髙橋香織さん
髙橋香織さん

小学校教育/2024年度1次隊・京都府出身

協力隊参加のきっかけ

大学卒業後、教員として京都市内の小学校に5年間勤務。知人2人が協力隊に参加したことをきっかけに興味を持つ。自らも教員経験を海外で生かすために現職参加制度を利用して、2024年8月からブータンに赴任。約1年7カ月の任期を満了して帰国し、26年4月から再び元の学校で教壇に立っている。

公開! 私の派遣国生活〈拡大版〉ブータン[アジア]
左:タシガンの日曜市では地場の新鮮な野菜が手に入る。「市でも唐辛子が山のように積まれています」 右:首都ティンプーからバスで2日ほどかかるタシガンの町。「川の左右に町が広がる様子は、どこか日本の温泉街にも似た雰囲気を感じます」

任地はどんなところ?

任地はブータン最東端のタシガン県サムカル村でした。山々に囲まれた壮大な風景や、伝統的な家屋が並ぶ景観を眺め、「時がゆったり流れている」と感じました。住民は温かく、私を見掛けると「どこに行くの?」「ご飯は食べた?」と声をかけてくれ、異国の地での孤独感を和らげてくれました。村には菓子や飲料を置いた小さな商店が2つあるのみ。5㎞ほど離れたタシガンの町では週に1回、日曜市が開かれますが、村とは起伏の激しい道でつながっており、徒歩での移動は容易ではありませんでした。そのため、同僚の車に同乗させてもらい、日曜市などで食材や雑貨を入手していました。

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髙橋さんの任地となったサムカル村の風景。中央に見える赤い屋根の建物が配属先のパム小学校
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ブータンではチベット系仏教の信仰が盛んで、歴史的な寺院や僧院が多数ある。古来の教えが守られ、人々の生活と密接に結び付いている
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授業は英語で行っていた。英語を話せない低学年の児童には、同僚の教員にサポートしてもらいながら、ゾンカ語のほか、ブータン東部で話されているツァンラ語も組み合わせて接した

どんな活動をした?

配属先のパム小学校には、日本の幼稚園年長に当たるPre-primaryから小学6年生までの7学年、計70人ほどが通っていました。私が担当したのは図工と体育で、専門の教育を受けた先生がいなかったことが隊員要請の背景にありました。図工では教材や道具が十分にそろっていなかったため、子どもたちが拾ってきた葉をスケッチしたり、葉脈の凹凸を生かした写し絵をしたりと、身の回りにあるものを活用して授業ができるよう工夫しました。また、ブータンの学校では、皆が同じ見本に沿って描くことを良しとする傾向がありましたが、私は自由に発想し、自分らしく表現することの大切さを児童にも先生にも伝え続けました。

平日のスケジュール

                
7:00起床
8:00出勤
住まいから徒歩10分ほどで学校に到着
8:20朝会
朝の集会には全校児童が参加し、祈りをささげたりスピーチをしたりする
9:00授業開始
図工と体育の授業を中心に、全学年の授業を受け持つ
12:00給食
児童たちと一緒に給食を食べる
15:30授業終了
午前・午後共に授業は4コマずつで、合わせて1日8コマ
16:30帰宅
同僚と一緒におしゃべりしながらゆっくり歩いて帰る
22:00就寝
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日本のような校庭や体育館はなく、体育の授業は集会や運動に使う長さ40mほどのスペースで行い、その環境で楽しめるような授業内容を考えました。「児童たちは図工や体育の時間をとても楽しみにしてくれて、大きなやりがいを感じました」
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髙橋さんが“ブータンのお母さん”と慕うホテル経営者の知人。「JICA研修で日本滞在経験もある方で、私をとても気に掛けてくれ、よくおしゃべりをしにお邪魔していました」
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授業で描いた絵と児童たち。教員である髙橋さんも学校では伝統衣装を身に着ける。「児童たちのかわいらしさは日本もブータンも変わりません」
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赤米や野菜が中心の食事。同僚の家に招かれて食事をする機会も多かった

どんな食べ物がある?

ブータンの人たちが「辛くないとおいしくない」と言う通り、あらゆる料理に唐辛子が入っています。定番は青唐辛子を具材としてチーズと煮込む「エマダツィ」で、ジャガイモなどの野菜や肉入りのものもあります。辛い物が苦手な私は、赴任1日目に口が痛くなり、次に胃がカーッと熱くなりました。心が折れそうになるほどの辛さでした。そんな中、配属先の給食は児童向けに辛さを抑えてあり、ほっとする味でした。また、タレの量で辛さを調節できる蒸しギョウザ「モモ」は、ブータンで好きになった料理の一つです。


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エマダツィはヤクや牛の乳で作る濃厚なチーズの中に青唐辛子などを具材として煮込む。「慣れるために『辛い』と口に出すことをやめ、任期後半には辛くてもおいしいと感じられるようになりました」
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生活のあらゆる場面でバター茶や砂糖たっぷりのミルクティーが飲まれており、学校の職員室でもよく振る舞われました
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1階にある5部屋全てが髙橋さんの住まいだった。「私はぜいたくにそのうち3部屋を使っていました」

どんな家に住んでいた?

大家さん夫妻が2階で暮らす一軒家の1階に住んでいました。窓枠や柱に色鮮やかなブータン伝統の彫刻やペイントが施された美しい家でした。停電や断水はあまり起こらず、標高が1,150m前後とブータンの中では比較的低く気温も高いため、暮らしやすい環境でした。その一方で、暖かさ故に虫などの侵入には悩まされました。何か出るとすぐに大家さんが駆け付けてくれましたが、敬虔な仏教徒ですから殺生をせず、外へ追い払うという対処法でした。

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傾斜の厳しい山肌に立つ髙橋さんの住まい
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大家夫妻と地元の祭りに出掛けた時の一枚。「困り事があるとすぐに助けてくれて、とてもお世話になりました」

写真提供=髙橋香織さん Text=新海美保