地域や若者の支援に取り組む
社会貢献事業コーディネーター

丹羽俊策さん

インドネシア/コミュニティ開発/2014年度3次隊・愛知県出身

丹羽俊策さん

海外から日本国内の課題へと目を転じ
得意な新規事業立ち上げで手腕を発揮

派遣から始まる未来 先輩たちの社会還元
フリーランスの丹羽さんにとって、自身の取り組みを団体や組織に紹介することも重要な仕事。写真はJICA中部での打ち合わせの一コマ

   2026年秋に愛知県で開催されるアジアパラ競技大会のレガシー(※)形成のコーディネーターをはじめ、子ども・若者支援のネットワークづくり、認定NPO法人アジア車いす交流センターの日本国内事業創出のサポートなど。今年の夏にフリーランスの社会貢献事業コーディネーターとして開業し、まさに八面六臂の活躍を見せる丹羽俊策さん。

   以前は社会課題解決に取り組む団体の職員として、さまざまな新規事業を立ち上げ、成果を上げてきた。その実績を知った人たちから、「こんな事業を始めたいのだけれど、請け負ってくれないか?」といった声が増えたことから、フリーランスとして組織の枠を超えてチャレンジしようと決断したという。「ゼロから事業を立ち上げる」という丹羽さんの最大の強みが培われたのは、協力隊時代だった。

「コミュニティ開発隊員としてインドネシアのスラウェシ島マロス県の組合・産業・商業局に配属されました。当初の要請はトウガラシ生産農家組合が抱える課題を分析・解決するという内容でしたが、その組合と連絡が取れなくなったため、着任早々に要請が白紙に。そのため自分で何か探さなければ活動自体が始まらない状況でした」

   そんなある日、任地で小さな会社を営むインドネシア人の社長が、地元の名産であるショウガを日本で食べられている“ガリ”(ショウガの甘酢漬け)に加工し、「日本に輸出したい」と配属先に持ってきた。

「カウンターパートにそれをできるかと問われて『とにかくやってみます』と答えて着手しました」  しかし、取引条件など、調べれば調べるほど輸出の壁は高いことがわかり、結局インドネシア国内で販売することに。丹羽さんはまず市場調査と分析に取りかかった。

   しかし、取引条件など、調べれば調べるほど輸出の壁は高いことがわかり、結局インドネシア国内で販売することに。丹羽さんはまず市場調査と分析に取りかかった。

派遣から始まる未来 先輩たちの社会還元
協力隊活動で最初に手がけたのは、任地の特産のショウガを使った加工食品をスーパーで販売することだった

「調べていくと、ガリは中華街の近くにあるスーパーで扱われていることがわかりました。スーパーで競合他社の製品の隣に置いてもらえるように交渉し、デザイン隊員の力を借りて、日本らしいパッケージデザインを作り、店頭に置いてもらいました。インドネシア人は、酸味があるものを腐っているものと捉えるので、それを和らげるため、ナシゴレンの具材にしての試食販売なども行いました」

   評判は上々だった。販売が軌道に乗ったタイミングで、丹羽さんは社長に託した。その後も女性組合の手工芸品講習会の支援や、他の隊員や日本人会のメンバー、日本国領事事務所による日本文化紹介など、さまざまな活動に関わった。

   そうした活動の中で鍛えられたのは、コミュニケーション能力や交渉能力だったという。

「支援する相手との意見のすり合わせに苦労しました。例えば、私は他の地域や都市部へのガリの商品展開を提案しましたが、社長は自分で取り組みたい意思が強かった。そもそもガリの生産過程に特徴を見出そうと聞いても、企業秘密で教えてもらえませんでした。そうした支援先の考えと、自分の考えを調整しながら着地点を探ることに苦心しました」

   帰国してからは認定NPO法人アジア車いす交流センターを経て、一般社団法人草の根ささえあいプロジェクトに入職し、子どもや若者支援の事業創出に携わった。そこで、協力隊員としてゼロベースから取り組んだ経験が役に立った。

派遣から始まる未来 先輩たちの社会還元
丹羽さんは女性組合への支援では、手工芸品作製の講習会を提案し実施へと導いた

「事業の立ち上げで大事なのは、財源をどうするか、誰が担うか、問題点は整理できているかなどのディテールを丹念に確認すること。また、“やりたいこと”と“やるべきこと”の区別を途中で混同してしまわないよう、ゴールを明確にしておくことが重要です。私はゼロを1にする手伝いはできますが、その1を継続させるのは主に地域の方々です。そのため、私が去っても地域にしっかり根づく事業として組み立てることを常に意識しています。これも協力隊時代に学んだことです」

   帰国後の活動を通じて、丹羽さんの視点は国際協力の世界から国内の社会課題に移った。現状は開発途上国と同様に、日本にも深刻な社会課題が多いという。

「日本では地域のつながりが希薄化していて、子どもが大人に対する信頼感を得られないまま成長していく。すると、大人や友人など誰かに頼ることがなかなかできず、孤立していく子がますます増える気がします。高齢者の孤独死も地域のつながりの薄さを表していると思います」

   さまざまな取り組みを進める中で、丹羽さんが大切にしてきたことは、人との縁だという。

「現在の活動も、10年来の協力隊の知り合いを含め、多くの方々とのご縁から成り立っています。いただいたご縁の中で、自分にできることを全力でやっていこうと思います」


※レガシー…国際イベントなどを通じて、新たな国際交流の形や社会貢献の事業を自治体の中で長期的に創出していくこと。



丹羽さんの歩み

Text=池田純子 写真提供=丹羽俊策さん   プロフィール写真=グリフィス 太田朗子さん