日系/ブラジル/日系日本語学校教師/2005年度0次隊・愛知県出身
| 2003年 | 大学卒業後、民間企業や小学校に勤務 |
|---|---|
| 2005~07年 | 日系日本語学校教師隊員としてブラジルに赴任 |
| 2008年 | 愛知県西尾市の社会福祉法人「せんねん村」に入職し、保育園で外国につながる園児の就学をサポート |
| 2014年 | 同市から委託された多文化共生事業に参画し、「多文化ルームKIBOU」の責任者となる。現在は5~18歳を対象に、就学・登校・学習の支援を行っている |
ブラジルの日本語学校で活動した川上貴美恵さんは帰国後、地元の愛知県西尾市で「多文化ルームKIBOU」の立ち上げに携わり、現在は責任者として“不就学ゼロ”を掲げて外国につながる子どもたちの学びや成長を支えている。川上さんが大切にしているモットーは3つ。1つ目は、「気になる」と思ったことは、最後までやってみること。2つ目は、よい波が来た時にすかさず乗ること。3つ目が、出会った人とのつながりを大切にすることだ。
1つ目の考え方の原点には協力隊参加以前のある出会いがあった。小学校の講師をしていた時、クラスに日系ブラジル人の子がいたのだ。学校に来ても楽しそうではなく、周囲の子どもたちとけんかをすることも多い。勉強にも興味を示さなかった。
「その子とコミュニケーションを取りたくて、ブラジルや日系移民について調べ始め、地域の国際交流協会にも足を運び、ポルトガル語も学んだんです。気になったことを1つずつ追いかけていくことが、協力隊への興味につながりました」
2005年から2年間、日本語学校教師隊員としてブラジルへ赴任し、6歳から60代まで幅広い年代の人たちに日本語を教えた。日本にいるときは日系ブラジル人の社会を外側から見ていたが、現地に入れば、その社会の「渦中」に身を置くことになる。
「今までイメージすることしかできなかったところに入ると、多くの刺激を受けますし、アイデアもたくさん湧いてきます。結婚式や葬式、ホームパーティーなどのイベントにも足を運び、現地の習慣や風習を知ったことは、今の活動に生かされていますね」
任期終了後、川上さんが地元に戻った時は、ちょうど多国籍の人々の受容に向けた潮流が社会に広がり始めた時期。外国にルーツのある子どもの就学準備のための事業を市が始めようとしていたところに、協力隊から帰国した川上さんが加わったのだ。
「最初から自分一人で何かをつくろうなんて思っていたわけではありません。たまたま時代の流れがあって、事業をやってみようという動きがあり、そこに私が協力隊から帰ってきて、担当させてもらうことになったんです」
まさに川上さんがいう「波に乗る」瞬間だった。現在も、チャンスが訪れたらすぐ動けるように、補助金や基金などの情報にはアンテナを張り、「こういうことをやってみたい」というアイデアを日ごろから頭の中に留めるようにしているという。そして、協力隊時代から続く「人とのつながり」の存在も大きい。協力隊の存在を最初に教えてくれたのは、地域の国際交流協会の人たちだった。また帰国後も、現地との交流事業やコロナ禍の時期のオンライン活動などでは、人との縁が次のアイデアを生み出してきた。多文化ルームKIBOUもまた、そういったつながりから、どんどん展開していった。
「今は関わる人の規模が大きく増えました。担当を始めた当時の年間利用者は50人余りでしたが、現在は年間登録者が約300人に上り、スタッフ数も増加しています。かつて支援を受けていたインドネシアルーツの子が成長し、スタッフとして活動に加わるケースも生まれています。最初は日本人中心で考えていたものが、だんだん当事者の人たちと一緒に取り組んでいく形になってきました。当事者でなければわからないこともたくさんありますから、取り組みの質的な変化も進んでいると思います」
支援する側とされる側を固定せず、当事者が活動をつくる側に回っていく。その変化もまた長年、川上さん自身が3つのモットーを大切にしてきたからこそ生まれたのだろう。
日系/ブラジル/日系日本語学校教師/2005年度0次隊・岐阜県出身
| 2000年 | 関西外国語大学短期大学部を卒業後、 教育関係の仕事などに就く |
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| 2005~07年 | 日系日本語学校教師隊員としてブラジルに赴任 |
| 2007年 | JICAの制度を利用して大学に編入し、教員免許と認定心理士の資格を取得。また、愛知県のプレスクールモデル事業の指導員として外国につながりを持つ就学前児童への指導を行う |
| 2008年 | 知立市の早期適応教室の指導員となり、来日直後などで日本語が分からない子どもたちに日本語や学校生活について指導 |
| 2009年 | 1月に任意団体として学習支援教室みらいを立ち上げる |
| 2014年 | NPO法人みらいとして法人化、代表理事に就任 |
愛知県知立市で外国につながる子どもたちとその家族を支援するNPO法人みらいの代表理事を務める越智さや香さん。小中学生の学習を支援する「学習支援教室みらい」を中心に、保護者にやさしい日本語での育児情報や交流機会を提供する「多文化子育てサロン みらいJr.」、仲間と安心して学び合える心の居場所「みらい にほんごPlus」などを運営している。
取り組みの原点が、2005年から日系日本語学校教師隊員としてブラジルの日系日本語学校で活動した経験だ。日系3世、4世の子どもたちに日本語を教える傍ら、自ら現地の小学校で特別に生徒として机を並べさせてもらって授業を受けた。子どもたちが現地の小学校でどのように授業を受けているのか肌で感じてみようと思ったからだ。その体験は後に、外国につながる子どもたちの戸惑いや不安に気づく大きな助けとなった。
帰国後は知立市で、来日したばかりなどの事情で日本語が分からない子どもに日本語を教える指導員となった。「協力隊時代にお世話になった人々に間接的にでも恩返しがしたい」との思いから始めた活動は、地域の子どもたちへの学習支援に広がっていく。最初は学校内にある放課後子ども教室の一角、わずか2畳のスペースを借りて6人を対象にスタート。必要な子どもたちに支援を届けたいと、地域の人たちの協力を得ながら活動場所を広げ、現在の活動へと発展していった。その歩みを支えてきたのが「できないことより何ができるか考える」というモットーだ。
「何か目標を達成しようとしたら、まず『できない』ことより、『何ができるか』を考えます。実際、活動の継続を模索する中で『補助金はもらえない』『活動拠点になる場所を確保するなんて無理』と周りからは言われましたが、まず細々とでもいいので、できることからやってみる。小さな活動でも続けていれば、それが実績となり、協力者が少しずつ増え、輪が広がっていくのです」
また、誰かとつながることも大切にしてきたという越智さん。NPOの活動を通じて、学校だけでは出会えなかった地域の人や行政など、多くの人とつながった。それが子どもたちを支える力になっている。
「うれしいのは、活動の中からもつながりが生まれていることです。例えば、外国にルーツのある子どもを持つお母さん同士が知っていることを教え合ったり、かつて支援を受けていた子どもが成長し、今度は会をサポートする側になったりも。一人でできることは小さくても、人との関わりを介して活動が広がってきたように思えます」
帰国当初から今の道筋が見えていたわけではない。JICAの制度を利用して大学に編入して教員免許を取得し、目の前の課題に一つ一つ向き合う中で、次の道が開けていったという。
「協力隊で活動していた時には今の自分を全く想像していませんでした。取り組むべきことを地道に続けるうちに、次から次へと道が開けてきた。これからも、“目の前の子ども”を大切にしながら、自分にできることを考えていきたいと思っています」
最後に、現役隊員たちへのメッセージを尋ねると、返ってきたのは自身の経験から生まれた言葉だった。
「自分が現地で課題に感じたことや、やりたいと思ったことを、現地の方とのつながりを大事にしながらトライしてほしいですね。そうすれば、現地の方にとっても実のある活動になると思いますし、私自身そうだったように、その後の自分自身の学びや成長にもつながるはずです」
Text=池田純子 写真提供=川上貴美恵さん、越智さや香さん