フィリピン/プログラムオフィサー/2011年度3次隊・東京都出身
大学時代に関節の病気を患い、卒論研究のためルワンダの障害者への現地調査を経験する。2008年にJICAに入構し、12年から現職参加で協力隊員としてフィリピンへ赴任。17年からNPO法人自立生活センターSTEPえどがわに勤務し、23年からは自立生活センター松江の事務局長を務める。
障害当事者として国際協力を志し、
海外の障害者に向き合う活動を求めて協力隊へ
学びの多い2年を経て、現在は国内で障害者支援に尽力
障害当事者として参加した曽田夏記さんの場合
「協力隊経験は人生を変える2年間でした」と話すのは、脚に障害がありながらもフィリピンで活動した曽田夏記さんだ。
かつて大学受験時に将来の進路を国際協力に定めた曽田さんだったが、大学2年時に関節の疾病で歩行困難となる。その事実に打ちひしがれた時期もあったものの、発展途上国の障害者のために活動するとの目標を持つ。在学中は調査のため、ルワンダを訪ねて現地の障害者グループに接する経験をした。
その後、就職先としてJICAを選び、JICA沖縄で勤務することになった曽田さん。協力隊の募集説明会や各種イベントに携わる中で沖縄県のOVたちと関わる機会が多かった。途上国の人々と草の根レベルで活動した体験談を聞くうちに、「自分がやりたい国際協力はこれかもしれない」と心が動いたという。
調べてみると、ちょうどフィリピンの障害当事者団体で活動する要請が募集中だった。現職参加したいと直属の上司に打ち明けると驚かれたが、「途上国の障害のある人と同じ目線で向き合いたい」という曽田さんの訴えに、休職して参加することが最終的に認められた。
当時、障害のある人の協力隊参加は短期派遣を中心に実績が積み重ねられており、派遣前訓練は他の訓練生と共に二本松訓練所で行うことになった。
「つえをついて所内のあちこちへ移動するのは大変でしたが、体操の時間は後方で見学できるなどの配慮がありました。私が1人で後ろに座っていると、体育系職種の訓練生が近くに来て、一緒にできる動きをしてくれたりしました」
2012年、訓練を終えた曽田さんが派遣されたのは、フィリピン中部のパナイ島にあるイロイロ障害者協会。障害当事者が運営するNGOで、域内の障害者団体の活動強化や障害者の組織化に取り組んでいた。曽田さんへの要請内容はプログラムオフィサーとして事業運営の支援をすることだった。
活動を始めて半年ほどは「あれをやって」「これをやって」と頼まれた仕事を1人でこなす日々だった。そんな中、手伝わず遊んでいるようにも見える同僚たちへのいら立ちが次第に募り、ある日のこと「もう嫌!」と声を荒らげてしまった。
「ただ、1人で仕事をしていたのは同僚たちのせいではなく、私が彼らの力を信じておらず、その方が早いと思っていたから。かつ、互いの信頼関係ができていなかったためでもあります。怒ってしまった自分がとても嫌になり、反省しました」
徐々に現地にも慣れていった曽田さんは、いろいろなプロジェクトを立ち上げ、障害のある同僚たちにマネージャーの役目を任せる試みを始めた。例えば、沖縄出身のものづくりアーティストから教わったダンボール製メッセージカードを作る活動を、新人の女性職員に任せてみた。その職員は工程を覚えると、デザインが得意な車椅子ユーザーに「こういうものを描いてみて」と自分から頼みに行くなど、積極的に動きだした。
「彼女たちの様子を見て、誇らしい気持ちになりました。障害のある自分にできることがあると自信を持ってもらえたようで、私はこういうことがしたかったのだなと思いました」
帰国から2年後の14年、曽田さんは自立生活運動(重度の障害がある人も主体的に生きられる生活・社会を目指す運動)に取り組むNPO法人に入職した。職場環境はJICAと大きく違っていたが「協力隊での経験があったので、以前から活動してきた皆への敬意を持って取り組むことができました」。
23年には島根県の自立生活センターに移り、今年9月には若い障害者を対象にエンパワーメントや交流の機会を提供する一般社団法人を立ち上げる予定だ。
「新しい組織へ入る時に謙虚でいることや、焦らず時間をかけて信頼関係をつくることなど、自分のスタンスの根幹を作ってくれたのは協力隊の2年間。その経験は人生の宝物です。自らの障害に絶望していた頃の私自身に、数年後にフィリピンで愉快な仲間たちに出会えるから大丈夫だよと言ってあげたいですね」
フィリピンの雰囲気や人々の気質を表す言葉としてよくいわれるのが“アジアのラテン系”という表現です。着任して数日後にある同僚から言われたのが、「私たち、ケチとマジメは嫌いだからね」との言葉でした。実際、配属先の職員たちはいつも明るくおおらか。何かにつけてゲラゲラ笑い、ハイタッチして盛り上がっていました。
彼らの元気さは食にも表れていて、1日5食といわれるほどよく食べて飲みます。私も一緒になって、2年間でコーラを一生分飲んだのではないでしょうか。
職員が水道代を払えずに家の水を止められるような場面も多々ありましたが、それでも「水道、止められちゃった!」と笑っている心底ポジティブな人たちとの幸せな暮らしは、当時のいい思い出です。
協力隊員の募集に際しては障害を理由とする合否の判断はなく、選考過程では必要な配慮が取られている。派遣前訓練中や派遣中も同様で、青年海外協力隊訓練所には障害者対応の設備なども用意されている。
Text=三澤一孔 写真提供=曽田夏記さん