ニジェール/保育士/1995年度1次隊・千葉県出身
「戦争で父親を亡くした少女が主人公の絵本」や「ルワンダのジェノサイドをテーマにした小説」など、フランス語圏アフリカ諸国出身の作家が手がけたさまざまな書籍を在野の立場で翻訳・研究する村田はるせさん。アフリカの多様な文化や社会について語り合う、月1回の「クスクス読書会」は今年で14年目を迎える。
アフリカ文学にのめり込んだのは今から30年前、協力隊でニジェールに派遣されたのがきっかけだ。短大卒業後、9年ほど東京都内の保育園で保育士として働いたが、「異なる文化の中に身を置いてみたい」と協力隊に応募。ニジェールの保育園で保育のプログラム作りなどに携わった。
子どもと接するのは楽しかったが、多い時には100人ほどの子どもたちを6、7人の保育士で世話することも。名簿作成や年齢ごとのクラス分けもままならず、保育士が給料未払いに対するストを起こしたり急に辞めてしまったりもして、「自分一人の力では限界がある」と感じた2年間だった。
「特に、同僚や母親など女性たちの考えや行動をなかなか理解できませんでした。夫の都合で離婚させられたりシングルマザーになったり、さまざまな困難を抱えていたと思いますが、深く聞けないまま日々が過ぎていきました」
そんな中、隊員連絡所で一冊の本を見つけた。セネガル人作家の短編集で、田舎から都会に出てきた農民の内面描写を通じ、現地の人々の物事の見方が垣間見えた。そして現地の慣習の下、意見や考えを自発的に語らない現地の女性たちの思いや葛藤が、少しわかった気がした。「文学は彼らの心の中を教えてくれる」。そう気づいた村田さんは、文学を通じてアフリカの人々をもっと理解したいと考えるようになった。
帰国後、復職・結婚を経て富山県へ移住。保育士の職を辞し、1998年に富山大学人文学部に進学した。フランス語能力を高め、フランス語で書かれたアフリカ文学を翻訳・研究するためだ。在学中に、コートジボワールを拠点に活動する作家、ヴェロニク・タジョさんを知り、その作品を読むようになった。「コートジボワール人の父とフランス人の母の間に生まれたタジョさんはアフリカ児童文学の発展に大きく貢献した人物です。彼女の取り組みの根底には、フランス人ではなくアフリカ人が書いた物語をアフリカの子どもに届けたいとの思いがあるそうです」。
現代に生きる伝統文化や社会問題、紛争などのテーマを、文学を通じて表現してきたタジョさんの挑戦に深く共感した村田さん。卒業後は東京外国語大学大学院に籍を置いて、アフリカの作家たちによる作品を読み込み、植民地時代から独立、現在に至るまで、彼らの視点から見た歴史や社会を研究した。「アフリカの作家であること」をテーマにタジョさんらの生い立ちや作品について考察した論文は日本では数少ない本格的なアフリカ文学論として評価され、村田さんは博士号を取得した。
2012年からは月1回、一般参加者を集めてアフリカについて学ぶ「クスクス読書会」を開始。本や報道などアフリカに関する情報を提供しながら参加者と語り合う時間を大切にしてきた。「人集めに四苦八苦した時期もありますが、『海外に出たい』『新しいことを知りたい』という人や研究者たちが参加してくれて定期的に続けています」。最近は、ノーベル平和賞を受賞したコンゴ民主共和国のデニ・ムクウェゲ医師の書籍を題材に開催して、紛争下で生きる女性たちの苦悩と、性暴力に苦しむ日本の女性とを重ねて議論を交わした。
「他者を通して自らを省みる。そのプロセスを積み重ねていくことが、生きやすい社会の実現につながるのかもしれません」と語る村田さんは、翻訳・研究の傍ら、絵本展も開く。西アフリカの出版社が発行した絵本を解説と共に展示する趣旨で、15年に富山市内の古書店で始めたのを皮切りに、20年のコロナ禍による中段も挟みつつ全国各地で9回開催。23年にタジョさんが来日した際は、講演会や読者との交流を手配し、滞在に付き添った。講演での「ジェノサイドは条件が揃えばどこでも起き得る」という彼女の警鐘は注目を集めた。
これまでに翻訳した絵本『アヤンダ』や小説『神(イマーナ)の影』は、いずれもタジョさんの作品だ。「モノに命が宿る世界観や、死者からの影響を受ける物語など、彼女の作品には見えないものを大切にする視点があり、それは日本人の心にも響きます。背景が理解できずうまく訳せない時もありますが、わかったフリはしない」と語る村田さん。これからも「わかろうとする努力」を諦めず、アフリカの人々の心情や背景にある社会と真摯に向き合っていく。
1986年
東京で保育士として働いていた当時、中国残留孤児のお孫さんとして帰国してきた子など外国につながる子どもと接する機会があり、文化や言葉が異なる人との向き合い方を考えるようになりました
1995年
JICAの技術協力プロジェクトの一環で、前任の協力隊員たちが立ち上げた保育園で保育士として活動しました
1997年
1998年
フランス語を訳せる力を身につけようと、結婚して移り住んだ夫の故郷・富山で進学。フランス語は協力隊以前の20代の頃から趣味で学んでいましたが、より深く学び始めました
2010年
2012年
2015年
展示する絵本を刊行した西アフリカの出版社の人が語った「大人は子どもたちに本を読めというけれど、アフリカを描いた本がなければ、子どもは、自分たちは本にする価値がない存在なのかと思ってしまう。だからアフリカの子どもが登場する絵本を出すのです」という言葉が印象的でした
2023年
東大の研究プロジェクトでタジョさんが招聘されて来日することになり、私も研究協力者として東京、京都、福島での講演や読者交流会などの準備に関わりました
2024年
北陸現代詩人賞奨励賞を受賞。アフリカを前面に打ち出した詩集ではありませんが、アフリカ文学の影響を受けていると思います
Text=新海美保 写真提供=村田はるせさん