ミクロネシア/考古学/
1991年度1次隊・奈良県出身
大洋州の島しょ国で急速に失われつつある伝統文化を記録し、後世に伝えていく――。30年以上前の協力隊時代に課題を見いだし、生涯続ける“本業”として取り組もうと、2014年にNPO法人パシフィカ・ルネサンスを立ち上げたのが、ミクロネシアOVの長岡拓也さんだ。同国最大の島、ポンペイ島にある巨石の人工島群「ナンマトル遺跡」の世界遺産登録に協力したことを皮切りに、伝統文化の記録・継承活動や歴史公園の整備計画の支援などに従事。中心的な活動として、伝統的な無文字社会の中で口伝されてきた昔話や歌謡などを高齢者から聞き取ってビデオに記録し、YouTubeで公開するプロジェクトなどに取り組んでいる。
「国際協力の中でも“飢餓や貧困に苦しむ人々を助けよう”といったテーマと比べると会員や支援金は集まりにくい分野で、応募できる助成金やJICAプロジェクトの枠組みも少ないのが実情です。職業的に取り組むなら一番近い職業は大学教員でしょうが、私がやりたいのは研究室や教壇を拠点とする研究者になることより、お年寄りが亡くなるたびに消えていくような昔話や古いしきたりを現場で聞き取って記録し、若い世代に伝えること。片手間ではなく本業としてやりたいのです」
そんな長岡さんは幼少期から古代の遺物に興味があり、大学では考古学を専攻した。「大学院に進学して日本で研究者になる道をイメージしていたのですが、大学の先輩から協力隊に考古学という職種があると聞きました。自分の知識と技術で国際協力できることが魅力でしたし、途上国を経験して人間的に成長したいとも思ったのが応募の動機です」。
配属先はポンペイ州土地局歴史保護文化課で、要請は1980年代に設立されたものの管理体制の欠如で閉館となった歴史文化博物館を復活させることだった。「伝統的な生活形態が残る離島を回って民具を集め、展示ケースのペンキ塗りや展示コーナー作りまで自分たちでする“手作り”の博物館でした。開館後は伝統文化の記録や講習会も行い、とてもやりがいのある活動をさせてもらいました」。
任地での暮らしの中で「現地人になり切る」ことを心がけた長岡さん。お年寄りらからの聞き取り調査も熱心に続けて伝統文化について多くの知識を蓄えたのに加え、日本人らしからぬ格好から、ホームステイ先のホストファミリーに「おまえはポンペイ人を超えている」と笑われたこともあった。
「自然と調和して助け合う伝統的な暮らしに、最初はカルチャーショックを受けたのですが、その心地よさにだんだん“はまって”しまいました。ただ、ミクロネシアでも若い世代が伝統文化に無関心な風潮が進み、元々無文字社会で多くの知識が口承であるため、受け継ぐ人がいなければすべてが消えてしまう。そうした伝統を記録して残すことは現地でもほとんど誰もやっておらず、自分の存在意義を感じられる仕事だと思いました。こうして私の人生は決定づけられました」
帰国後、母校の恩師から「今後も国際協力の活動を続けるなら、大学院で専門的な知見を身につけてからのほうが貢献できるだろう」と助言され、ニュージーランドのオークランド大学大学院に留学し、ソロモン諸島の考古学研究を行った。
「博士課程の途中で、寄り道的にミクロネシアの伝統文化を記録するプロジェクトなどにも取り組んだりして、16年間にわたって大学院に在籍していました」
2012年の博士号取得後、自らが目指す活動を続けるため、問題意識を共有する仲間とパシフィカ・ルネサンスを設立するに至った長岡さん。コロナ禍前までは年間のほとんどをミクロネシアで妻子と過ごし、NPO活動だけに専念していた。
「今は奈良県の実家に戻り、週に1、2回は国立民族学博物館で大洋州の民具に関するデータベース作りのアルバイトに就いています。パシフィカ・ルネサンスとしてやりたいことは山積していますが、特に優先順位が高いのは、伝統文化や歴史を現地の学校で教えるための教科書作りです。今後、クラウドファンディングにも挑戦したいです」
現在の正会員数は約20人だが、支援の確保や資金調達が一番の課題である状況は変わらず、毎年現地で活動できるのは長岡さん一人。ただ、現地人さえも驚くほど伝統文化や歴史に詳しい長岡さんには、長年の活動の積み重ねもあり、大洋州での活動や調査、映像制作などを企図する援助機関や民間企業、大学から協力依頼が集まってきている。
人当たりのよい性格と伝統文化継承への尽きない情熱、そして専門知識と実績。今や長岡さんは、世代や国境を超えて人と人をつなげる唯一無二のコーディネーターであり、地域の専門家となっている。
1968年
父親の転勤で小・中学校時代に東京都羽村市で過ごした時期がありました。縄文土器・石器などを近所の畑で拾えて、将来は考古学者になりたいと思いました
1987年
考古学の勉強に加えて、サイクリング部に所属し、野宿をしたり山登りをしたりと冒険的なことが好きでした
1991年
博物館の再開館後、考古学の分野よりも、今まさに失われつつある伝統文化を伝えることに重要性を感じ、伝統的な舞踊、機織り、帆走カヌーの建造技術の記録や講習会に携わりました
1996年
2012年に博士号を取得するまでいろいろ寄り道をしましたが、専門は大洋州地域の考古学と地域研究です。ミクロネシアとソロモン諸島を主なフィールドにしています
2014年
伝統文化を記録して後世に伝えることに専業で取り組む道がないことを大学院時代にずっと悩んでいました。なければ自分でつくるしかないという発想で、NPO立ち上げを決めました
2016年
ユネスコの依頼で、ヤップ島で使われている石貨に関連する遺跡の世界遺産登録のための記録技術を指導したこともありました。ユネスコの助成金で伝統航海術の記録とYouTubeへの公開も行っていて、この航海術や造船技術はその後、無形文化遺産に登録されています
Text=大宮冬洋 写真提供=長岡拓也さん