

コミュニティ開発隊員として地方の村落を対象に活動していて、間もなく赴任から半年ほどたつのですが、同僚を含む現地の人たちとの距離感がいまひとつ縮まっていない気がしています。自分自身、異文化の中で部外者の雰囲気が抜けていないのかもしれませんが、活動と生活の両面で、もっと踏み込んで親しくなりたいと願っています。
私が携わっているJICA海外協力隊幼児教育ネットワークでは活動報告会を例年開催していて、幼児教育に関わる協力隊関係者の方々に参加いただいています。そこでも苦労・悩みの話題は必ず出ますが、“現地の人になじめない”という人間関係の悩みは、語学の壁などと並んで特に多い印象です。私自身が隊員だった頃と、基本的な悩みは変わらないなと感じます。
私も訓練でマレー語を計3カ月間も学んだのに、赴任した地方の村落では全く言葉が通じずに愕然とした覚えがあります。そして、言葉があまり通じない“よそ者”として、同僚など周囲の人たちからも、すぐに受け入れてもらえない状況を経験しました。ただ、幸いだったのは、保育士隊員として保育園に配属されていたので、周りに子どもが大勢いたことです。恐らく3歳児レベルだったであろう私のマレー語で、ちょうどよい程度にコミュニケーションが取れました。「幼児教育系の隊員は子どもと話す機会が多いため語学が上達しやすい」ともいわれますが、確かに小さい子と接するのは職種を問わずお薦めです。
余談ですが、幼児教育分野に絡めていうと現地の先生は厳しく言うことを聞かせるスタンスで、“子どもと楽しく話す”という発想は乏しいようでした。私が子どもたちと楽しそうにしている姿は奇異に映ったでしょうが、対話を通じて子どもの欲求を探る日本的な幼児教育について伝わる面もあったかと思います。
試行錯誤しているうちに、私の語学力が少しずつ上がり、かつ周囲の大人たちも私の存在に慣れたことで、先生たちともつながっていけました。どうすれば仲間に入れるのか?さらにその先では、何をすればいいのか?現地の人は何を望んでいるのか?と常に戸惑いながらさまざまなことを探り、考える。その過程が大切で、それが人間関係を深めることにつながるのだろうと思います。一生懸命コミュニケーションを取ってやっと仲良くなった頃には、もう1年半たってしまっていたのですが(笑)。
そうして育んだ人間関係は隊員時代を超えた宝になるでしょう。私は帰国から約30年を経て、2020年に当時の任地を訪問しました。すると当時の同僚も私のことを覚えていてくれて、まさに涙の再会!隊員当時は、未来にそんな喜びが訪れるとは思っていませんでした。当時の経験を振り返ってみても、任期中にくじけず試行錯誤した結果は、いつか思いがけない時に返ってくるはずだと強く感じます。
マレーシア/保育士/1989年度3次隊・東京都出身
1990年に公立保育園からの現職参加でマレーシアの半島部へ赴任し、保育士隊員として2年間活動。復職後は35年間、日本で保育士として勤務しており、現在は日本語教育に携わる。93年、幼児教育分野のOV会である「JICA海外協力隊幼児教育ネットワーク」の立ち上げに共同で関わり、その会長も務めている。
Text=飯渕一樹(本誌) 写真提供=久保田美幸さん