

ジンバブエ/コンピュータ技術/2021年度7次隊・京都府出身
| 就職先 | 株式会社島津理化 |
|---|---|
| 事業概要 | 1969年に株式会社島津製作所の理化器械部を分離独立させる形で設立され、島津グループを構成する。理科学実験機器や設備品の開発・製造、島津製作所製の医用機器(※)や分析機器の販売を手がけるほか、設備の導入に関連したコンサルティングや、ODAに係る事業も含めた海外での設備導入の支援も行っている。 ※医用機器…薬機法に定義される「医療機器」とは異なり、より広義に医療現場で使用される機器類を指す。 |
| 略歴 | 1994年 | 大阪府で生まれた直後、京都府に移る |
|---|---|---|
| 2017年3月 | 大学卒業 | |
| 2017年4月 | IT企業に就職 | |
| 2020年1月 | 協力隊参加のため休職するも コロナ禍で派遣延期・待機に |
|
| 2020年7月 | 一時、元の企業に復職 | |
| 2021年8月 | 協力隊員としてジンバブエへ赴任 | |
| 2023年12月 | 帰国・復職 | |
| 2025年3月 | 株式会社島津理化に入社 |
「困っている人の役に立ちたいという思いが、協力隊参加を決めた根底にあります」。そう話すのは、株式会社島津理化に勤めるジンバブエOVの片岡梨沙さんだ。
協力隊への関心が芽生えたのは小学校時代。協力隊に現職参加した教員の体験談を聞いたことがきっかけだという。その後、進学する中で日本国内の企業に就職する進路を選んだ片岡さん。ICTエンジニアとして勤務していたが、ひたすら日々の業務をこなす中で「ふと、今のまま定年まで働くのが幸せなのかという思いが湧き、協力隊への夢を思い出しました」。
合格し、2019年度3次隊として2020年1月から派遣前訓練も受けていたが、コロナ禍で待機を余儀なくされ、21年8月にようやくジンバブエへの赴任を果たす。片岡さんの配属先は、国内第3の都市グウェルにある教員養成校。学内のパソコンからサーバー、ネットワークに至るまでのICT環境整備が主な要請だったが、「施設をひととおり回ってみた限りでは整備も行われているようで、私がいる必要あるのかな?と思ったほどです」。
しかし、細かく様子を見ると、多くの課題を抱えているとわかった。「例えば、パソコンごとにシステムやソフトウェアのバージョンが違っているため、授業で先生が『画面右上のここをクリック』などと言っても、各生徒の見ている画面が異なっているような状況が発生します」。
配線などもその場しのぎで記録が残されておらず、整備の仕方が一貫していない状況を、片岡さんは一つ一つ根本から解決していった。「学内のICT環境は誰もが恩恵を受けるもの。『リサがいてくれて助かった』という声ももらえました」。片岡さんの任期が終わる際には、技術者の必要性を実感した学校側が現地のシステムエンジニアを雇用することも決めてくれた。
帰国した片岡さんが悩んだのは協力隊経験の生かし方。当時の所属会社は海外との接点がなかった。
「国際協力に関わったことは楽しく、やりがいも大いに感じる経験でした。やはりその分野に関わり続けたいと、24年9月での転職を決意しました」
次の就職先としては、株式会社島津理化1社に絞っていた。隊員時代、現地の大学で島津製作所製の分析機器を見かけたという片岡さん。「ハイパーインフレなどで多くの日本企業が撤退した中、島津製品があることが印象的でした。ジンバブエのような国にも行ける会社がいいと思いました」。
折よく、島津理化の社員募集が出ていたタイミングでエントリー。採用され、25年3月から勤務している。
「医用機器は途上国から紛争地域まで、困っている人々のために役立ちますし、分析機器は、日本で起きた公害のようなことを海外で繰り返さないために必要です。国家間の協力の場に関わっている実感があり、非常にやりがいを感じています」
ジンバブエで島津製作所の機器を見かけて、このグループの企業を志望しており、ODA部門を担っているのが島津理化でした。同社の求人情報を確認したところ人員募集中だったので、すぐにエントリーしました。
エントリーから程なく、海外事業関連部署の部長2人と人事部の1人に会う機会が設けられました。カジュアル面談といっても、会社紹介の後、経歴や志望理由などを尋ねられ、普通の面接のような内容でした。協力隊OVということで特に念押し気味に聞かれたのは、民間企業では利潤を追求しなければいけないことを理解しているのかということ。前職も民間企業だったので重々承知していると答え、かつ純粋な技術職としてだけでなく、接客や見積もりなど営業に係る全行程を経験してきたことも説明しましたが、納得してもらうのが一番大変だったことを覚えています。
カジュアル面談と同じ面接官で、カジュアル面談の時の疑問点を改めて確認する程度だったことから、時間は10分程度で終わりました。ここでも改めて、ボランティアと民間企業の仕事の違いについての理解を問われました。
社長や常務などの役員との面接で、20~30分ほどかけていろいろ聞かれました。あまり変わった質問はなかったと思いますが、「また協力隊などに行きたくなってしまわないか?」と聞かれたことが記憶に残っています。それに対しては「夢だった協力隊に参加して『国際協力』という自分の進みたい道が明確になり、その上で御社を志望しているので、ブレません」と答えました。
入社して最初に配属されたのは、応募の時から希望していた、ODA関連の事業を担当する部署でした。JICAによるODA案件を受注する開発コンサルタント企業に対する提案型営業で、島津グループが開発・製造する医用機器や分析機器を売り込んでいくことが主業務で、営業や入札など、さまざまな経験ができました。10月に異動し、今は日本企業の海外進出支援や、日本と海外の大学による共同研究の斡旋などを担当する部署にいます。特に後者の業務は、日本・海外の大学が日本政府の支援プロジェクトの下で共同研究を立ち上げる際に、機器の営業だけでなく案件形成からサポートする業務で、途上国の大学と関わるケースもあって面白いと感じています。
日本社会にいると、一定のレールの範疇の何者かになるべきという見えない束縛を強く感じます。私も協力隊に行くまでは、浪人も留年もせずに日本の大学を出て、そのまま新卒で日本の企業に勤めるというレールに乗って生きていました。そこから外れたらもうダメだとの思いもありましたが、思い切って協力隊へ行ったことで、まず自分が人生を楽しまなければ何も始まらないのだと、生き方に対する考えが大きく変わりました。自分の“色”を持つのはすてきなことなので、それを大切にすることをお薦めしたいと思います。
https://www.jica.go.jp/volunteer/obog/career_support/index.html
Text=飯渕一樹(本誌) 写真提供=片岡梨沙さん