
エジプト協力隊派遣30周年を迎える北アフリカ地域の大国
幼児教育や日本式教育の現場で隊員が活躍

| 面積 | 約100万㎢(日本の約2.7倍) |
|---|---|
| 人口 | 1億1,653万人(2024年、世界銀行) |
| 首都 | カイロ |
| 民族 | 主にアラブ人(その他、少数のヌビア人、 アルメニア人、ギリシャ人など) |
| 言語 | アラビア語、都市部では英語も通用 |
| 宗教 | イスラム教、キリスト教(コプト派) |
※2025年12月2日現在
出典:外務省ホームページ
派遣取極締結日:1995年3月15日
派遣取極締結地:東京
派遣開始:1996年9月
派遣隊員累計:379人
※2026年3月31日現在
出典:国際協力機構(JICA)
ガーナ/PCインストラクター/
2013年度2次隊・北海道出身
JICAエジプト事務所・企画調査員(ボランティア事業)。大学卒業後、パチンコホール運営会社に12年間勤務。2013年に協力隊に参加しガーナで活動。帰国後に島根県海士町観光協会で農業担当、19年に野菜農家として自営。20年から二本松青年海外協力隊訓練所、JICAザンビア事務所、公益社団法人青年海外協力協会で勤務。他方、途上国に学校を建設し運営支援を行うNPO「学校をつくろう」を13年に設立し活動を続ける。25年から現職。
1996年に協力隊の派遣が始まって以来、エジプトでは教育分野へのニーズが高く、中でも幼児教育隊員の派遣は累計83人(2026年2月現在)と圧倒的に多く、青少年活動、日本語教育、体育、美術、小学校教育の隊員がそれに続きます。
エジプトでは0~4歳児については社会連帯省、5歳児以降は教育・技術教育省が管轄していますが、保育園の約70%は小規模NGOによる運営で、保育士の国家資格制度はなく、特に地方では人材不足や保育の質の問題が指摘されていて、協力隊へのニーズが高い状態が続いています。
教育分野の大きな特徴が、学級会や日直、掃除といった日本の学校で行われている「特別活動(特活)」を取り入れる改革が進んでいることです。16年にアブドゥルファッターハ・エルシーシ大統領(14年~現職)が来日した際、日本の小学校を視察し、協調性や規律を育む教育に強い関心を寄せたことがきっかけとなり、「エジプト・日本教育パートナーシップ(EJEP)」が結ばれました。
以来、エジプトでは特活を取り入れる小・中学校を拡大しており、その中でも特に日本式教育に力を入れる小・中一貫の「エジプト日本学校(EJS)」が現時点で69校設立されています。こうした教育現場では、教育分野の隊員派遣への高いニーズがあります。
エジプト人はとても優しく、困っている人に声をかけたり、重い荷物を持っている人を手伝ってあげたりと親切な人が多いです。ラマダン中の断食には配慮したり、肌の露出を避けたりするなど、イスラム文化への理解と尊重は必要ですが、食事やイベントの誘いにはできるだけ参加し(男女1対1は避けて)、オープンマインドで人々と接する姿勢が大切です。
活動では、日々のコミュニケーションを欠かさずに人間関係を構築していくことが重要です。そこで大切なのがアラビア語。挨拶などの簡単なことだけでも積極的にアラビア語を使うことで、同僚らとの距離が縮まるはずです。周囲の人々が英語話者という配属先も少なくありませんが、それに甘んじることなく、アラビア語で交流しようとする努力が、語学力向上と信頼づくりの近道だと思います。
エジプト/手工芸/
2012年度2次隊・広島県出身
大学で国際関係を学び海外に興味を持つ一方、趣味としての手芸でバッグや小物を制作・販売。情報通信関係の企業に勤務中、アラビア語教室に通ったことをきっかけに、現職参加制度を利用して協力隊に参加。エジプトで障害者への手工芸指導を行った。障害者を取り巻く生活・就労環境に問題を感じ、帰国後は復職し、並行して大学院に進学。国際協力・障害者福祉・人権分野を学んだ。現在はカイロのNPOにてJICAプロジェクトに携わる一方、将来的にはエジプトの障害者支援に関わりたいと考えている。
堂西弥生さんが協力隊に参加したきっかけは、旅行で訪れた中東諸国をより深く知ろうと通い始めたアラビア語教室の仲間が親しくしていたモロッコ人から、協力隊員に日本語を教わったと聞いたこと。会社の現職参加制度を利用して応募し、手芸が趣味だったことから手工芸隊員としてエジプトの社会連帯省リハビリテーション部に配属された。
「任地は地中海沿岸にあるダミエッタ市でした。田舎の雰囲気があり、親切でおせっかいな人が多くて、どこか出身地の広島県福山市にも似ていると思いました」
市内にある6カ所のNGO施設を巡回し、各施設の要望に応じて、革ひもやビーズ作品などのアクセサリーや、織り機を使ったランチョンマット作りなどを指導した。対象者は、発達障害や知的障害、聴覚障害のある18歳以下の子どもたちだ。
「言葉の壁はありましたが、彼らは簡単なアラビア語を繰り返し伝えてくれるので、習得のプラスになりました」。
一方、多忙な先生たちは、織り機の使い方を教えてもなかなか覚えてくれず、折り紙の時にも端をそろえて折るなど細かな作業を敬遠する傾向があった。
そんな中、堂西さんは、せっかく施設に来ても座っているだけの一人の自閉症の男子中学生が気になり、将来のために手に職をつけてあげたいと、イスラム教徒が使う数珠作りを教えることにした。糸にビーズを通すだけの単純作業だったが、長い時間をかけ、何度もやり直して、その子なりに色の配置を工夫して作る作品は施設内でも好評を博した。そこで、思い切ってカイロ日本人会のバザーで販売すると、露店よりも高い5エジプトポンドで売れた。さらに、数珠の作り方を教えてほしいと言ってくれる先生も現れた。
「売り上げは材料費を差し引いて、本人に渡しました。自分の作品が売れたことを理解したようで、ニコニコと笑顔を見せて喜んでいました」
活動は順調に見えたが、赴任から3カ月がたった頃、エジプトになじめないと感じたこともあった。言葉が通じず、周りの先生たちも協力的に見えない。しかし、その時に支えてくれたのも現地の人々だった。思い切って本音を打ち明けると、「私たちがいるから大丈夫。何かあったら全部言いなさい。いつでも助けるから」と受け止めてくれた。
「遠慮し過ぎずに、悩みや不満は言っていいのだと気がつきました。エジプトの人たちは、私が何を言っても根に持たないし、どんな時でも受け入れてくれる。本当の優しさを感じました」
2013年6月、当時のムハンマド・ムルスィー大統領の政策に対する不満が高まり、軍事クーデターが勃発。ムルスィー政権は崩壊し、その後エルシーシ氏が大統領に就任した。その混乱下で堂西さんたち隊員もカイロへの退避を余儀なくされた。
「任期後半で思わぬところに落とし穴がありましたが、約3カ月後には任地に戻ることができました」。
ダミエッタへの帰任後は引き続き施設での活動に戻り、以前より1カ所増えた4カ所の施設を回った。堂西さんの根気強い指導と障害者の様子を見た各施設の先生たちも、障害があってもさまざまな作品作りができるということを理解するようになっていった。
エジプト/小学校教育/
2017年度1次隊・千葉県出身
武蔵野美術大学で油絵を専攻して卒業。千葉県の高校で美術と工芸を7年間教えた。卒業生を送り出したタイミングで、中学生の頃からの夢だった協力隊に参加し、エジプトで活動した。任期終了後の2020年にエジプトで、貧困家庭支援のための農園「ルクソールファーム」の立ち上げに尽力。現在はフリーランスでデザインの仕事をしながら、エジプトと日本を行き来している。
高校の美術教師だった弓矢結実乃さんは、2017年7月からエジプトに派遣された。カイロのエル・ワイリー地区にある教育事務所に配属され、小・中学校や高校を巡回して図工や美術の指導を行った。
同地区はカイロ中心部から外れた庶民的な雰囲気のエリアで、人々は真面目で優しかった。しかし、隊員が住める状態の物件探しに難航し、結局、カイロの隣に位置するギザ県の物件に落ち着いたのは赴任半年後で(※)、配属先まで地下鉄で1時間かけて通勤することになった。
派遣の1年前にはEJEPが締結され、特活を中心とした日本式教育の導入が始まったばかり。弓矢さんの赴任時はまだ受け入れ態勢が整っていなかったため、現地の学校20校ほどを訪問し、授業を見学しながら活動先を探すところからスタートした。
「見学して驚いたのは、教材の少なさでした。生徒が持参した画用紙と色ペンで絵を描く程度で、工作は先生が作ってみせるだけ。生徒一人ひとりが手を動かす機会や環境が整っていませんでした」
さらに観察すると、ハサミで円を切り抜く、折り紙を正確に折る、といった手や指先を細かく器用に使う能力が十分に育っていないことにも気づいた。また、生徒たちは活発で積極的に手を挙げたりするが、静かにする、席に座って待つ、など授業にふさわしい秩序を保つことが苦手なようだった。
行き先を4校に絞って活動するようになると、先生たちが必ずしも日本式教育の導入に意欲的ではないことも見えてきたが、教育への考え方はすぐには変えられない。そのため弓矢さんは、今自分にできることとして、目の前の子どもたちの器用さや社会性を育てることに集中した。
そして「廃材を活用し、全員が1人1つの作品を作ること」を目標にした。家庭から発泡スチロールの食品容器を集め、ペットボトルキャップと組み合わせてスタンプを制作し、A4版コピー用紙を正方形に切って折り紙として使用した。
「折り紙で紙風船を作ってみせると『紙からボールができた』と皆びっくり。ぴょんぴょん跳ねる折り紙のカエルも大人気でした。ですが、自分で作ってみるとなると、小学4年生でも端をそろえて紙を折ることが難しいようでした」
やがて一人の男子生徒が紙風船を折れるようになり、他の子に教えるようになった。弓矢さんはその生徒に「折り紙先生」の役割を与え、他にも、教材を配る係、騒がしい子を注意する係などの役割を班ごとに決めた。生徒が自分の役割を持ち、クラスに所属している意識を感じてもらうことは、特活の重要な目的の一つだ。
18年からは、EJSでの日本式教育の実施が本格化した。弓矢さんは同期隊員たちとチームを組み、エジプト中のEJSを訪問し、現地の先生たちに日本式教育や日本文化を伝えて回った。
特に効果があったのが「掃除」だ。エジプトでは、掃除は社会階層の低い人の仕事とされ、当初は子どもに掃除をさせることに不安を感じる保護者もいたようだ。ところが、数カ月たつと、「家でお手伝いをしてくれるようになった」「父親が町でポイ捨てしたのを見て注意するようになった」など、保護者からの感謝の声が届くようになったという。
※派遣国での住居について…適切な住居のない期間も、現地のJICA事務所が安全な仮の住まいを用意します。
エジプト/柔道/
2023年度2次隊・兵庫県出身
両親と兄が柔道をしていた影響で、3歳から柔道を始め、天理大学体育学部に進学後も柔道部で稽古に励んだ。先輩が海外の柔道家と英語で交流を図る姿を見て憧れ、自身はけがで長期間、練習できなかったが、その間に英語力を鍛えて4年時にはオーストラリアでの柔道指導も経験。海外での指導者を目指すようになった。協力隊員としてエジプトで活動し、任期終了後の2026年2月からモンゴルのクラブチームで柔道を指導している。
2022年11月、天理大学・奈良県天理市・JICA関西センターは、開発途上国での国際協力推進と人材育成を目的として、三者間で連携覚書を締結。その一環として、天理大学柔道部の学生・卒業生をJICA海外協力隊員としてエジプトに派遣することが決まった。その第1号が同部のOBで、海外で指導経験を積みたいと考えていた門田優吾さんだった。
任地は首都カイロ。人も街も活気にあふれ、「騒がしい」というのが第一印象だった。練習拠点であるオリンピックセンターには同時に2試合を並行できる畳の道場があり、環境には恵まれていた。指導対象となる柔道ナショナルチームは男女合わせて約100人。そのうち50~60人を対象に、日中3時間、夕方2時間の練習を行った。ラマダン期間中は断食の影響で練習時間が22時から翌1時までとなり、「慣れないうちは時差ボケのような状態が続いた」という。
「日本では寡黙に稽古に取り組み、自ら課題を見つけてクリアしていくのですが、エジプトの選手は皆が『私を見てくれ!どこが悪いか教えてくれ!』と主張してくるので戸惑いました。自分で考えようとする姿勢が弱いと感じたので、『自分で考えてごらん』と言い続けました」
エジプトの文化や宗教を尊重しながら、柔道の精神をどう伝えるかにも頭を悩ませた。例えば、ムスリムの選手が練習に遅れてきた時、「お祈りをしていた」と言われると、叱ることは難しい。また、エジプトでは握手とハグが一般的な挨拶だが、道場で選手がコーチにハグをすることは、門田さんには違和感があった。そこで選手から握手やハグを求められても、礼をしてからでなければ応じない姿勢を徹底。柔道の礼儀・礼節だけは譲れないと考えたからだ。一方で、畳を下りれば気軽にハグを交わし、食事を共にして関係を築いていった。
そのほか、畳まずに丸めた柔道着を抱えて道場に来る選手には、柔道着と帯をきちんと畳み、丁寧に扱う姿を見せ続けた。すると選手のほうから「畳み方を教えてほしい」と請われるようになり、次第に選手同士で畳み方を共有していった。
「赴任当初は、単に日本から来た柔道がうまい人という程度に見られていましたが、マナー面の指導を徹底したことで、コーチとして認めてもらえたと感じています」
さまざまな大会に帯同する中で、エジプトチームはアフリカ大会では上位でありながら、世界大会やオリンピックでは結果が振るわないという現実も見えてきた。特に延長戦になると負けてしまう選手が多いことから、スタミナ不足が問題だと見た門田さんは反復稽古を減らし、実戦的稽古を増やす方針に転換した。当初は「疲れた」「体が痛い」と反発していた選手たちも、続けるうちに持久力がつき、粘り強く戦えるようになった。延長の末に勝利した選手が試合後、「息が切れなかった」と嬉しそうに報告する姿に手応えを感じた。
女子選手にも課題があった。ムスリムの習慣で、男性とは組まない女子選手もいて、十分な練習相手が確保できていなかった。そこで門田さん自身が毎日の練習相手を務めた結果、78kg超級のサファ・ソリマン選手が24年の世界ジュニア柔道選手権でエジプト初の銅メダル獲得という快挙を遂げた。
派遣前は「自分が学んできたことを伝えればいい」と考えていた門田さんだが、現地の文化や価値観、人々の性格を理解し、受け入れる部分と譲れない部分のバランスを取ることが大事だったと振り返っている。
エジプト人の性格について聞くと、取材した方々が口をそろえて言うのが、「底なしに優しい人々」ということだ。弓矢結実乃さんは派遣前訓練中に、2017年に起きたエジプトでのコプト教会爆破事件の報道に触れ、現地に怖いイメージを持った。ところが実際には違ったと振り返る。
「活動や人間関係に少し疲れた時、とぼとぼと街を歩いていると、見知らぬおじいさんが、『あんた、お茶飲むか?』と話しかけてきたのです。身なりは裕福ではなさそうでした。『たぶん私はあなたよりお金を持っているから、おごってもらうわけにいかない』と断ったのですが、『いや、飲んでいきなさい』と譲りません。なぜかと聞くと、『それが私の“責務”だから遠慮することはない』と。結局、おじいさんが買ってくれた紅茶を道端で二人で飲みました。イスラム教には人に親切にするという教えがあり、おじいさんの言葉になんだかほっこりしました。優しくされた側も、した側も喜び感謝する。そんな温かいやりとりに心が救われました」
Text=秋山真由美 写真提供=ご協力いただいた各位