マイアミのすし店
Sushi Yasu Tanakaなど
4店舗のオーナーとして
海外にすしを紹介

田中康博さん

モザンビーク/青少年活動/
2010年度1次隊・山梨県出身

田中康博さん

隊員時代に生徒からの希望ですしを握って以来、
すしに人生を懸けて世界に広める夢に挑戦中

派遣から始まる未来 先輩たちの社会還元
モザンビークで活動していた時代の田中さん。写真は任期最終日に教員や生徒がお別れパーティーを開催してくれた時の1枚

   協力隊活動の中で、自分の人生を懸けられる「やりたかったこと」に気付いたOVがいる。現在はアメリカのマイアミ市ですし店を4店舗経営している田中康博さんだ。

   大学時代にバックパッカーとして世界中を旅していた田中さんは、旅先で協力隊を知って参加を決意。青少年活動隊員としてモザンビークの中学校に配属された。要請は主に美術の授業を支援することだったが、赴任早々、校長から「美術はやらなくていい」と聞く。

   そこで田中さんは、生徒たちの関心が高かったパソコンを教えることにした。JICAなどからの支援で機材をそろえ、校内でパソコン教室を立ち上げた。教室はカリキュラム外の選択コースで、生徒のほか近隣住民からも受講者を募った。

1カ月のコースで受講生は毎回20人ほど。ある時、コースを修了した生徒に、「修了のお祝いとして何かしてほしいことはある?」と聞いたところ、返ってきたのは「すしを作ってほしい」という答え。それがすしにのめり込むきっかけだった。

「米は日本のものに近い種類が入手でき、酢や調味料は現地のものをすし用に配合して作り、鮮魚はバスを乗り継いで港町まで行って仕入れました。すしを握るのも、人に料理を振る舞うのも初めてでしたが、どんな味かは知っているため作れたのだと思います」

   生徒を住まいに招き、用意しておいたにぎりずしと巻きずしを振る舞ったところ、皆一様に感情を爆発させて喜んでくれた。田中さんは、アフリカでも子どもから大人まで知っているすしの認知度と、その味がこれほどまでに人を感動させるのかと衝撃を受けたという。

「私はバックパッカー時代を含め、多くの人に世話になってきましたが、何も恩返しできていないという思いがずっとくすぶっていました。この時、すしを握れるスキルがあれば、自分にも恩返しや人を喜ばせることができると確信したのです」

派遣から始まる未来 先輩たちの社会還元
すしアカデミーで握りの練習をする田中さん。授業外でも魚を買ってさばいたりする自主練習を続けた

   田中さんは帰国後すぐに東京すしアカデミーに通った。「最初の成績は下から数えたほうが早かったため、毎日、自主練習を続けたところ、1年後には首席で卒業することができました」。そして銀座の有名店に就職。ただし、「自分の店を持つ」という明確な目標があったため、2年半後にニューヨークのすし店に勤めた。同店に一番手(店を統括する大将)として引き抜かれた兄弟子から二番手として誘われたのだ。

「すしの世界に入ったのが27歳と比較的遅かったため、『早く一人前になってカウンターに立ちたい』という気持ちが強く、それが実現できるニューヨークに渡ったのです」

   初めてカウンターに立った田中さんだが、すし職人の誰もが味わう苦い経験をする。緊張ですしが満足に握れなかったのだ。さらに、いつも怒る兄弟子と衝突。会話のない状況で、仕事の自己分析と、自ら考えた課題にトライする毎日だった。誰よりも早く出勤して掃除をし、兄弟子が来る前に仕込みを完璧に終わらせておくことも徹底した。

「トラブルがあったことで自分の未熟さを見つめ直し、内面や技術面の向上も含めて、すしに真摯に向き合った期間でした」

   自身の味覚センスを磨くことも重視していた田中さんは、すしの食べ歩きを続けた。給与が安い日本での修業時代も、物価が高いニューヨークでも、休日は昼も夜も、一流のすし店を訪れ、味を確かめ続けた。

派遣から始まる未来 先輩たちの社会還元
マイアミにオープンした3店舗目は手巻きずしの店。その外観とスタッフたち

   そんな努力が実り、2年後には店を切り盛りする立場になった田中さん。さらに、新規開店するマイアミの店舗に一番手として移ることをオーナーから打診される。

「二番手はすしを握ることに集中できましたが、一番手になるとスタッフに教えたり、マネジメントしたりすることが必要になります。全てが勉強の毎日でした」

   マイアミ店で2年弱働いたタイミングでコロナ禍に見舞われたが、フードコートでのすし店オープンの機会が訪れた。

「マイアミの店は退き、自身の店を破格の条件で出せました。ほどなくフロリダ州の外出規制が緩和され、お客さんが殺到したのです。朝から夜まで1人で切り盛りし、人生で一番働いた時期です」

   100店舗を目指して世界にすしを広め、すしで世界と日本をつなぎたいと話す田中さん。アメリカで確固たる基盤を築いた上で、「人生を変えてくれた場所」であるアフリカでもすしを広めていきたい。その際には協力隊OVを積極的に活用したいと明言する。

「体力と根性があり、思い通りにならないことに対応する力が養われているからです。人を喜ばせたいという精神もあり、すしをやらない手はありません」

JICA 海外協力隊ウェブサイト 「帰国した方へ」もご覧ください

https://www.jica.go.jp/volunteer/obog/

JICA 海外協力隊ウェブサイト

田中さんの歩み

Text=大宮冬洋 写真提供=田中康博さん