国連機関で活躍したOVたち

東日本大震災を契機に
日本の防災技術の高さに着目し
協力隊、国連機関で活動の軸に

丸山絢子さん
丸山絢子さん

フィリピン/村落開発普及員/2010年度4次隊、
短期/モンゴル/コミュニティ開発/2013年度9次隊・神奈川県出身

国際連合工業開発機関(UNIDO)プログラムアシスタント。2011年、大学院で国際開発の修士を取得し、同年3月から協力隊員としてフィリピンで活動。その後、短期派遣でアジア開発銀行(ADB)モンゴル事務所、JICAモンゴル事務所の企画調査員(企画)などを経て、21年に国際連合開発計画(UNDP)バンコク地域事務所の災害リスク管理オフィサーとして活動。24年より現職。

隊員へのメッセージ

国連ボランティアとしての活動は特別な人だけの舞台ではありません。協力隊経験がある時点で、その国の事情や課題を肌感覚で理解しているということです。それは、国連機関でどんなポジションに就いても必ず強みになります。迷っている人にこそ、挑戦してほしいです。

国連機関で活躍したOVたち
協力隊時代に活動で離島を訪問するため、ボートに乗り込む丸山さん

「協力隊に比べたら、どこも大変じゃない。そんな根拠のない自信がありました」と笑うのは、JOCV枠UNV制度を活用し、国連ボランティアとしてバンコクで活躍した丸山絢子さんだ。現在は国際連合工業開発機関(UNIDO)東京投資・技術移転促進事務所で、日本企業が持つ防災や環境技術をアフリカを中心とする途上国に移転する事業に携わっている。防災の専門教育を受けたわけではないが、キャリアの軸を防災分野に向けてきた背景には、2011年の東日本大震災での体験がある。

   大学院で国際開発を研究した丸山さんは、「草の根レベルの活動がしたい」と協力隊に参加することを決意。二本松青年海外協力隊訓練所での派遣前訓練を終えた3月11日、二本松駅から郡山駅へ向かう途中で被災した。同期隊員たちはすぐにそれぞれの専門を生かしてボランティア活動を始め、自らもスーツケースの中から衣類を取り出して必要な人に差し出した。未曽有の混乱の中でも秩序を守り、自分のできることを探しながら冷静に行動する人々の姿を目の当たりにし、「日本人の防災意識の高さ」を強く実感したという。

   約半月後に赴任したのは、フィリピンの沿岸にある小さな漁村だった。台風などの災害が多いために生活は貧しかったが、人々は陽気で温かかった。丸山さんはここで住民の生活向上を支援する活動に取り組んだ。現地の人々と暮らしながら、要望に応じて震災の経験を話したり、地域の人と避難訓練を実施したり、日本の学校の防災訓練を紹介した。そうした活動を通じて、「日本での経験や知識を共有することが他国の人々の命を守ることにつながる」という確信を得て、丸山さんの中に“防災”というテーマが浮かび上がった。

国連機関で活躍したOVたち
UNDPアジア太平洋地域事務所の活動でインドネシアの学校で津波避難訓練を行った時の様子

   その後、短期派遣でアジア開発銀行(ADB)モンゴル事務所での活動を経て、JICAモンゴル事務所に勤務し、地震対策プロジェクトの評価や都市防災に関する研修の開催などに携わった。そして21年12月、JOCV枠UNVにチャレンジ。タイのバンコクにある国際連合開発計画(UNDP)アジア太平洋地域事務所の「アジア太平洋地域学校津波対策プロジェクト」で災害リスク管理オフィサーの募集があり、応募した結果、採用された。

「毎年6月頃になると、JOCV枠UNVの募集情報をチェックしていましたが、防災分野の募集はめったにありませんでした。JOCV枠で、しかも各国事務所を束ねる地域事務所という環境は、アジア太平洋の広い範囲で防災の知見を深めることができ、やりがいがありそうだと思いました」

   早速JICAへの申請を行い、事務局のウェブサイトから応募したところ、オンライン面接の案内が届き、面接から約2週間後に合格通知のメールが届いたという。

   国連ボランティアとしての主な任務は、アジア太平洋地域の学校における津波対策の強化。24カ国の学校の生徒、教員、管理者など15万人を対象に津波避難訓練を実施する大規模なプロジェクトだ。しかし、20カ国以上の担当者と連携しながらプロジェクトを進める緊張感と心理的ハードルは高く、当初は自分の立ち位置をつかめず、戸惑いも大きかった。そんな時、上司の一言が丸山さんの意識を変えた。「私はいつも『国連ボランティアの丸山です』と名乗っていましたが、ある時、上司から『契約形態を気にする必要はない。あなたはプロジェクトをマネージメントする者として言うべきことを言わなければならない立場だ』と指摘されたのです」。

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タイのクラビ島で小学校の津波避難訓練を視察した時の児童たちと丸山さん

   必要なのは肩書ではなく、自分の役割と責任を果たすこと。国連機関は、能力と意欲さえあれば、雇用形態に関わらず、どんどん仕事を任せてもらえる文化だと実感したという。国籍も年齢も立場も専門性も違う多様なメンバーと率直に議論を交わし、協働する醍醐味を味わう一方、国ごとの優先順位や価値観の違い、合意形成の難しさなどに直面することもあった。それでも、柔軟に乗り越えることができたのは協力隊経験があったからだ。

「例えば、スタッフから停電でオンライン会議に出られないと言われても、まあ、そういう時もある、と受け止めることができました。成果を焦らず、現地の事情や相手のやり方を尊重しながら進めることができたのは、フィリピンで現地の人と生活した経験があったから。協力隊で培った力は、UNDPでの活動でも生きました」

   24年7月からは、UNIDO東京事務所で新たなキャリアを踏み出した。それも、国連ボランティアとしての経験を通して、日本の技術力の高さや防災分野の知見が十分に世界に知られていない現状に気づいたからだという。

「日本の企業や社会が培ってきた防災の見識はとてもユニークで、途上国の課題解決に役立つものが多くあります。自国の技術を他国の持続的発展に生かすことは、日本にとっても刺激になるはずです。まだ知られていない日本の技術を発掘して、開発途上国のニーズとつなげることで、より多くの命を守りたいと考えています」

   協力隊で培った現場感覚、国連ボランティアで磨かれたマネジメント力、多様な国際機関での経験から得た広い視野。そのすべてが丸山さんの現在と未来へつながっている。

合格のコツ

オンライン面接では、「何ができるのか」「これまでの経験がこのポジションにどう生かせるか」などの質問があったと記憶しています。後に、上司になぜ私を選んでくれたのか聞くと、「率直なコミュニケーション力」という返答でした。能力や専門性の高い人はたくさんいますが、その中でできないことをできないと率直に言え、必要な時に誰かに助けを求められることは国際機関で働く上でも重要です。応募を考える皆さんも、予想外のことが次々と起きる中で道を切り開いていった協力隊員としての経験に自信を持ち、自分ができることを自分の言葉で語ってほしいと思います。

Text=秋山真由美 写真提供=丸山絢子さん