(バングラデシュ/サッカー/2023年度4次隊・神奈川県出身)
2025年8月、配属先のバングラデシュ国立スポーツ学院ダッカ校でサッカーを学ぶ青年16人を連れて日本を訪れました。6日間の滞在中、福岡県で開催された「東海サマーサッカーフェスティバル」で日本の高校生と交流試合を行ったほか、長崎原爆資料館の見学やプロサッカーチームの試合観戦もでき、実りの多い遠征となりました。
僕がサッカー指導のため赴任したのは24年5月のこと。政情不安で16年に隊員の派遣が中断されて以来、8年ぶりの長期隊員でしたが、国立スポーツ学院への派遣の歴史は長く、僕で28人目。30年以上前に初派遣された隊員の一人は僕の父でした。水泳隊員だった父に指導を受けた人もコーチとして在籍していて、バングラデシュに縁を感じると共に、プレッシャーを感じる面もあります。
赴任してまず苦しんだのがベンガル語で、これまでに派遣されてきた隊員と比較されてつらい時もありましたが、積極的に生徒と交流することで徐々に上達し、自分の意思を言葉で伝えられるように。ただ、指導しようにも課題は山積み。当初はきちんと練習に来ない生徒も多く、6人いれば多いほどだったのですが、諦めず地道にコミュニケーションを取りながら活動していたおかげで少しずつ人数が増え、今は20人以上に教えています。
実は、訪日の話が出たのは赴任してすぐの頃でした。初めは、僕の大学の同期が指導する日本の名門高校の生徒をバングラデシュに招いて交流試合を行う案だったのですが、実施時期や費用負担の折り合いが難しく、ならばこちらから連れていこうと、その友人経由で大会主催者に連絡を取りました。バングラデシュのサッカー界はまだ発展途上とはいえ、国立スポーツ学院は国内最高峰。国内では負けなしで、生徒たちのプライドも高い。だからこそ、世界と戦って、もっと経験を積むべきだと思ったのです。
日本遠征の第一歩となる学院長へのプレゼンは無事に許可が出たので、次は青年スポーツ省に予算申請を行いました。申請にはいろいろな部署のサインが必要になりますが、どこかで止まってしまう。そこを探し出して、その上の役職の人間から進めるよう言ってもらい、ようやく話が動くといった具合で、最初のプレゼンから、準備が整うまでに半年かかりました。
 苦労の末に実現した日本での交流試合は、3試合中、1勝1敗1分けと、日本チームを相手に予想以上の大健闘。狙いどおり、“負けた”という経験は大きく、生徒たちは日本の高校生が全力でプレーする姿勢に大いに刺激を受けたようでした。滞在期間中には佐賀県を拠点とするプロサッカーチーム、サガン鳥栖の試合も観戦しましたが、レベルの高いプロの試合はもちろん、スタジアムの雰囲気やサポーターの応援に圧倒されていました。「将来は日本でプレーしたい」「目標をもらった」といった声から、遠征は大きな意義があったと感じました。彼らの成長はもちろん、この企画の実現に向けて奔走する中で、僕のほうもコミュニケーション力やマネジメント力、巻き込み力が鍛えられ、多くの学びを得ました。
バングラデシュに戻ってからは関係者にお礼行脚をし、再び指導の日々に戻っています。僕の任期は26年4月までですが、これからはチームのさらなる強化や地方のジュニア世代の育成に取り組み、3月に福岡で行われる大会に、また生徒を連れていって任期満了を迎えられれば理想的です。僕がいなくなっても次につながる芽を残すことができたら、本当に悔いはないだろうと思います。
Text=池田純子 写真提供=田口 海さん