
ボリビア/環境教育/2018年度4次隊・静岡県出身
就職先 | 金融庁 |
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事業概要 | 金融行政を扱う内閣府の外局で、「(1)金融システムの安定/金融仲介機能の発揮、(2)利用者保護/利用者利便、(3)市場の公正性・透明性/市場の活力のそれぞれを両立させることを通じて、企業・経済の持続的成長と安定的な資産形成等による国民の厚生の増大を目指すこと」を目標に掲げる。 |
略歴 | 1983年 | 静岡県生まれ |
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2006年3月 | 大学卒業 | |
2006年4月~17年3月 | 信用金庫に勤務 | |
2017年7月~18年3月 | 国際交流基金の事業でインドネシアに赴任 | |
2018年5月~11月 | 地元の小学校で非常勤職員として勤務 | |
2019年4月 | 協力隊員としてボリビアに赴任 | |
2020年3月 | コロナ禍により一斉帰国 | |
2021年3月 | 金融庁に入庁 |
学生時代から関心のあった国際協力に挑戦しようと、小宮山令子さんが11年間勤務した地元の信用金庫を退職したのは33歳の時。海外での生活経験もなかったため、まずは任期が短いボランティアを探し、独立行政法人国際交流基金の日本語パートナーズ派遣事業に参加した。そこで住民と同じ生活をしながら交流したいという思いを強くし、協力隊への応募を決めた。
隊員として派遣されたボリビアでは当初、サンタクルス県郊外の市役所に配属された小宮山さんだったが、赴任から半年ほどたった頃、大統領選挙をきっかけに国内で混乱が拡大。再選挙が決まる中、小宮山さんの任地は不測の事態に備えやすい中規模都市のタリハ県タリハ市に変更となった。同市では前任の隊員が取り組んできた環境教育を引き継いで活動することを予定していたが、これからという時に、新型コロナウイルスの感染拡大により帰国を余儀なくされた。
数カ月がたち、夏を迎えても再派遣の気配はなく、JICAからは契約延長の確認があったが「当時の私は36歳。先のことを考えると、延長は選べませんでした」と振り返る。そして就職活動に動きだした時に見つけたのが、就職氷河期世代を対象にした国家公務員採用試験の情報だった。
国家公務員になろうと考えたことはそれまで一度もなかった小宮山さんだったが、海外と関わることができ、かつ日本の役に立てる仕事をしたいという漠然とした思いは持っていた。
まずは筆記試験を経て、2次選考の面接に進む段階で各省庁のウェブサイトをチェックしてみると、どの省庁にも国際系の業務を担当する部門があり、海外との関わりがあることがわかった。この時に初めて「私のやりたい仕事は、もしかするとここにあるのかもしれない」と感じたという。
結果としては金融庁に入庁することになるのだが、実は一番抵抗を感じてい
たのが金融庁だった。信用金庫に勤務していた時代は内部監査を行う金融庁という存在に対していい印象がなかったというのがその理由だ。しかし、面接で小宮山さんの経歴に最も関心を示してくれたのが金融庁だった。「あなたの経験をすべて生かせる省庁はうちだけです」という面接官の言葉も決め手となり、小宮山さんは金融庁で働くことを決めた。
入庁後は国際室の業務に従事する傍ら、若手職員のアイデアを政策立案につなげる「政策オープンラボ」で、子どもの貧困問題に金融業界がどうアプローチできるか検討するチームにも所属している。「結果的に、私がやりたいことをすべてできるのがここでした」と、大きなやりがいを感じている。
契約期間内の再派遣が難しそうな中、転職サイトに登録したり、インターネット検索をしたりして求人情報をチェックしていました。国際協力に関わるような仕事ができればと思っていましたが、信用金庫に11年勤務していた経歴もあり、転職サイトから紹介される求人は、金融機関が中心。ただ、金融機関で再び働くつもりはなかったので、エントリーすることはありませんでした。
ネットで就職氷河期世代を対象にした国家公務員の中途採用試験の情報を見つけました。公務員になろうと切望していたわけではないのですが、コロナ禍で遠方に出かけづらい状況の中、気分転換も兼ねて上京できるという気持ちもあって申し込みました。
人事院による1次選考は、基礎能力試験と論文でした。公務員試験対策もしていなかったので不合格だと思っていたのですが、1カ月後に合格との連絡がありました。2次選考は志望する省庁による個別面接となるので、1次合格の連絡を受けて第1希望だった外務省のアポイントメントを取った他、金融庁と環境省、防衛省の面接のアポも取りました。
コロナ禍の真っただ中だったので、金融庁・環境省・防衛省はオンラインで、外務省のみ対面での面接に。後に、金融庁と環境省では対面による2度目の面接もありました。最終的に金融庁・環境省・外務省から内定を頂いて、どこへ進むか悩みましたが、金融庁の面接官の言葉が決め手となって金融庁への入庁を決めました。
所属先は国際室で、入庁から2年間は総務係、3年目からは国際協力係に配属されて、今はグローバル金融連携センターの運営を担当しています。センターはアジア諸国などの金融当局との協力体制の強化を目的とした部署で、新興国などの金融当局職員を日本に招聘し研修などのプログラムを提供しています。私が主に携わるのは、研修生のサポートやプログラムの運営といった業務です。また、政策オープンラボの検討チームでは貧困問題における金融分野の可能性についても議論しています。例えば日本で子どもの貧困への対策を打ち出せれば、それを好事例として各国の当局者に伝え、最終的には世界の国々の子どもたちを救うことができる。そんな夢を持っています。
帰国後は、誰もがこれから何をしようか悩みます。やりたいことが見つからない人もいると思います。ただ、皆さんに伝えたいのは、協力隊に参加することで、すでに一歩を踏み出しているということです。今の選択肢が違うと思えば、別の道に歩きだす力も、協力隊の経験者なら持っていると思います。だから、悩んでいる人は、まずは目の前に現れた仕事を、深く考えずにやってみるのもいいのではないでしょうか。遠回りになるかもしれないけれど、最終的にやりたいことにつながっていくこともあるはずです。
https://www.jica.go.jp/volunteer/obog/career_support/index.html
Text=油科真弓 写真提供=小宮山令子さん