
バヌアツ/陸上競技/2018年度4次隊、短期/2023年度9次隊・三重県出身
近年、教員の時間外労働の問題や生徒数減少などで存続が危ぶまれる“部活動”。三重県桑名市で一般社団法人Tamari Hubを立ち上げた糸見涼介さんは、部活動を学校から地域へ展開させ、生徒の実践的な学びの機会も提供する「くわなモデル」を推進している。中学校の恩師からの相談で昨年から活動を始めた糸見さんだが、その原点はバヌアツでの協力隊経験だ。
高校時代、駅伝に打ち込んでいた糸見さんは駅で目にした協力隊の募集ポスターに惹かれる。陸上競技という職種があると知り、「海外に行き、東京2020五輪・パラリンピックに選手を率いて出場する」との夢を持つ。大学でも陸上を続けつつ、語学の勉強や教員免許の取得などにも力を入れ、新卒で協力隊に参加。バヌアツへと派遣された。
赴任と同時に陸上競技協会の中長距離代表チームのコーチ・監督に任命された糸見さん。直面したのは “数字の概念の違い”で、時間や距離を数字で捉えることが根付いておらず、ペース配分なども理解できない状況に驚いた。言葉ではなく、選手と一緒に走って「1kmを3分半で走る時はこのくらいの速さ」などと感覚を体で覚えてもらい、日本での当たり前が通用しない世界で少しずつ変化を生み出していった。
赴任3カ月後には指導していた女子選手が大洋州諸国の総合競技大会「パシフィックゲームズ」のハーフマラソンで優勝。奥地の村落出身で靴をはく習慣すらなかったが、教育熱心な両親が町の学校へ通わせたことで能力が見いだされ、大会出場時に糸見さんらの目に留まった選手だった。「教育の大切さはもちろん、教育機関という場でいろいろな人に接して機会を得ることの意義を改めて感じる経験でした」。
だが、赴任から約1年後の2020年3月、コロナ禍で帰国が決まる。21年の東京五輪・パラリンピックへの代表チーム出場も実現せず、糸見さんは非常に落ち込んだ。ただ、現地経験からスポーツと開発に関心を持ち、イギリスの大学院で開発学の修士号を取得するなど自己研鑽を継続。一斉帰国から3年を経た23年4月、1年間の短期隊員として再びバヌアツへ赴任し、体制が崩れていた協会を立て直すべく、中長期計画の策定から大会の運営改善、選手選考方法の見直しなどマネジメントを一手に引き受けて改革を図った。
同時に、魅力あるスポーツイベントを通じた地域活性化を目指して計画したのがトレイルランニング大会。“世界で最も火口に近づける火山”と評判のヤスール山での大会は任期満了後の25年2月にテスト開催にこぎ着け、10月には国際大会化した。IOC(国際オリンピック委員会)やスポーツ・フォー・トゥモロー(※)の支援策の下で糸見さんが主導したが、大会の“魅力”で人や資金が呼び込まれ、今年開催の回はバヌアツ政府中心で自立するに至っている。
隊員経験は今、Tamari Hubの活動で生かされている。部活動の地域展開として、学校や学年を超えて市内の中学生6人が週1回集まり、「メディア部・イベント運営部」として地域の中学生の奮闘を取材して冊子で発信。冊子を通じて一般市民に地元中学生の活動を伝え、将来的な地域連携の足掛かりとする狙いだ。今秋には、商業施設でのイベントや地域活動に関わるプログラムも予定している。参加生徒たちが、従来の部活動のような教員・コーチといった“指導者”だけでなく、地域のさまざまな大人と関わって実践的なアクティブラーニングをできる環境づくりを目指す。
「私のバヌアツでの活動は大きく『代表チームの運営』と『トレイルランニング大会の創設』の2つでしたが、人々が率先して関わり、世の中への広がりを大きく見せたのは後者でした。それは、さまざまな関係者がイベントの一員としてそれぞれ“主役”になれるから。部活動の地域展開に持続性を持たせる試みとして、この学びを応用しています」
参加生徒からは「既存の部活動には興味を持てず、『メディア部・イベント運営部』は学校の外と関われそうで面白そうだと思って参加しました」との声もあり、4月の活動開始から少しずつ慣れ、主体的に取り組む姿勢が育ってきたという。
「これまでいろいろなイベントを主導し、一番成長させてもらったのは僕自身です。同様に、メディアやイベントの運営を通じて最も力を付けられるのは生徒たち本人でしょう。それは必ず、彼らの人生に資するはずです」 将来的には、このモデルを他の自治体にも広げる展望を持つ糸見さん。単なる部活動の肩代わりに留まらず、生徒が主体的に学んで成長できる新しい部活動のあり方への挑戦は、まだ始まったばかりだ。
※スポーツ・フォー・トゥモロー…スポーツを通じた国際交流や国際協力を通じ、世界の人々にスポーツの価値やオリンピック・パラリンピックに係る活動を広げることを目指す、官民連携による取り組み。東京2020オリンピック・パラリンピックを契機に始まった。
2012年
高校、大学と駅伝に打ち込みましたが、協力隊という目標ができてからは英語や教育の勉強にも力を入れました
2019年
国立競技場に時計さえなく、選手も時間通りに動く感覚がないことに驚きました。国際大会出場に必要な時間感覚を育むところから始め、後にはろう者の選手の可能性も追求。指導選手がパラリンピック代表に選ばれました
2020年
2022年
当時、イギリスで開かれたイギリス連邦の陸上大会でバヌアツの選手と再会できました
2023年
JICAバヌアツ事務所の方から、再派遣について連絡を受けました。修士課程修了後、選択肢がいくつかある中で一番やりたいと思えたのは、バヌアツに再び行くことでした
2023年
スポーツを通じた社会・生活の変化を目指す若者をIOCが支援するプログラムで、2023-26期メンバーは25人。同期らと毎月1回、オンラインで話す時間はとても刺激的です
2025年
箱根駅伝のように誰もが率先して参加したくなるスポーツイベントを企画すれば、自然と人が集まり自律的に回っていくと考えました
2026年
25年に個人で取り組み始めましたが、市からの業務委託を受ける関係上、法人化しました。僕自身は現在、JOCV枠UNV制度でUNDP(国連開発計画)のエチオピア事務所に駐在中ですが、弟が日本での活動を担って頑張ってくれています
Text=新海美保 写真提供=糸見涼介さん