木県烏山町(現 那須烏山市)、東京都奥多摩町、神奈川県湯河原町、静岡県本川根町(現 川根本町)の4自治体から同意を得ると2005年、日本初のシリーズ戦を主催した。

   アドベンチャーレースは超人的アスリートが競い合う過酷なスポーツというイメージがあるが、我部さんは初心者から上級者まで参加できる内容にし、競技の認知度を高めて参加者を増やすようにしている。さらに、レース内容には地域の見どころをつなぐコースや、伝統文化と食を題材にした課題を設けたり、大会後に地域の人々と交流する場を持ったりするなど地域おこしにつながる仕組みも導入した。

「あるがままの自然を活用するなどして地域の特徴を生かし、よそから来た参加者たちがそれを楽しむことで、その様子を見て地域の人も自分たちが住む土地の魅力を再発見する。それが続いている要因だと思います」

協力隊を経た先輩のキャリアを知ろう   帰国隊員の仕事の現場
楢葉町とは21年からアウトドアコンテンツ作りで連携しており、アドベンチャーレース以外に沿岸でのSUP(スタンドアップパドル)など、地域の資源を生かしたアクティビティを提案している

   我部さんは当初、アドベンチャーレースの大会を企画・運営する事業だけで会社を経営できると考えていたが、そう簡単にはいかなかった。そこで旅行会社での経験を生かし、アドベンチャーレースをベースにチームビルディングの要素を含めたプログラム“ぷちアドベンチャーゲーム”を開発。旅行会社と連携しながら企業や学校に売り込んだ。入社時のオリエンテーションや学校行事の一環として取り入れられ、今では年間100件近くの実施になり、収益の柱となっている。

「20年のコロナ禍の初期はすべてがキャンセルになりぼうぜんとしましたが、半年を過ぎてからは、むしろ3密になりにくい屋外プログラムということもあり、学校の宿泊行事ができない中で代替イベントとして利用が増えました」

   現在、アドベンチャーレースは全国で年に9大会運営しており、そのうち1つは福島県の楢葉町と連携して23年から開催しているものだ。東日本大震災の原発事故などによる避難指示がすべて解除されて10年になる今年6月、3回目の大会を予定している。「海と山が近く自然あふれる楢葉町が復興から次のステップに向かっていることと、これまでの軌跡、そして、地元の人々の思いも感じてもらえたらと思っています」。

先輩隊員からの一言!

仕事のやりがいは?

   アドベンチャーレースの開催では、経済的な効果だけではなく、その地域の人たちが年に1回の楽しみとして集まってくる選手と交流してもらうことに重きを置いてきました。地域の人がレースをきっかけに地元の自然や文化を見直し、誇りを持ってもらえているようで嬉しいです。

   学校や企業向けのプログラムは、コロナ禍以降、大半が学校からの依頼になりました。紙の地図を見て行動するのは時代に逆行しているともいえますが、それがかえって新鮮なようです。方向音痴のチームでも協力し合って最終的にはみんな笑顔で戻ってくるので、学校の教室では学べないことを感じてもらえているなと思います。草の根的ですが、地方の活性化や教育に寄与できている実感があります。


仕事で今後やりたいことは?

   この競技をもっと広く知ってもらいたいと思っていて、夢は東京都心でアドベンチャーレースを開催することです。この競技では山の中を走ったりするので、選手本人は楽しいですが、近くで応援したり観戦することが難しいという欠点があります。そこで、例えばビルの上からロープで下りてきたり、公園にクライミングウォールを設置して登ったり、運河でカヤックをしたりすれば絵になり、たくさんの人が面白がってくれるでしょう。また、アドベンチャースポーツはありのままの環境を競技フィールドにするので、開催できる地域がまだまだたくさんあります。今後もアドベンチャーレースを行っていき、地域の活性化、人と人とのつながりをつくるきっかけにできればと考えています。


隊員時代にやるべきことは?

   私は自分の可能性をもっと広げてみたいと、会社を辞めて協力隊に参加しました。派遣前はその後をどうするのか具体的に決めていたわけではありませんが「この2年間で大きな経験をしていこう」と思って行きました。何かを自分の力で形にする、自分でこれを成し遂げた!と思えるものを残したいと思って活動し、それが形となったのがアドベンチャーレースや観光マップです。この経験は、その後の自分の大きな自信になりました。

   協力隊参加をゴールとするのではなく、次に行くためのステップと考えて、目の前の活動に全力で取り組むことが大事だと思っています。

協力隊を経た先輩のキャリアを知ろう   帰国隊員の仕事の現場
ぷちアドベンチャーゲームで地図を見ながらチェックポイントを目指す生徒のチーム
協力隊を経た先輩のキャリアを知ろう   帰国隊員の仕事の現場
アドベンチャーレースは1980年代にフランス人のジェラール・フュジー氏が創始したとされ、我部さんが協力隊に参加していた時代にも、わずかながら日本人の競技者もいたという

Text=工藤美和 写真提供=我部 乱さん