ジャマイカ/環境教育/
2016年度2次隊・北海道出身
山口県北部に位置する阿武町。日本海に面する中心部から20kmほど内陸へと入った宇生賀地区で農家民宿・山平を運営しているのがOVの田代結香さんだ。帰国後に地域おこし協力隊員として移住し、2022年に宿を開業。コンセプトは「地域の暮らしや魅力を体験してもらう」ことだ。
学生時代から野外活動が好きで、自然の豊かな北海道の十勝で自然体験活動のガイドとして20代を過ごした田代さん。オフシーズンにはバックパッカーとして海外を巡る中で、道外での暮らしにも興味が湧き、小笠原諸島で仕事を見つけて移住。「父島に5年半ほど住んだのですが、OVが何人も移住していたり、住民の中から協力隊へ行く人もいたりしたことから興味を持ち、応募しました」。
環境教育隊員として配属されたジャマイカの農業青年クラブでの要請は、小学生にごみを使ったリサイクル工作などを教えることだった。ただ、図工自体があまり普及していない国で、田代さん自身の語学力の乏しさもあって常に困難を感じていた。そんなある時、語学の堪能な隊員がうまく活動を展開している様子を報告会で見た田代さんは、悔しさを感じると共に、何かが吹っ切れたとも振り返る。
「語学ができない以上、今持っているものを駆使して活動するしかない。気楽にやろうと、肩の荷が下りた気持ちでした」
体験や実践を通して注目を集めれば話を聞いてもらいやすいと考え、ペットボトルロケットの打ち上げ実演などを始めた田代さん。さらに、青少年キャンプのアクティビティで、個人的にも興味のあった草木染体験を実施したところ好評で、任期終了後もそうしたワークショップを仕事にする道はないかと、将来像を漠然と考えるようになった。
18年の帰国後は沖縄で中学校の支援員として働き、20年春に契約期間が切れるタイミングで観光業への転職を決めたところ、コロナ禍で就職の話が立ち消えてしまった。
「観光や体験プログラムを仕事にしたくても民間は当面だめだと思い、行政の仕組みを頼ろうと考えました。地域おこし協力隊の募集から『体験プログラム』で検索して、ヒットした自治体の一つが阿武町でした」
田代さんへの要請は22年開業予定のキャンプ施設の客に向け、町でできる体験活動を企画することだった。町役場でコーディネーターと活動を始めたが、よりローカルな場で人々と接しながら活動したいとの思いから、居を構えていた郊外の宇生賀地区で、役場の支所を拠点に単独活動するようになった。「まず自分のことを知ってもらうようにとの支所長の助言で、地域の活動に積極参加しました。地域を回ってみると、林業振興会が独自にキノコ採りイベントを催していたりとプログラムに生かせる資源が多くあるとわかりました」。
ただ、任期の2年間では十分に活動をやり遂げることはできなかった。宇生賀地区の土地柄が気に入ったこともあり、任期後も町に残ろうと決めた田代さん。自ら体験プログラムとセットになった宿を始めることを思い立った。
「住んでいる借家を活用して、以前から草木染のワークショップなどを行っていたのですが、民宿としても使わせてもらえないかと考えました。大家さんは偶然にも元協力隊員で、相談してみると、地域にお客さんを呼び込めるのはいいことだと賛同してもらえました」
地域住民からも食器や寝具を持ち寄ってもらい形を整え、23年6月に正式に山平を開業。地域を十分に“体験”してもらうため、最低2泊3日の期間で客を受け入れている。隣接する萩市の観光推進団体と連携してインバウンド客も招致すると、山奥の農村に外国人観光客が訪れるようになった。
「地域のお年寄りは、見慣れた水田風景や日本家屋が外国人観光客の興味を引くとは想像できず、最初は驚いていました。近頃は散歩中などに海外の人に会った時に対応できるよう、翻訳アプリを用意している方もいて、変化を感じています」
現在提供している体験プログラムは、野菜ソムリエ資格を持つ農家による料理教室や、伝統的な石見神楽の保存会による衣装着つけ体験などさまざまで、宿泊客の希望に応じ田代さんがアレンジする。「地域の人が得意なことでプログラムを提供し、適切な対価をもらえるWin-Winの関係です」。
今後に向けては、プログラムの体系を見直したりもしながら、宿の在り方をよりよくしていきたい考えだ。
「いずれは山平が地域と外部をつなぐハブとして、拠点的な場所になればいいと思います。ただ、私自身が楽しそうにやっていればこそ、楽しい人たちが集まってくると思うので、無理をし過ぎず軽やかに、のんびりやっていきたいですね」
1997年
生まれ育った苫小牧は大きな都市だったので、農業地帯というイメージの十勝に憧れて移り住みました。夏は川下りガイドや自然学校のスタッフを務め、オフシーズンの冬にはバックパッカーとして海外へ行く生活でした
2010年
縁あって島にアホウドリを呼び戻すプロジェクトに参加させてもらうなど、いろいろな体験をしました。協力隊に関係のある人が多くて興味を引かれ、年齢的にも今が行く時だと思い、応募を決めました
2016年
カウンターパートが忙しい人だったこともあって活動の連携が取りにくかったのですが、前任者が取り組んでいたコンポストを引き続きやりたいと希望していたので、そこから会話や協力を引き出すことができました
2019年
2020年
コロナ禍で面接もオンラインのみで、実際に赴任してから住む家を探すような状態。役場の人は「本当に来てもらえるんですか?」と赴任前から心配していましたが、乏しい現地情報の中でジャマイカへ行って暮らした経験のおかげで、私自身は楽観的でした(笑)
2023年
宿泊期間中は体験プログラムをやり放題の料金体系にしているのですが、きちんと対価を頂く意味でも、やり方は変えたいところです。宿の目の前には広大な水田が広がって風光明媚なので、プログラムを体験せず、ただ宿で何もせず過ごすお客さんも受け入れていこうかと考えています
Text=飯渕一樹(本誌) 写真提供=田代結香さん