タイ/コンピュータ技術/
2018年度2次隊・埼玉県出身
大学卒業後、神奈川県の企業でシステムエンジニアとして約4年間勤務。2018年、コンピュータ技術隊員としてタイ北部のピッサヌローク県に赴任し、理系の中高一貫校でプログラミング教育に携わった。赴任中には趣味としているマラソンで、県内の大会で優勝したこともある。コロナ禍で一時帰国後、21年9月に短期隊員として再赴任。現在は、活動中に身に付けたタイ語を生かし、学習動画の配信やパーソナルコーチングの形でタイ語を教えている。
伊井 誠さんはシステムエンジニアとして約4年間働いた後、協力隊に参加した。任地はタイ北部にあるピッサヌローク県。配属先のプリンセスチュラポーンサイエンスハイスクール・ピッサヌローク校は、理科・数学に重点を置いたカリキュラムで科学技術分野の人材育成を目的とする全寮制の中高一貫校だ。6学年で約720人が学んでいた。
「配属先は教育内容もカリキュラムも高度で、コンピュータは生徒1人に1台のパソコンを完備、先生方のスキルも十分に感じました。生徒たちも優秀で、科学分野のコンテスト出場や、そうした場での英語による発表にも慣れていて、私の中学・高校時代よりはるかに進んでいました」
主な活動は、4年生を対象に「Python」という汎用性の高いプログラミング言語を教える授業を、同僚のカウンターパート(以下、CP)と共に行うことだった。Pythonを扱うのは初めてだった伊井さんは、自らも学びながら指導に臨んだ。
当初は、協力隊員の受け入れ経験がなかったCPが、授業を伊井さん1人に任せっきりにすることが多いという問題があった。「CPに悪気はなく、新たに先生が1人増えた、と捉えていたのかもしれません」。
伊井さんをさらに苦しめたのはタイ語の壁だった。
「声調を間違えて別の意味になってしまい、生徒から笑われることもしばしば。また、訓練所で覚えた文字は教科書の分かりやすい書体でしたが、現地で目にするのは崩し字やポップな書体が多く、判読できませんでした」
担当した4年生(日本の高校1年生に相当)は6クラスあり、授業は2コマ連続で組まれていた。伊井さんは事前準備を入念に行い、授業ではスライドを見せながら教えた。
「プログラミングの言語はアルファベットなので、シンプルなタイ語の説明を加えれば進めることができました。ところが、質問されると聞き取れず、内容を紙に書いてもらっていました。遠慮からか質問が少ない中、勇気を出して質問してくれた生徒の言葉を聞き取れないことが悔しかったです」
伊井さんは必死にタイ語を習得しようとした。朝は1時間早く起きて勉強し、隙間時間には単語を覚え、使えそうな表現はメモして授業で試した。同じ授業を6クラスで繰り返すという状況も味方して、半年ほどでタイ語にも慣れてきた。
「技術や知識があっても、伝えられなければゼロになってしまう。技術力と語学力は掛け算だと思いました」
伊井さんは、実務経験を生かした指導も取り入れた。
「授業で取り入れられていなかった要素に、“プログラムにコメントを残す”ということがありました。担当が代わった場合などに対処できるよう、このコードがなぜ組み入れてあるかを説明したり、現場の状況に沿ったアドバイスを残したりすることは基本ですから、授業で伝えました」
その頃には、JICAからの働き掛けもあり、CPが主に授業を進め、伊井さんは演習問題などで生徒1人1人をフォローするという指導体制が定着していた。
もう一つ力を入れたのが、タイに12校ある姉妹校から生徒が集まり、初対面の仲間とチームを組んでゲームを制作するハッカソン(※1)というイベントだ。生徒たちは、ゲームを開発するためのプラットフォーム「Unity」を使い、テーマである“SDGsについて学べるゲーム”を期間内に完成させ、英語で発表する。伊井さんもUnityを学んで教材を作り、放課後に生徒やIT科の教員を指導した。大会本番ではピッサヌローク校の代表4人のうち2人が勝ち抜き、日本で行われた決勝に進み、高等専門学校のチームとの競技に挑んだ。
順調に活動が進む中、コロナ禍に見舞われ、2020年3月に一斉帰国が行われた。それでも伊井さんは日本でUnityの英語教材などを作り、現地教員への技術移転を図った。21年9月には短期隊員として再赴任したが、隔離や移動制限が続き、バンコクから遠隔で授業を行う形での活動となった。
「自分は教えることには向いていないと思っていました。でも、生徒から『先生のシンプルなタイ語での説明は分かりやすい』と言われ、教える楽しさに気付きました」
伊井さんは現在、タイ語学習者向けの動画配信やパーソナルコーチングを行っている。協力隊で身に付けたタイ語とカリキュラム構成力を生かした活動だ。
「現地の人から受けた大きな恩があります。タイ語を学ぶ日本人を増やすことで、タイの人たちのためになればと思って続けています」
※1 ハッカソン…ハック(hack)とマラソン(marathon)を合わせた米国発祥の造語。参加者がチームを組み、特定のテーマに沿って期間中にプログラム開発を行い、その成果を競うイベント。
タイ/公衆衛生/
2025年度1次隊・山形県出身
幼少期からメディアを通じて海外での暮らしに憧れる。東京有明医療大学の保健医療学部柔道整復学科で医療の基礎をはじめ、接骨に関する伝統医療の柔道整復学を学んだ。そこで健康運動実践指導者の資格を取得し、高齢者向けの健康体操教室にも参加。4年時にゼミの教員からJICAとの連携派遣が始まることを聞き、チャレンジの機会と捉えて参加を決意。卒業後にタイ北部チェンマイ県の大学に配属された。
近年のタイでは高齢化が急速に進んでおり、健康づくりや介護予防を通じて「健康な高齢化」を目指す取り組みが盛んだ。それを支援するため、東京有明医療大学はJICAと同大学の学生などの関係者を協力隊員として送り出す連携派遣を開始。派遣先の国立チェンマイ・ラチャパット大学に2025年8月に着任した佐藤雛奈さんは、同窓生の黒田悠斗さん(タイ/公衆衛生/2025年度1次隊)と共に、その第1号に当たる。
活動の柱は、公衆衛生学科の学生を地域の「健康リーダー」として育てるための授業支援と、高齢者を対象とした体力測定や介護予防運動の実施だ。
週2回の授業では、学生たちが体力測定データを統計解析ソフトに入力し、数値から健康状態を読み取る方法などを学んでいるが、パソコン操作に慣れていない学生も多いため、佐藤さんがフォローしている。
配属先は市役所と連携して「高齢者大学」というプロジェクトも行っている。60歳以上の希望者約50人が参加し、栄養や衛生について学ぶ座学に加え、脳トレや体操などのアクティビティに取り組む1年間の講座だ。運動指導を行うことに自信がない学生も少なくないため、佐藤さんは健康づくり運動の立案や指導のスキルを生かし、高齢者大学で行う体操やエアロビクスの振り付けを考えて提供している。
また、タイには「タイムバンク(※2)」というボランティア制度があり、配属先の学生も積極的に参加している。
「学生たちは高齢者宅に訪問して、健康状態を調べたり、家の掃除をしたりしています。転倒防止のため庭の竹を切って手すりとして設置するなど、その場で使えるものを見つけて工夫する力に驚きました。また、通信手段を持たない高齢者の代わりに近隣住民が役所に足を運んで支援を依頼するなど、助け合う文化があることにも感心しています」
佐藤さんには言葉の壁で悩んだ時期がある。慣れないタイ語に加えチェンマイの方言が聞き取りづらく、周りの人との会話を避けるようになった。高齢者から話し掛けられても満足に応えられず、「自分はここにいる意味があるのだろうか」と悩んだ。
「自分を見失ったような感覚でした。何とか自分を取り戻したいと思い、自室に好きなグッズを飾ったり、自然の中を散歩したり、好物の甘いものを食べたりしました」
少しずつ積極性を取り戻した佐藤さんは、周囲の人に自分から話し掛け、聞き取れなければ質問し、翻訳アプリも使って理解に努めた。手料理を持ってきた高齢者に、「この料理おいしいね」と話し掛けると、笑顔を見せてハグしてくれた。学生たちとも話すようにし、タイ語の言い回しを教わったり、共にスポーツなどを楽しむ仲にもなった。
他方、カウンターパート(以下、CP)からの要望の多さにも苦しんだ。CPは同学科の教授であり、知識と熱意のある人物だ。高齢者疑似体験キットの学生へのレクチャーの準備など、さまざまな仕事を佐藤さんに任せるのだが、それが2つも3つも重なり、翌日の授業で使うものなど直前の依頼もしばしば。それに応えるため、佐藤さんは徹夜でスライド資料を作ったり、説明のためのタイ語を覚えたりした。それでも授業で使われないこともあり、「CPは私のことを考えてくれていない」と思った。
そうした中、CPからの一言が転機となった。「完璧にしなくていいんだよ、そんなに難しいタイ語を使わなくていい。ヒナがちゃんと理解することが一番大事なんだよ」。
佐藤さんは授業で確実に使う1つのことのみに集中して理解するようにし、簡単なタイ語を使い、ジェスチャーや擬音も援用して伝えるようにした。
「簡単なタイ語のほうが学生も高齢者も理解してくれて、たとえ発音を間違えても、逆に正しい発音を皆が教えてくれる。最近はそうした流れができて、やりやすくなりました」
さらに、CPが多くの仕事を任せるのは、「いろいろなことを経験してほしい、できるようになってほしい」という思いからだったことが分かり、佐藤さんは思いを新たにしている。今後は学生と共に、高齢者が家でもできる運動や脳トレの動画を作ってSNSで広く共有する取り組みを進めたいという。自分の考えも少しずつ伝えながら、佐藤さんらしい活動を形にしていくことが目標だ。
※2 タイムバンク…地域の高齢者などの困り事や家事をボランティアとして支援すると、それに費やした時間を同制度内限定の「クレジット」に換算して得られる仕組み。後になってボランティアをした人が支援を必要とした時にはクレジットを使ってサービスが受けられる。
タイには仏教行事をはじめ、伝統的な祭りが豊富にあり、現地で活動する隊員たちも参加する機会が多い。
タイの旧正月を祝う4月のソンクラーンでは、タイ全土が熱気に包まれる「水かけ祭り」が行われる。年長者の手に水を掛け敬意を示す仏教儀式が変化したもので、街路やトラックの荷台から盛大に水を掛け合う派手な祭りだ。チェンマイの旧市街で沿道の人々と水を掛け合い、全身ずぶ濡れになった佐藤雛奈さんは、「暑さしのぎとして理にかなっている上、見知らぬ人同士が笑い合えるおおらかさにタイらしさを感じました」と語る。
雨期が明ける11月頃には、水辺にクラトンと呼ばれる灯籠を浮かべて水への感謝と願いを託す「ロイクラトン」が行われる。伊井 誠さんは配属先の学校の池で、生徒が用意してくれた灯籠を流した。「無事に任期を終えられますように」と祈りを込めて水に浮かべた瞬間、池の魚が一斉に伊井さんの灯籠に群がり、わずか10秒ほどで消えてなくなった。最近では環境への配慮から、トウモロコシの粉や麩など魚の餌になる素材を使うことが増えているのだった。伊井さんは、「あっけに取られましたが、いい思い出です」と笑う。
Text=秋山真由美 写真提供=伊井 誠さん、佐藤雛奈さん