派遣国の横顔

トンガ王国トンガ王国

日本語と珠算教育を通じて日本文化を学ぶ
おおらかな国民性が隊員から愛される島しょ国

トンガ王国

トンガ王国の基礎知識

面積720㎢(対馬とほぼ同じ)
人口10万4,175人(2024年、世界銀行)
首都ヌクアロファ
民族ポリネシア系(若干ミクロネシア系が混合)
言語トンガ語、英語(共に公用語)
宗教キリスト教(プロテスタント、モルモン教など)

※2025年9月18日現在
出典:外務省ホームページ

派遣実績

派遣取極締結日:1972年4月18日
派遣取極締結地:ロンドン
派遣開始:1973年3月
派遣隊員累計:593人
※2025年9月30日現在
出典:国際協力機構(JICA)

トンガ王国
お話を伺ったのは
岡 裕子さん
岡 裕子 さん

JICAトンガ支所・企画調査員(案件形成・実施監理)。民間企業やNGOでの勤務を経て、1986年にトンガ人配偶者と共にトンガへ移住。89年から2006年までナショナルスタッフとしてトンガ支所に勤務。その後、大洋州やアフリカでJICA拠点の企画調査員を務め、20年から22年までJICA駒ヶ根訓練所にも勤務。24年1月より現職。

派遣国の横顔
JICAトンガ支所のナショナルスタッフの結婚式にてトンガの伝統衣装タオバラをまとった人たち。昔、離島から船でやって来たトンガ人が、トンガの王に謁見するために船の帆を切り、身体に巻きつけたことが始まりという説がある

   トンガへの派遣の特徴といえるのが、日本語教育と珠算隊員の派遣が長く続いていることです。その背景には先々代の国王タウファアハウ・トゥポウ4世の存在があります。昭和天皇との親交もあったトゥポウ4世は、トンガを豊かな国にしようと日本を何回も訪れ、日本に学ぼうとしました。

   1985年、日本政府の無償資金協力で、ババウ島で初めての公立高校となるババウ高校が建設されたことがきっかけとなり、教育省が日本語学習を導入したといわれています。翌86年、同校に日本語教育隊員が派遣され、その後、日本語教育は他校にも広がり、93年には日本語は高校卒業試験の選択科目になりました。

   また、珠算はトゥポウ4世の意向により、日本人の巧みな計算力をトンガの子どもたちに身につけてもらおうと導入されました。JICAは89年から、珠算隊員や珠算指導に関わる小学校教諭隊員をトンガに派遣しています。

   そのほか、73年の派遣開始当時から農林水産分野の隊員も継続して求められていますが、近年は日本での隊員確保が難しい面もあり、情報通信技術や防災分野の派遣が増えています。また、生活習慣病対策もニーズが高い分野です。

   隊員活動の積み重ねが表れた場面の一つが、2009年の在トンガ日本大使館の開設を記念するレセプションです。当時の国王、ジョージ・トゥポウ5世が隊員一人ひとりと握手をし、ねぎらいの言葉をかけられたのです。

   グローバル化が進む中でトンガの社会も変化していますが、私はぜひトンガ人が大切にしていることに目を向けてほしいと思っています。例えば、家族や人とのつながりです。日本人はよほどのことがない限り仕事を優先する傾向がありますが、トンガ人は逆に大事な仕事があっても、家族に何か問題が起これば家族のために時間を割きます。トンガ人と日本人、お互いが大切にしていることを理解し、認め合うことを通じて、つながりを深めていくとよいでしょう。

   トンガ人はのんびりしておおらかな人が多く、「日本人は真面目だし、時間を守る。それは私たちにはまねできないことだ」という評価をしばしば耳にします。また、トンガ人は、余計な口出しをすることは良くないという価値観を持っていて、相手のことを気にしていても、声をかけることは少ないです。でも、実は常に手を広げて待っていて、必ず受け止めてくれる人々です。活動でわからないことや悩み事がある時は、ためらわずに頼ってみてください。

教育現場で、村々のコミュニティで、
異なる価値観の中、奮闘した隊員たち

山屋頼子(旧姓 岸田)さん
山屋頼子
(旧姓 岸田)さん

トンガ/日本語教師/1994年度2次隊、SV/1998年度9次隊、SV/1999年度9次隊・北海道出身

大学在学中に日本語教師を志す。地元を離れて就職することも考えていたが、協力隊に日本語教師の職種があることを知り、異なる文化への興味から応募した。帰国後、大学院でトンガの歴史や文化を学んだほか、隊員としてもトンガに2回赴任した。現在は外国につながりのある子どもたちに日本語を教えながら、海外での経験を生かして彼らの良き理解者となっているほか、「NHKやさしいことばニュース」のアドバイザーとしても活動している。

ヤンチャな生徒に手を焼きつつも
活動を通じてトンガへの愛着を育んだ

派遣国の横顔
山屋さんは1回目の活動を通じてトンガが大好きになり、その後も2回、隊員として赴任したほか、2023年4月には他のトンガOVと共に「トンガOV会」を立ち上げた

   山屋頼子さんは、トンガの主島トンガタプ島から北へ約270kmのババウ島にあるババウ高校で、1994年から活動した。「日本語教師隊員は私で5代目でした。他教科の隊員も合わせて、多い時には5人同時に活動していた時期があるほど、日本人がいるのが普通という学校でした」。

   山屋さんは先輩隊員たちがつくり上げてきた活動を受け継いでいくことを目標にした。ところが実際に授業を始めると散々な状況となってしまった。

「私は新卒参加で教員の経験がなく、若くて体も小さいため、生徒たちは『遊び相手が来た』くらいに捉えたのか私の言うことを聞かずに騒いだり、互いにけんかを始めたり、クラスのコントロールがまったくできませんでした」

   状況を何とか改善しようとした山屋さんは、トンガ人教員を見習うことにした。すると黒板に教科書の内容を書き、それを書き取らせ、繰り返し唱和させる…という具合に時間を区切って習慣づけていた。練習問題の出し方も違っていた。

「トンガの先生は『あ、い、う…この次は何ですか?』という具合に、簡単にわかる出題を繰り返して覚えさせていました。私は最初から考えないとわからない問題を出していて、生徒たちをぽかんとさせてしまっていました」

   トンガ人教員が体罰を含めて生徒に厳しかったのに対し、山屋さんはそうできないことも一因だった。山屋さんは「授業を進められなくて先生方に頼れば、支援するどころか、余計に煩わせてしまう」と躊躇していたが、いよいよ手詰まりになり、意を決して校長に相談した。

   その女性校長は、普段から笑い顔を見せず、生徒だけでなく教員からも恐れられている人物だった。ところが相談してみると、「あなたは先生になったばかりなのだから、できなくて当然。もっと周りの人の力を借りていいと思う。私も協力するわ」と予想外の反応が返ってきた。

   校長は生徒に、「君たちは、わざわざ日本から来てくれた先生の授業で騒いで困らせている。それはとても良くないことです」と注意し、他の教員たちにも「ヨリコはまだ若くて経験が少ないから、助けてあげてほしい」と頼んでくれた。「トンガ人は、求められたら助けてあげたい、という心を持つ人が多く、校長も教員の方々も同様でした」

   生徒からは、家族や教会の行事があると招かれるようになり、山屋さんは積極的に応じた。そこで帰宅後の生徒の様子も見えてきた。女性のいる室内に男性は立ち入らないという文化があるため、男子は食事の時以外は外で遊んだり、薪割りなどの力仕事をしていることが多いのだとわかった。

「男子が宿題をやってこない事情がわかりました。責めることはやめ、なるべく授業の中で覚えてもらう方法を考えるようにしました」

   山屋さんはこの年代の生徒が外国語を学ぶことには、単なる科目の一つという以上に、大切な意味があると考えている。

「私が2年間の活動で教えられたのは、日本語専門の学校なら3カ月程度で覚えさせる内容にすぎません。それでも生徒たちにとっては、日本の文化に興味を持つきっかけになるかもしれません。日本語にはひらがなや漢字があり、文法も独特の決まりがある。こうした異なる言語や文化があることを知ってもらうことが大事ですし、将来、他の外国語を学ぶ時にも役に立つと思います」

伊藤有未さん
伊藤有未さん

トンガ/コミュニティ開発/2018年度1次隊・埼玉県出身

大学卒業後、釣具メーカーの海外営業部門で4年間勤務。途上国での活動に興味を持ち、休職して協力隊に参加。帰国後は復職して3年ほど勤務したが、学術的な面からトンガを知りたいと思うようになり、退職して大学院へ進学。現在は、大学院博士後期課程の学生として、国際移動をテーマにトンガからの季節労働者を対象とした地域研究を行っている。

“誰かのきっかけになる”ことを目標にして
目と足を使って生活習慣病対策に取り組んだ

派遣国の横顔
エウア島内の全15村を巡回した伊藤さんは、55問から成るアンケートのほか、BMI計測、クッキングデモンストレーションなどを行った

   成人の7割以上が肥満とされ、その多くが生活習慣病の罹患者かその予備軍といわれているトンガで、伊藤有未さんはコミュニティ開発隊員として生活習慣病などの非感染性疾患(以下、NCDs)対策に取り組んだ。配属先は首都があるトンガタプ島の南東40kmに位置する離島の農業・食糧・林業省(以下、MAFF)エウア支所。代々の隊員によって、住民への栄養指導やクッキングデモンストレーション、肥満度を表すBMI計測、エクササイズ、野菜の育苗や配布といった活動内容が、ほぼ形づくられていた。

   そうした活動にも取り組みつつ、まずは「トンガの人たちの生活を知る必要がある」と考えた伊藤さんは、カウンターパート(以下、CP)の協力を得ながら、島民の健康意識や食生活の様子に関する意識・実態調査に注力。約6カ月間かけて、全15村計122人分のデータを収集した。

   さらに伊藤さんは、島内でどの時期にどのような農作物が手に入るかを把握したいと提案し、島で唯一のマーケットに毎日通い続け、日々の農作物の有無や価格を書き留めていった。そうした地道で継続的な活動が配属先の支所長の目に留まり、「MAFFの四半期会議に出席して、農作物調査の結果を発表してみないか」と声をかけてもらった。会議への出席は、コツコツと続けてきたことを国レベルの会議で発表する機会をもらえただけでなく、MAFF職員との新たなネットワークづくりにもつながった。

   伊藤さんは、“誰かのきっかけになる”ことを目標に活動を続けた。「トンガの人たちには彼らの文化・風習があるわけで、食生活を変えてください、と強制はしたくありませんでした。例えば、『食事にトマトを入れてみよう』といった小さなことから取り組んでほしいとの思いで活動しました」。

   赴任から1年近くたった時期に任地で開催された農業祭では、懇意にしてきた地元の女性から、かごいっぱいの葉物野菜を見せられた。「これはあなたがくれた苗から育てたのよ」。非力ながら“誰かのきっかけになる”ことができたと実感でき、伊藤さんは大きな喜びを感じたという。

   また、フィジーで開かれた第1回大洋州NCDs広域在外研修への参加は活動の転機にもなった。大洋州各国で活動するNCDs関連隊員とそのCPが集結して、互いの活動について発表し、今後の目標を共有することで、隊員同士のネットワークが広がったことを含めて大きな収穫が得られた。フィジーでの研修を経験して、伊藤さんは「NCDs対策には継続が不可欠。トンガで第2回の研修を開催したい」との思いを強く抱いた。

   第1回研修に参加した同じ任地の看護師隊員に声をかけ、企画を考えることから始め、JICAトンガ支所の当時の企画調査員(ボランティア事業)とナショナルスタッフの力添えの下、第2回大洋州NCDs在外研修を実現させた。第1回研修では、伊藤さんは栄養士や看護師ではない自分には専門知識が足りないことが弱みだと感じた。しかし、第2回の準備を進める中で、看護師隊員から「大量のメールを同時にやりとりしたり、企画を立てることは看護の現場では少ないため、慣れない作業だ」と言われ、自身が調整や進行に徹することで力になれると気づいたという。

   帰国からコロナ禍を経て4年ほどたった頃、伊藤さんにパプアニューギニアの現役隊員から、「第2回研修の参加隊員の方々が作成したFacebookの活用を検討しているため、現在の利用状況について教えてほしい」との連絡があった。伊藤さんたち大洋州隊員の活動が、新たな“きっかけ”を生んでいた。

瀬下弘基さん
瀬下弘基さん

トンガ/珠算/2023年度3次隊・群馬県出身

小学校時代に6年間そろばん塾に通った経験があり、大学では英米文学科に籍を置き、フィリピンやインドネシアでのボランティア活動に参加した。卒業後、高校、通信制高校で英語教員として勤務。世界へ目を向ける大切さや、さまざまな進路があることを、自分の経験を通して生徒たちに伝えたいとの思いから、JICAと勤務先学校の民間連携協定の下で協力隊に参加した。

現場教員の声を拾い上げて
珠算のカリキュラム改訂のきっかけに

派遣国の横顔
巡回先の学校の教員と共に珠算を教える瀬下さん。「多くの先生方と話せたことは大きな成果でした。長い目で見て授業に良い変化を起こせれば嬉しいです」

   1970年代後半に国王トゥポウ4世の働きかけをきっかけに導入が進められた珠算教育。現在は公立小学校の1~4年生のカリキュラムに組み込まれているが、さまざまな課題も存在する。

   2024年2月からトンガタプ島にある教育訓練省の学習指導課に配属された瀬下弘基さんは、小学校教育チームの「そろばんユニット」で、現場での教員経験がある職員3人と共に活動した。要請は、島の東地区の小学校22校を巡回し、珠算や算数を担当する教員を指導することだった。

   巡回を始めると、複数の課題が確認できた。まず、珠算の授業が行われていない学校がいくつもあった。公立小学校では月~金曜日に算数が組み込まれており、本来は授業の冒頭15分は珠算が行われているはずだった。「教員自身が珠算をしっかり身につけていないため自信を持って教えられず、敬遠しているケースが多かったです」。

   さらに教員たちの話に耳を傾け、現場の状況を見る中で、カリキュラム自体の問題にも気づいた。

「珠算の本来の目的は、数字に親しむことや、数字の概念を理解することです。ところが教育省が理想を求めるあまりか、内容が難しいのです。現場の先生たちは、『難しすぎる』『児童に理解させるのは無理』と感じていましたが、それを上に伝えることもできず、教える意欲が下がっていました」

   例えば、10の位の概念が理解できていない1年生に2桁の計算をさせたり、足し算や引き算が理解できていない段階で、掛け算や割り算を教えるというカリキュラムになっていた。瀬下さんが現場の声を踏まえて問題点を指摘すると、そろばんユニットの同僚たちは、「気づいていなかった」と提案を受け入れ、上長にかけ合ってくれた。すると、すでに年度半ばだったが、瀬下さんの問題提起がきっかけとなり、全国の公立小学校の珠算教育の指導要領が大きく改善されたのだ。

「小さい国だからということもあると思いますが、年度途中での変更には、私も驚きました。同時に、それだけ重要な教科に関わっているという責任感も感じました」

   瀬下さんは教員たちに、クラス全体だけでなく、個々の児童をきめ細やかに見ることの大切さも伝えた。

「『この児童は、どこまで理解できている?』と聞いてみると、把握できていない教員が多かったのです。『授業で教えているから理解しているはずだ』と言うのですが、テストの結果を見るとそうでないことは明白でした」

   多くの教員と話をし、児童一人ひとりの理解度に合わせたフィードバックが必要なことや、効果的な珠算の教え方など、一人の教育者として伝えた瀬下さん。「『あなたが来たから気づくことができた』と言ってくれる人もいて、教員たちの背中を押すことはできたのではないかと感じています」。

   一方で、授業に臨んでいる児童たちは楽しそうだった。「皆、身を乗り出して、一心にそろばんをパチパチとはじいていました。教材を使って視覚的に数字を操ることが興味を引くのだと思います。そろばんを始めて算数が好きになった、という声も聞きました。国の将来を支えていく子どもたちに、珠算教育が良い影響を与えてくれると嬉しいです」。

活動の舞台裏

トンガ人は海外への出稼ぎが一般的

   国内の経済規模が小さく働き口が限られるトンガでは、多くの一般家庭が国外に移住した親族からの仕送りに依存しているのが実情だ。
   トンガ人と結婚したJICAトンガ支所の岡 裕子さんの場合も、義姉がニュージーランドで福祉関係の仕事に就いている。母親や父親が海外で働いている場合、子どもは、祖父母や親戚が面倒を見ることが多い。「寂しいとは思いますが、もともと大家族で一緒に生活しているので、助け合って日々を送っているようです」と岡さん。
   1990年代に隊員だった山屋頼子さんによると、子どものいない女性が、「高齢になった時、世話してくれる人がいるとありがたい」と親族の子を養子に迎えることもあるという。数年前に山屋さんがトンガを再訪した際には、活動中は高校生だったホストファミリーの子息が、現在はニュージーランドで働き、生みの親と育ての親の双方に送金し、家の改築費用も出していると聞いた。「本当に家族を大切にしていて、そこまで立派に育ったのだなと感無量でした」。

派遣国の横顔
岡さんのトンガの家族。キリスト教の洗礼式のため伝統的民族衣装のタオバラを着用している

Text=三澤一孔 写真提供=ご協力いただいた各位