グローカルを体現する甘楽・富岡に

関わる協力隊員たち

日本の地方から多文化の懸け橋に!   地域とつながる協力隊員
髙野一馬さん

技術補完研修で過ごした甘楽・富岡に戻り、
衰退する農業を支える

髙野一馬さん

モザンビーク/野菜栽培/2006(平成18)年度2次隊・宮城県出身

日本の地方から多文化の懸け橋に!   地域とつながる協力隊員

   群馬県高崎市からローカル線で約30分。県南西部に位置する甘楽町から富岡市にかけての“甘楽・富岡地域”は、何人ものOVが移住している土地だ。各国からのJICA研修員を長らく受け入れていて、近年では協力隊合格者の「グローカルプログラム(派遣前型)」の実施地域の一つにもなるなど、昔ながらの城下町や農地の中に国際性が息づいている。そうしたグローバルとローカルの交錯する地域で、さまざまな立場の人々の人生もまた交錯し、関わり合っている。

   この地域に関わる協力隊関係者が口をそろえるのは、海外との交流が活性化した原点には、2025年に他界するまで20年間町長を務めた茂原荘一さんや、OVで群馬県出身の矢島亮一さん〈パナマ/村落開発普及員/1998(平成10)年度3次隊〉が立ち上げたNPO法人自然塾寺子屋の存在が大きいということである。

日本の地方から多文化の懸け橋に!   地域とつながる協力隊員
現在働いているインドネシア人の青年と髙野さん。「高齢化や離農が進む中、私が地域の農地を守らなければという気持ちもあり、人手を増やして規模拡大に動き始めました」

   09年に甘楽町で就農して髙野農園を営む髙野一馬さんは、まさに自然塾寺子屋を通じて移住したOVの第1号。現在は長ネギやタマネギ、ナスを中心に町内数カ所の土地を借りて栽培しており、若手農家として町からも地域農業への貢献を嘱望されている人物だ。10月中旬に現地を訪ねると、特定技能外国人として雇用している2人のインドネシア人青年と共に、午後に予報されている雨の前にどれだけ長ネギを収穫できるか相談していた。今夏には雹や竜巻の被害もあったが、「髙野農園はハウスではなく、すべて露地栽培。天気との駆け引きを面白く思って取り組んでいます。天候悪化の前に見込みどおり作業できると、勝った!と嬉しくなりますね」と屈託なく笑う。

   髙野さんが初めて甘楽町を訪れたのは、協力隊派遣前の技術補完研修(※)の時のこと。自然塾寺子屋による受け入れの下、6カ月間にわたって地元農家の指導を受けた。その後、赴任したモザンビークで見たのは、少雨による不作が人々の生死に直結する状況だった。

「『食べる』ということがすべての基礎になるのだと実感させられる経験でした。任期を終えて帰国した時、後継者不足などに苦しむ日本の農業に携わりたいと考えたことから矢島さんに相談。技術補完研修で過ごした甘楽・富岡地域に愛着もあり、4年ほど自然塾寺子屋で働きながら、ここでの就農を模索しました」

日本の地方から多文化の懸け橋に!   地域とつながる協力隊員
ナス畑の様子を見る髙野さん。写真奥のビニールハウスの場所も人から借りていて、出荷する野菜の選別やパッキングを行っている

   元来、外国人も含めたよそ者に寛容な傾向の地域とはいえ、土地を借りて就農するのはハードルが高かった。それでも、茂原町長(当時)や技術補完研修時代に関わった農家の人たちなど支えてくれる協力者もおり、それがこの地の魅力だと話す髙野さん。最近では規模拡大に本腰を入れようと特定技能外国人を2人雇い、年内にもう2人受け入れる予定だ。また、長年つき合いのあるブラジル人女性とその娘にも働いてもらっている。

「協力隊経験があるおかげで、外国人と共に働くことには何の抵抗もありません。彼らの力を借りて、自分の目指す経営を実現したいと思っています。OVとしては、自分が異国で経験した生活の不安などを思い出すと在住外国人の抱えるストレスも想像しやすいので、心の支えになっていきたい。近隣でも外国人労働者が増え、マナーや習慣の面で日本人とのあつれきが生じていますが、きちんと理解が得られるまで繰り返し伝えることが重要です。少なくとも私のところで働いてくれる子たちには伝えるべきことは伝えてお互いの文化を理解し、力を合わせてやっていきたいです」


※技術補完研修…協力隊合格者のうち一部の対象者に向け、実務的な技術・技能の向上や教授法取得のためJICAが実施していた研修。現在は廃止されている。

佐藤 愛さん

甘楽へ来たOVたちに刺激を受け
甘楽から飛び立った隊員

佐藤 愛さん

パラグアイ/環境教育/2023年度3次隊・群馬県出身

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学校を訪ねて環境教育に取り組む佐藤さん。「日系人と非日系パラグアイ人などさまざまな文化の人たちがごちゃまぜの環境で活動することが面白いと感じています」

「私が協力隊に参加したきっかけは、自然塾寺子屋や髙野さんたちOVからの影響が大きいです」。そう話すのは、甘楽町の職員として現職参加し、パラグアイで活動中の佐藤 愛さんだ。甘楽町に生まれ育ち、自身について“甘楽をほぼ出たことのなかった人間”と評する佐藤さんだが、中学生時代にイタリアでホームステイしたことがある。その時に「国際関係の仕事もいいな」と感じたが、他方で教育への関心もあったことから保育の短期大学へ進み、地元の町立幼稚園・保育園で勤務してきた。

   そんな佐藤さんだったが、地域の集まりで偶然、矢島さんや髙野さんと知り合ったのが10数年前。地元で外国人への研修やイベントなどの面白い活動をしている人たちがいる、というのが最初の認識で、後に協力隊の経験者たちだと知る。短大の学科長(当時)がOVだったことも興味を惹いていたが、身近でOVと出会えたことが協力隊との距離をぐっと縮めた。その後は、自然塾寺子屋のイベントなどに参加する中で、自身も協力隊へ行きたいという思いを醸成させていった。一度は現職参加が決まったものの諸事情で見送りとなり、2022年に勤めていた町立幼稚園・保育園が民営化になった折に再挑戦。町とJICAの連携派遣協定の下、パラグアイの日系移住地であるイグアス市への赴任が決まった。

日本の地方から多文化の懸け橋に!   地域とつながる協力隊員
イグアス市にある「Michi no eki」。甘楽町の道の駅を参考にしたもので、パラグアイから同町への視察も行われている

   配属先である市役所の環境課では幼児教育の経験を生かして学校での環境教育に力を入れ、同僚らに教材作りのアドバイスをしたり、市のイベントで小物作りを交えたワークショップを行ったりしている。現職の甘楽町職員として、町の図書館とイグアス市役所をつないだスペイン語の読み聞かせなども実施したが、「日本と12時間の時差があり、両国の子どもたちが同時に参加するような交流活動は難しいです」と苦笑する。今後は相互の学校でのビデオレターのやり取りなど、時差の影響が少ない取り組みを計画している。

   赴任前に茂原町長(当時)からかけられた“子どもに夢を、大人に元気を”という言葉を胸に、自分が挑戦する背中を見せたいと話す佐藤さん。年明けの26年2月に任期を終え、甘楽町に復職する。

「身一つでパラグアイの社会に飛び込んだことで、相手の文化に興味を持つことや一緒に時間を共有することなど、異文化の人々との関わり方について多くを学びました。甘楽・富岡地域で働く外国人が増える中、地元の友人・知人からも職場の外国人への接し方を相談されることがよくあるので、帰国後は協力隊経験を生かして、少しでも地元社会のためのサポートをできればと思います」

Text&Photo=飯渕一樹(本誌) 写真提供=ご協力いただいた各位