ニカラグア/野球/
2016年度2次隊・福島県出身
桜美林大学在学中に硬式野球部に所属し、卒業後はブライダル業界で勤務。2016年から協力隊員としてニカラグアへ派遣され、野球普及やU-18の代表強化に携わる。現在は、青森県で国際協力推進員として勤務する傍らで一般社団法人チームプラネットを設立。日本とニカラグアの野球交流を中心に、スポーツと国際交流を通して子どもたちの自信を育むワークショップや、挑戦のきっかけとなる体験を提供している。
ニカラグアでは、野球は子どもから大人までが熱を注ぐ国民的スポーツだ。5歳から大人までリーグがあり、代表戦ともなれば街中が大きく盛り上がる。一方、グローブやボールなどの道具は高価なため、地域や家庭環境によって競技環境の差が出やすい。
6歳で野球を始め、大学でも野球漬けの日々を送った阿部翔太さんは、2016年10月に野球隊員としてニカラグアのマナグアに赴任した。祖父母を相次いで亡くした折、祖母から最後に届いた手紙にあった「1日1日を大切に」という言葉をきっかけに、野球を通じて海外に関われる協力隊に応募したという。
配属先はニカラグア野球連盟。着任当初から各年代の代表チームの選抜や育成に関わり、日本人というだけで日本野球の知識や技術を持つ指導者として大いに期待された。ところが、同じく連盟で活動しているドミニカ共和国やキューバの元選手だという指導者らと比べると技術が足りず、理念や戦術を深く伝えようとしてもスペイン語の壁が立ちはだかった。次第に「翔太は話せないから」とスルーされるようになり、最初の半年間は悔しい思いをしたという。
そこで阿部さんは自分の強みを見直した。高度な技術や語学力ではかなわなくても、日本の野球で培った規律、チームワーク、試合に向き合う姿勢、そしてバントや走塁を生かした戦術なら伝えられる。誰よりも早くグラウンドに行って整備をし、練習後には道具を磨き、気が付いたことを記録してコーチに共有した。
一方で、次第に代表選手の強化だけではなく、より草の根に近い場所でこそ自分の経験が役立つのではないかと考えるようにもなった。スポーツ庁主催の無料野球教室に携わっていた連盟の担当者と共に小学校を回り、体育に野球を取り入れようと働きかけた。止まったボールを打つ、スポンジのバットを使うなど、野球経験が少なくても「できた!」と自信を付けられるように工夫した。また、野球を通じて、整列する・順番を待つといった規律や、諦めず最後まで走り抜くことも教えるように意識。自分だからこそできる活動の形を見いだした。
その授業をきっかけに、「もっと野球を学びたい」との意欲を示す女の子たちが現れた。中でもミッチェルという13歳の女子生徒は、男の子に混じって無料野球教室に通い、1人で壁にボールを当てて自主練習をするほど熱心だった。「誰よりも本気で取り組んでいるのに、ニカラグアには女子野球チームもなければ、女の子が野球をする文化もない。『いつか女子の野球チームを作って世界のチームと対戦したい』という彼女の夢を応援するために動こうと思いました」
阿部さんは、彼女の練習の様子をSNSで発信し、一緒に野球をしたい女性を募った。すると1カ月ほどで7歳から38歳までの女性約40人が集まり、チーム作りが現実的に。阿部さんは熱心に指導したが、当初は周囲の市民から理解されず、「娘が家事をする時間を野球の練習に使わないでほしい」と反対する保護者もいた。
そこで阿部さんが家庭訪問をしてみると、本当に貧しい家も多く、家事などに子どもの手も必要な状況が理解できた。阿部さんは「まずは練習を見に来てほしい」と伝え続け、さらに年長の女子選手たちが保護者の説得に入ってくれた。野球場へ来て、娘が真剣に野球に取り組む姿を目の当たりにした保護者たちは、徐々に協力者になっていった。ニカラグア初の女子野球チームはメディアでも紹介され、それが刺激になったのか全国で12の女子野球チームが続々と誕生。3チームを集めた初の女子野球の試合が実現し、後に連盟の予算で女子野球アカデミーも設立された。
任期後半の18年、阿部さんは日本人初のニカラグア代表ヘッドコーチとしてカナダ開催の「WBSC U-18野球ワールドカップ」に参加した。日本野球の強みを示して地道に活動を積み上げてきた結果だった。任期終盤には女子野球チームの全国大会を計画していたが、同年の反政府デモによる治安悪化で任期途中での帰国を余儀なくされた。それでも女子野球普及への取り組みは、現地の関係者たちの手で女子リーグや代表チームの活動へと受け継がれている。
任期を終えて帰国した後、阿部さんはミッチェルさんを含むニカラグアの女子野球選手4人を日本に招いた。現在も、読売ジャイアンツとニカラグアの野球交流プロジェクトなど、両国の懸け橋となって活動を続けている。
「ニカラグアの女性たちとの活動を通して、スポーツの力を学びました。これからも彼女たちのような人々を支え、環境に左右されずに誰もが挑戦できる機会をつくり続けていきたいと思います」
ニカラグア/助産師/
2024年度3次隊・栃木県出身
自治医科大学で看護師・保健師・助産師の資格を取得。大学時代から地域医療に関心を持ち、へき地実習などを通じて、安全な妊娠・出産が当たり前ではない現実に触れる。卒業後は赤十字病院で産科3年、新生児集中治療室2年の勤務を経験。地域や国を問わず、女性や子どもが安心して暮らせる環境づくりに携わりたいと協力隊に応募。2025年4月から27年4月まで活動予定。
助産師として日本の医療現場で経験を積んだ小澤紗季さんがニカラグアを希望した背景には、若年妊娠率の高さがある。学生時代、中高生向けの性教育や人生設計を考える活動に関わり、母子の健康を守るには妊娠・出産の現場だけではなく、青少年世代へのアプローチも必要だと感じていた小澤さん。その経験や課題感を、ニカラグアで生かしたいと考えたのだ。配属先は、マナグアから車で約1時間のグラナダ県グラナダ市にあるSILAIS(保健管区事務所)。要請は新生児死亡と若年妊娠への対策である。保健スタッフや母親への助言、学校での思春期リプロダクティブヘルス教育、出産前の妊婦が一時滞在するカサ・マテルナと呼ばれる施設での保健指導などを担う。
ところが赴任後、予定していた思春期教育の担当者はすでに定年退職しており、CPとして活動を支えてくれていた県の看護部長も途中で定年となってしまった。小澤さんは、元CPが48年間の勤務を通じて残した人脈を頼りに、県内4市の保健センターや学校へ直接足を運ぶことからスタート。地図上では近く見える地域でも、バスを乗り継ぐと丸1日がかりになることもあった。
小澤さんが現状の深刻さを知ったのは、病院を訪ねた時だ。幼い少女のような集団がいるので小児科かと思い、「産科はどこですか?」と尋ねると、そこが産科のハイリスク病棟であり、その少女たちこそが妊婦だった。「13、14歳の子たちでしたが、華奢なので実際以上に幼く見えました。数字として見ていた若年妊娠が、目の前の現実となった瞬間でした」。グラナダ県では妊婦のおよそ4人に1人が20歳以下で、市町村によっては3割ほどに達する。
若年妊娠の背景には、知識不足というだけでは説明できない事情がある。小澤さんは小学校で“命の始まり”、中学校で“プロジェクト・デ・ビダ(人生設計)”をテーマに授業を行い、5年後、10年後にどう生きたいかを児童・生徒自身に書き出してもらった。そこで「あなたの命は誰のもの?」と問いかけると、大半が「神様のもの」と即答したことに衝撃を受けた。自分が培ってきた価値観との違いを感じ、「まずは皆がどういう環境で育ち、何を考えているのかを知りたいと思いました」。
その手掛かりを得るため、小澤さんは学校を回りながら、タバコや薬物、生理の知識、困ったときの相談相手、若年妊娠について思うことなどを尋ねるアンケートを実施した。最初に4市で160件の回答が集まり、その結果を保健センターや公立病院の関係者らに共有すると「農村部でも聞いてみたい」と声が上がった。その後、回答は約240件まで増えた。
アンケートで印象的だったのは、性に関する知識そのものよりも、心理的な支えを欲する声が多かったことだ。「困ったとき、誰に相談したらいいか分からない」「自分の人生をどう守ればいいか分からない」。一人親で複雑な家庭環境の子や、出稼ぎのため親が不在の家庭も少なくない。学校には保健室のような相談の場もない。若年妊娠を防ぐには、性教育を行うだけでなく、行政・学校・家庭が連携し、子どもたちが悩みや不安を打ち明け、自分で選択する力を育てられる環境が必要だと考えるようになった。
一方、医療現場では新生児死亡への対応も長らく課題となっている。医療機器が十分でないだけでなく、赤ちゃんの異変を早く見つけ、必要な処置や搬送につなげるための観察体制にも問題があった。小澤さんはJICAの現地業務費で新生児用サチュレーションモニターを導入し、グラナダ市にある日本ニカラグア友好病院や県内の一次病院で使い方を伝えると共に、新生児の急変にいち早く気付いて適切に対応するための観察ポイントや家族へのケア方法を教える講習会を実施してきた。
宗教的な価値観が日常に深く根付くニカラグアでは、死や困難に対して「神様が望んだことだから仕方がない」と受け止める傾向が強い。延命を続ける基準など、日本の医療現場との違いに戸惑い、反発したこともあったという小澤さん。一方で、人々の前向きな姿に元気をもらうこともある。アンケート結果を共有した時、同僚たちは忙しい中で「もっとやろう」と次の活動につなげてくれた。命を預かる立場として、目の前の命を救いたいという思いは確かに同じだと感じている。今後は、保健分野だけでなく、教育や家族支援に関わる機関とも連携し、青少年が相談しやすい仕組み作りを模索していくつもりだ。
「ニカラグアに来て、今この一瞬を大切に生きていかなければいけないと感じるようになりました。“神様が望むことを大切にする”という価値観は尊重しつつも、あなたの未来を決めるのはあなた自身なんだよ、と伝えていきたいです」
ニカラグアには敬虔で熱心なカトリックの信徒が多く、暮らしや振る舞いの根底にその宗教観が深く根付いているという。現役隊員の小澤紗季さんは「ニカラグアの人は『また明日』という挨拶に必ず『神の思し召しのままに』と答えますし、首都への旅から帰ってきた人に『神のおかげ』と喜んだりもします。いつも彼らのそばには神様がいるのだと感じます」と話す。命や死をめぐる受け止め方には戸惑うこともあるが、明日何があるか分からないような時代を経て、今を大切に生きる明るさを持っているように見えるという。
佐藤 峰さんが印象に残っていると話すのは、聖母マリアへの特別な親しみだ。家庭ではキリスト像よりもマリア像が上に飾られ、一年中電飾が巻かれて光っていることもある。友人はマリアをかたどったピアスや指輪を身に着け、日用品のプラスチックのコップにもその姿が描かれていた。マリアを祝って9日間にわたり催される祭り「ラ・プリシマ」では、家に訪れた人々に食べ物が配られる。人に優しく、神への感謝を忘れない姿に利他や慈愛の精神を深く感じたと振り返る。
野球の練習や試合の前に「ありがとう」と神に祈る姿をしばしば見たというのは阿部翔太さん。情勢悪化で帰国した際には、教え子たちから「ちゃんと帰れた?」「家族に会えた?」「ご飯は食べられている?」と毎日のように連絡が届いた。
「自分たちのほうが厳しい状況下にいるはずなのに、まず相手のことを思いやるのがニカラグアの人々。彼らとのつながりは僕の宝物です」
Text=秋山真由美 写真提供=阿部翔太さん、小澤紗季さん