
コロンビア/コミュニティ開発/2015年度3次隊、
ペルー/青少年活動/2016年度8次隊・沖縄県出身
JICA沖縄の国際協力推進員。沖縄県に生まれ、父方がペルーのルーツを持つ家庭で育つ。2016年より協力隊員としてコロンビアおよびペルーに派遣され、紛争被害者支援や児童学習支援に携わる。JOCV枠UNV制度を活用し、22年から24年まで国際連合開発計画(UNDP)メキシコ事務所で平和構築・コミュニティレジリエンススペシャリストとして活動。25年より現職。
3回目の挑戦でUNVの合格をつかんだ徳森りまさん。その歩みをたどると、節目にはいつも自分のルーツを見つめる視点と「悲しみのない世界をつくりたい」という思いがあった。
父がペルー出身の日系3世、母が沖縄県出身。幼い頃、家にはペルーの民芸品や移民先の写真が並び、親戚同士の集まりではスペイン語が飛び交っていた。父の仕事で幼少期をウルグアイとブラジルで過ごし、8歳で沖縄に戻った時、同級生から「帰れ、ブラジル人」と心ない言葉を浴びせられたこともある。海外にルーツを持つ家族の子どもとして育ち、アイデンティティに葛藤する日々だったが、大学時代に南米の日系人留学生らと出会ったり、休学して世界を旅する中で、ペルーにルーツを持つことを誇りに思えるようになった。
琉球大学で政治学を学び、早稲田大学大学院では移民の研究に没頭。大学院修了後は沖縄のNGOに勤務し、県知事が国連で演説するためのプロジェクトを手伝った時に国連人権理事会を訪れ、「沖縄から世界へ発信できる人になりたい」と決意した。
協力隊員としてコロンビアに派遣されたのは2016年1月。50年以上にわたる国内紛争が続いたコロンビアの中でも激戦地だったグラナダ市役所に配属され、沖縄戦や沖縄の平和教育を伝える活動などを通じて、紛争被害者の支援に携わった。当時、コロンビアでは平和に向けた国づくりが進められており、紛争被害者支援のための法整備や復興施策が国際機関の協力を得ながら進展していた。そうした中、役所の職員が町を巡り、音楽やゲームを取り入れた手法で住民に新しい制度を分かりやすく知らせるアウトリーチ型の取り組みに触れ、大きな感銘を受けた。
「日本が導入できていない仕組みや取り組みができていることに驚きました。平和について伝えようと思っていたのに、実際は学ぶことのほうが多くありました」。後にUNVの選考で面接官が深く共感したのもこの時の経験だったという。
その後、治安の悪化によりコロンビアを離れ、ペルーのリマ市に派遣された。「きっと祖先が呼んでいる」と不思議な縁を感じたのは、自身の名前の“りま”の由来となる土地だったからだ。南米最大級の児童養護施設で学習支援員として情操教育支援などに取り組んだ。他国からのボランティアも多数いたため、自身が取り組む課題の模索や、同僚との信頼関係づくりなど、ゼロからの再スタートに苦労した。
週末は日系人会や沖縄県人会の活動にも参加し、ペルーの徳森さんの親族に会うこともできた。日系社会では沖縄出身者が多数を占め、沖縄戦を体験してトラウマを抱えたままの人もいることを知った。それは「マイノリティの視点から戦争や平和を考えるきっかけになった」と振り返る。
帰国後は、沖縄の自治体のコンサルタントや外務省の国際平和協力調査員などを経て、22年4月に大学院博士課程へ進学。同年7月、3度目の挑戦となるJOCV枠UNV制度に応募した。
「1回目は不合格、2回目はUNVのほうからオファーがあったものの、専門分野でない難民に関わるポストだったためうまく合わず、3回目でようやく合格しました。面接を英語ではなくスペイン語で受けて、自分らしくコロンビアでの経験を話せたことが大きかったと思います」
派遣先は、国際連合開発計画(UNDP)メキシコ事務所。効果的なガバナンスと民主主義の実現を目指すユニットで、平和構築分野を担当した。若者と農家の支援、ジェンダー調査、ビジネスと人権に関する研修の企画・運営など、多岐にわたる業務に携わり、「協力隊時代に培った調整力やつながりを構築する力が役立った」と話す。
「最初は、人間関係の構築が十分でない中で、企業を相手に“人権”などの踏み込んだ話をしなければならないので嫌がられましたが、まずは親しくなることから始め、信頼を得ていくことを目指しました。少しずつ環境を整えながら課題を発見し仕事を進めていくプロセスは、協力隊時代に鍛えられたと思います」
仕事の範囲が広く、プレッシャーもあったが、UNDPならではの働きやすさも印象に残っている。
「ワークライフバランスに配慮した休暇やカウンセリングなど福利厚生が手厚いだけでなく、女性の権利に関する研修では、日本では嫌がらせやいじめとされるような行為や言動も『ジェンダーに基づく“暴力”』として扱われることは、さすが国連だと思いました」
一方で、もっと同僚と良い関わり方ができたかもしれないとも振り返る。成果を急ぐあまり同僚の気持ちに十分に寄り添えず、関係がぎくしゃくしてしまった時期があったからだ。
「次のポストが決まってからのほうが気持ちに余裕ができ、うまく付き合えるようになりました。先のことを考え過ぎず、もっと目の前の人間関係を大切にすべきだったと反省しました」
25年1月から、JICA沖縄で国際協力推進員として勤務に就き、多文化共生をテーマに、外国とつながりのある子どもたちの支援や受け入れ体制の強化に注力している。
「私自身が沖縄でマイノリティとして過ごし、悩んできた経験があるからこそ、似た境遇の子どもたちの力になりたいと思っています。これまでの経験のすべてがつながっていると感じられ、毎日、やりがいがあり、幸せです」
UNVでは成果よりも、一緒に働く仲間と協力し合う姿勢が重視されるため、面接では人柄を理解してもらうことが大切です。私は3回目の挑戦だったこともあり、「面接の機会をいただけて感謝」と気負わずに臨めました。協力隊での経験について「むしろ学ぶことのほうが多かった」と率直に話した時、面接官に“対等なパートナーとして働けそうだ”と感じてもらえたように思います。語学力に不安を感じている人もいるかと思いますが、私はスペイン語のスコアを持っていません。語学の点数よりも、自分らしく筋の通ったキャリアを自分の言葉で説明できることが大事だと思います。
Text=秋山真由美 写真提供=徳森りまさん