日系/ブラジル/小学校教育/2019年度1次隊・北海道出身
大学卒業後、塾講師を経て、札幌市内の高校に勤務。社会科教員として7年間を過ごす。2019年7月から協力隊員としてブラジルで活動し、21年4月に復職。現在はベトナム・ホーチミン日本人学校に勤務中。
高校勤務7年を経て現職教員参加
ブラジルで知った多様性の大切さを生徒たちに伝え、
初等教育を志して再び海外へ
現職教員特別参加制度を利用した熊谷沙織さんの場合
高校教員になって7年、熊谷沙織さんは協力隊に参加することを決めた。生徒や同僚との関係も安定し、入学から卒業までの3年間のサイクルにも慣れた頃だった。
「海外への進路などに目を向ける生徒が増えてきている中、自分が持つ知識や価値観だけでは、教員としての指導力に限界があるのではないかと感じるようになりました。30歳になる前に一旦海外に身を置いて、広い視野と知識を身につける時期だと思いました」
2016年頃に検討を始め留学も考えたが、小学生の時に社会科の資料集で知って憧れていた協力隊に、教員の身分を保ったまま参加できる「現職教員特別参加制度」があることを知った。「教員としてのキャリアを継続しながら、新たな知見を身につけるチャンスだと思いました」。
応募の手続きは、受け持っていた生徒たちが卒業する19年3月から逆算して進めた。18年3月には学校に意向を伝え、当時の校長からはすぐに理解を得られた。5月には推薦書を書いてもらい、6月に協力隊に応募した。
「『自分を高めるための挑戦ならぜひ応援したい』と背中を押してもらいました。同僚の先生たちには合格した9月に職員会議で伝え、少し驚かれましたが、快く引継ぎに動いて送り出してもらえました」
生徒たちには卒業まで知らせないつもりでいたが、校長から「進路や将来について考える多感な時期の高校生こそ、先生がなぜその道を選んだのかを聞きたいのではないか」と諭され、10月に「私も春から新しい道に進むので一緒に頑張ろう」と、自分の言葉で伝えたという。
19年7月、念願かなって赴任したのは、ブラジル・サンパウロにあるアルモニア学園。日系人が学校に通うための学生寮を起源とする幼稚園から高校までの一貫校で、熊谷さんの赴任時には非日系ブラジル人を中心に約430人の児童・生徒が通っていた。日系ルーツを持つ学校として日本語の指導や日本式教育を重視してきたが、児童・生徒や一般教員の関心は年々低下している状況だった。
熊谷さんは、「日本語チーム」に配属され、幼稚園から中学校までの日本語授業や補習、各種の日本的な行事の運営などを担当することとなった。「ただ、すでに日本語体制が整っていて日本語のできる先生もいる中、私はあくまで補助的な立場。他の隊員がそれぞれの配属先で中心的に活動しているのを見て、モヤモヤしていました」。
そんな思いを抱えつつも、まずは児童たちとのコミュニケーションを密にすることに努めた。食堂でとる昼食からおやつ、休み時間の遊びなど、可能な限り一緒に過ごすように心がけたという。
そして授業以外の時間も観察するうち、授業前の15分間の児童たちが講堂に集まる時間に日本のラジオ体操や歌を教えることを思いつき、学校に提案した。
「始めてみると、児童たちに大人気となりました。ラジオ体操第2の動きが特に新鮮で楽しかったようです。日本の歌もすぐに覚えてくれました」。この活動をきっかけに、同僚からの評価も得られるようになったという。
こうした関わりの中で、熊谷さんは自分の価値観が徐々に変わっていくのを感じていった。
「ブラジルでは時間や細かいことをあまり気にしないので、何事も予定どおりに進みません。私は元々計画的に動くタイプなのですが、何でも臨機応変にどうにかしてしまうブラジル人の柔軟性やおおらかさに触れるにつれ自分の常識が覆され、キャパシティが広がったと感じます」
協力隊活動中も、日本の在籍高校の生徒に向けて毎月、「ブラジル通信」と名付けたニュースレターを送り続け、つながりを絶やさなかった熊谷さん。「日本の先生たちには、毎月テーマのやりとりなどで協力してもらい、感謝しています」。
その後コロナ禍により任期半ばで帰国し、高校の休職期間満了までは学習ボランティアなどに従事。21年4月に復職して、1年生のクラスを担当した。本来は国際留学を希望する生徒の指導なども期待されていたが、コロナ禍で渡航困難な状況でそれも白紙に。そこでまずは任地でのリアルな生活や体験などを授業内外で話して、生徒たちが少しでも海外を感じられるように努めた。
「例えばブラジルには服装や髪形などの校則がほぼなく、その理由は髪や肌の色が多様な国民性にあることなどを伝えました」
復職後1年目にはオンラインとリアルのハイブリッド形式での学校祭を企画運営し、2年目は学年主任とコース長を任されるなど、順調に役割を広げていった熊谷さん。傍らで、ブラジルで経験した初等教育に再度携わりたいという気持ちが日々強くなっていったという。
現在はホーチミン日本人学校で小学生を教えている。「海外でもっと知見を積んで、また日本の学校に戻って教育現場に還元できればと思っています」。
放課後、学校の施設はいろいろな習い事に使用されていて、特に人気だったのが児童たちの母親向けに開かれる和太鼓教室。熊谷さんはそこで日本人の先生を手伝っていた。「日系の文化にラテンの熱い気質がマッチして、いつも大盛り上がり!楽しい時間でした」。
現地の教員と共に、算数や理科、音楽、体育、図工などの授業を行ったり、授業手法や教材の改善に取り組んだりすることで、児童がよりよい教育を受けられる環境づくりを行う。他にも、県や市の教育事務所などに配属され、傘下の小学校の巡回指導や地域の教員研修会を実施。教員養成校に配属の場合は、小学校教員の育成のサポートを行う。
公立、国・公立大学付属、私立および学校設置会社が設置する学校の20~45歳の教員が、身分を保持したまま、業務として有給でJICA海外協力隊へ参加できる制度。参加期間は、4月1日から翌年度の3月末日となり、派遣期間と訓練を合わせた2年間。日本での事前学習と派遣前訓練を経て7~8月頃に赴任し、任地で概ね1年6カ月~1年8カ月の協力隊活動を行って、翌々年の3月下旬に帰国。2年後の年度が始まると同時に職務復帰できるスケジュールになっている。
Text=秋山真由美 写真提供=熊谷沙織さん