CASE3

優秀なカウンターパートと2人で指導
最後まで指導者育成への思いは諦めず

大嶋賢人さん
大嶋賢人さん

フィジー/野球/2017年度1次隊・東京都出身

子どもの頃に野球を始め、小・中学校とクラブチーム、高校は硬式野球部、大学ではサークルで軟式野球に打ち込み、計18年の競技歴を持つ。教育大学4年生の時に手にしたポケットティッシュに協力隊のPRが載っていて野球で活動できることを知り、新卒で協力隊に参加。帰国後は東京都の小学校教員を勤めている。

もう悩まない!「マンパワー」を乗り越える
子どもたちにマンパワーとして野球指導をするうち、大嶋さんが抱いていたネガティブな考えは消えていった

   大嶋賢人さんが赴任したのは、フィジーの野球ソフトボール協会。配属先は2000年シドニーオリンピック・パラリンピックのレガシーとして大洋州地域への野球普及を目的に発足し、首都スバを中心に普及・発展活動に努めている。フィジーは16年リオデジャネイロオリンピックで7人制ラグビーの初代王者になるなどラグビー大国で、野球の知名度は圧倒的に低い。2代目の隊員として派遣された大嶋さんへの主な要請は、巡回型の野球普及活動と代表チームへの指導をすること。配属先には普及員兼代表コーチを務めるCPが1人いて、大嶋さんと2人でほとんどの業務を行った。

   月曜日から金曜日は、朝から午後2時頃まで事務作業などを行った後、日本の支援で入手した中古の野球道具を車に詰め込み、放課後の子どもたちが集まるコミュニティを訪ねて野球を教え、土曜日はその5カ所から運動能力の優れた子どもたちに集まってもらい、代表選手候補として強化した。

「CPは自身が代表選手として活躍した後、海外の野球アカデミーや日本の大学の練習に参加した経験もあり、技術も知識も豊富でした。配属先には政府からの補助がほとんどなかったため、彼は無給で働いていて、野球への情熱と人柄が素晴らしい人物でした」

   配属されて2カ月たった頃、向上心の強いCPが指導者研修で約3カ月の海外出張に出たため、大嶋さん1人に活動が任された。

「巡回に出るため必要な人数分の重い野球道具をタクシーで運ぶのも大変でしたし、まだフィジー語も不十分だったこともあり、コミュニティでも代表練習でも子どもが集まらなくなりました。『CPの力で皆が集まっていたんだ。自分は必要とされていないのか』と感じ、つらかったですね」

もう悩まない!「マンパワー」を乗り越える
コミュニティへの巡回を通じて見いだした子どもたちを集め、フィジー代表選手を育成していった

   CPは指導者としても尊敬できる存在だったが、逆に見れば大嶋さんが技術移転すべき相手はいないということになる。

「指導者育成のために来たという考えを捨て切れず、CPが出張や他の仕事で不在となり、マンパワーさえ足りない時期には、独自に人を雇って育てれば解決するかもしれないと考えたこともありました」

   そんな大嶋さんを救ったのもコミュニティの人々だった。

「諦めずに通い続けるうち、『アジア人が何かの道具を振り回してるから行ってみよう』と初めて来る子どもがいたり、クリケットに似た運動をやっていると聞いたインド系のお年寄りが来てくれるようになって、『この人たちと楽しむしかない』と気持ちが切り替わっていきました」

   スバは雨が年間300日降るといわれているほど雨が多いため、革製のグローブなどの道具を使い、グラウンドコンディションに気を使う野球の普及には不向きな所に思える。

「でも、フィジーの人たちは雨が降っても傘を差さないし、ラグビーもする。子どもたちと雨に打たれてドロドロになって野球をして、自分の国に野球を広めたいというCPの思いを理解できた気がしたし、雨が多いことをネガティブに捉えていたのは私だけだったと気付きました」

マンパワー状態の中、モチベーションを新たに

もう悩まない!「マンパワー」を乗り越える
任期終盤でようやく実現した指導者育成の機会では、8人の若者に「ベースボール5」のコーチ方法を伝えることができた

   子どもたちが野球を楽しむ姿やCPの存在が大嶋さんのモチベーションになり、マンパワーとなりつつも配属先やフィジーの野球に残せるものを念頭に活動するようになった。その1つが、SNSを協会の広報活動に活用していくこと。情報発信を積極的に行い、毎週、代表チームの様子を動画でアップロードしたり、イベントの告知をしたりした。

   19年7月には大嶋さんたちが指導してきた12歳以下のフィジー代表が第5回 WBSC U-12 野球ワールドカップに出場。ワイルドカードによる特別出場枠を得て、日本から配属先を支援する協会会長(隊員OV)がクラウドファンディングで渡航費を募り、大嶋さんたちもスポンサー集めなどで支援した。

   任期後半には、指導者育成につながる新たな試みも行った。世界野球ソフトボール連盟が18年から普及を始めた「ベースボール5」をフィジーで広めようと、3日間にわたって若者8人に対してワークショップを行ったのだ。同競技はバットやグローブを使わない手打ち式で、1チーム5人制・5イニングと野球をコンパクトにしたスポーツ。人数や道具、長い試合時間といった野球普及の課題をクリアしている。

   ワークショップはさまざまな競技の指導者育成を行う国立スポーツ委員会主催のTrain the Trainerプログラムの一環として行ったもので、CPが同委員会の仕事も行っていたことで参加できた。大嶋さんたちは、指導法と審判のやり方を伝えた。そして普及活動をコミュニティで行うことを想定して、最終日には実際に他競技の研修参加者に対して実践してもらい、修了証も発行した。

   先日、大嶋さんは7年ぶりにフィジーを訪ねてCPに会った。昨年、メキシコで行われたベースボール5の世界大会にオセアニア代表として出場できたこと、大嶋さんが教えた選手が協会の活動をCPと共に始めたことを聞いた。

「7年越しに活動の種が花開いたような気がします。“ノースイング・ノーヒット(振らなければ、当たらない)”の精神で挑戦してきた結果だと思っています」

大嶋さんのポイント

状況を変えるきっかけは?

  • 諦めずに活動を続ける中で、CPを通じて指導者育成
    プログラムへの参加という機会が訪れた

マンパワー活動で得られたこと

  • 現地の人々とじかに触れ合い、指導者と選手という立場
    の壁を取り払って親密な関係ができた
  • 指導者を育成しなければという焦りから、「楽しむ」と
    いう発想への転換が図れた

隊員へのアドバイス

マンパワーであることはベストではないと思いますが、同僚たちと同じ目線に立てること、現場を体験しなければ見えないことなどもあり、必ずしもネガティブなことばかりではないと、今では思います。また、技術移転を目指すなら、上から目線ではなく、一緒に仕事をしていく中で、行動で伝えていくほうが相手に届くものだと思います。

Text=工藤美和 写真提供=大嶋賢人さん