
日系/ドミニカ共和国/日本語教育/2023年度7次隊・沖縄県出身
証券会社での勤務やコンビニオーナーなどを経たのち、世界中の沖縄県系移民やその子孫が会するイベントに参加したことで刺激を受け、50代で日本語教師の資格を取得。日本語教育隊員として2019年度3次隊でアルゼンチンに派遣予定だったが、コロナ禍での待機を経験。任国変更で23年にドミニカ共和国へ。現在は沖縄県浦添市の非常勤職員として日本語支援員をしている。
沖縄県出身の金城和治さんは、2020年4月にアルゼンチンの日系社会へ日本語教育隊員として赴任するはずだったが、コロナ禍で待機に。23年4月にドミニカ共和国へ赴任できることが決まったが、思わぬ任国変更で当初は気落ちした面もあったという。「アルゼンチンは沖縄からの移民が多く、ひときわ思い入れが強かったです。ドミニカ共和国はどんな国なのか、不安感もありました」。
しかし住めば都で、気候が沖縄に似たドミニカ共和国での生活にはすぐ慣れた金城さん。配属先はドミニカ日系人協会日本語学校で、日系人の子どもを対象とした日本語学校だったが、赴任当初は学校が長期休暇中だったため、まずは授業準備に取りかかった。
「活動先は首都校のほか2カ所の地方校を含む3校で、私は火曜日と水曜日には地方校、土曜日は首都校に通う形でした。現地の先生たちは仕事をしながらボランティアで教えているので、授業の準備に大変苦労しているようでした。負担を減らすために、プリントアウトするだけで使える問題集を作ったりしました」
問題集作りと共に、学校行事に関する資料データが非常に古いソフトウェアで作られていたため、Windows11の環境で使えるようすべて作り直すなど、持ち前の“実行力”を武器に、前向きに活動に取り組んだ。しかし、着任6カ月目に再び気持ちがガクンと下がる。デング熱に感染したのだ。
「高熱で1週間寝込みました。苦しい状態が続きましたが、JICA事務所の健康管理員からのサポートもあり、どうにか回復しました。もしも個人的なボランティアなどで行っていてこのような体験をしたとすれば、そこで気持ちが完全に折れていたかもしれません」
デング熱はつらい体験だったが、途上国の地で“へこたれない力”を身につける経験でもあった。
学校現場では金城さんの作成した問題集が積極的に活用されるようになり、手応えも感じた。さらにその中で、日系社会における日本語学校の存在意義にも気づいていった。
「単に日本語を勉強する場というより、コミュニティ養成の場なのだと理解しました。ならば知識を詰め込むような勉強の仕方ではなく、楽しめる方法のほうがいい。そこで、平仮名、片仮名、漢字でかるたを作って遊ばせると大盛り上がり。勝負好きが多くて、泣いたり笑ったりと楽しそうにやっていました」
活動中は、“傾聴力”を要する場面にも多く出くわした。
「地方校の一校で、窓から虫がたくさん入ってくるので、私が材料を用意して網戸を設置しました。それが強風ですぐに壊れてしまい、残っているはずの材料で修繕しようとしたところ、材料はすでに捨てられていると判明。現地の人にとって虫や網戸の件はどうでもいいことで、邪魔な材料も処分されてしまったわけです。現地の習慣や常識に対して、突然やって来たボランティアがあれこれ言って変えることはできない。やはり現地の人たちの話を聞き、彼らが望んでいることをしなければダメだとつくづく感じた出来事でした」
2年目に入ってからは、問題集や教材の作成に加えて、日本語能力の高い子には、JLPT(日本語能力試験)受験への意識づけを行い、そのサポートにも力を入れた。「決めたことをやり遂げよう」という気持ちで活動を続けていたが、任期残り半年という時に“へこたれない力”を再確認させられる事件が起きた。
「地方校で天井の扇風機が落下する事故がありました。空の教室で誰にもけがはありませんでしたが、私が日系人協会の会長に伝えたことで、地域の保護者たちからは大ひんしゅく。当たり前の報告をしたつもりでしたが、地域の関係者には『大ごとにしたくない』との気持ちがあったようです」
地域の社会には、その社会ならではの考え方や暗黙のルールがあり、大騒ぎしても仕方がないと自分なりに受け止めた金城さん。納得いかない面もあったが、ドミニカ共和国での活動のすべてが、帰国後の仕事に役立っていると朗らかに話す。
「地元の沖縄に戻ってからは浦添市の公立小学校で外国につながる子どもへの日本語支援員をしていて、子どもたちが日本での学業や生活に慣れることができるよう、サポートに取り組んでいます。昨年6月に帰国して年度の途中から入ったこともあり、まずは校長や教頭、担任の先生などからじっくり状況を聞いて、学校側の意見をよく取り入れながら働いています。最初に自分の意見を押すと衝突するばかり。それは協力隊の活動で学んだことです」
充実している毎日だが、いつか自身の日本語教師としてのキャリアが他の国や地域で必要とされるなら行きたい、また日系社会にボランティアとして行けるならば、もう一度挑戦してみたいと将来への意欲を見せる。
「地元の人と同じものを食べ、同じ目線で考える」というJICA海外協力隊のポリシーは、まさに真理だと思います。活動で成果を得たいと思うと上から目線になりがちですが、そうではなく同じ釜の飯を食べ、相手の考え方を理解することが肝要。赴任したら、まずは地元の人たちと同じものを食べることから始めるといいのではないでしょうか。

Text=池田純子 写真提供=金城和治さん