日本も元気にするJICA海外協力隊 岐阜県

糸井 紀さん

糸井 紀さん 青年海外協力隊
Osamu Itoi

県立岐阜高等学校教諭(岐阜県水泳連盟副理事長)

【職場】
岐阜県
【職業】
高校教諭(団体役員)
赴任国
エクアドル共和国
エクアドル共和国
【赴任地】
チンボラソ県リオバンバ市
【職種】
水泳
【派遣期間】
2013年7月~2015年3月

仲間になった南米の水泳チームとともに
目指すは東京オリンピック!

メンタリティも体力も、今の自分があるのは水泳のおかげ。深い恩義を感じている。
エクアドルでの協力隊経験では、仲間になることの大切さを知った。
東京オリンピックで南米の水泳選手が活躍できるよう、迎える準備に余念がない。

水泳への熱い思いを国際協力にも活かそう
水泳への熱い思いを国際協力にも活かそう
 「水泳に恩返しがしたい」
 糸井さんの口から何度も出た言葉だ。小学校1年で水泳を始め、ずっと水泳に打ち込んできた。大学では水泳の指導方法を研究した。「努力し続けないといい結果は出ない、というメンタリティを水泳が作ってくれました。水泳に育ててもらった、人生の基礎になったと感じています」
 岐阜県で県立高校の教員になってからは、水泳の指導に力を入れた。国体の岐阜県代表チームのコーチも務めた。
 ある時、JICAのスタッフと話す機会があり、教員が現職のまま青年海外協力隊に参加できる制度を知る。ナショナルチーム・レベルの選手やコーチに指導するという話に心が動いた。そして「水泳に恩返しを」という気持ちが背中を押した。
 39歳で協力隊に応募、南米エクアドルに赴任した時は40歳になっていた。
初めの一歩は仲間になることから
 エクアドルは赤道直下の国。アンデス山中の標高2900m近いリオバンバ市のスポーツ連盟で、エクアドル代表のコーチや選手たちに水泳の練習方法や指導方法を教えるのが仕事だった。実績ある日本の技術を伝えればうまくいくと考えていたが、現実はそんなに甘くはなかった。
 まずは練習に対する態度の違いに戸惑った。金曜から日曜まで、選手もコーチも練習に出てこない。家族や友達とすごす時間が優先されるのだ。誰かの誕生日はパーティになって練習が潰れる。水中に入る前にストレッチなどを行うドライランドトレーニングの重要性も認識されていなかった。
 水泳中の動作を撮影して解析する映像分析手法や、エネルギーを効率的に使えているか評価する血中乳酸値測定。科学技術を使った方法を日本から持ち込んだが、受け入れてもらえない。
 「どうしたらいいんだろう、と頭を抱えました。とにかく彼らの懐にとびこんでいくしかない、と思って皆と一緒に一晩中飲んだり踊ったり、パーティではケーキのぶつけ合いもしました。そうして何ヵ月か経った頃、やっと仲間として認めてもらえたと感じたのです」
 仲間になってからは活動がうまくまわるようになった。特にエクアドル代表コーチのビセンテさんが熱心に勉強してくれるようになったのが大きかった。その結果、ワールドカップの標準タイムを切る選手が出て、2014年の東京大会に参加できることに。糸井さんが引率して、エクアドルチームは日本へ向かった。
 筑波大学で合宿し、大学の選手と合同練習したり、最新技術を利用する研究施設を見学したりした。残念ながらワールドカップで決勝には進出できなかったが、オリンピックの金メダリストや世界記録保持者と同じレースに出たことは、選手たちに大きな刺激を与えた。
 糸井さんは2015年3月に帰国、県立高校の教職に復帰し、岐阜県水泳連盟の副理事長にも就任した。
 「協力隊を体験したことで、水泳に恩返しがしたいという気持ちがいっそう強くなりました。エクアドルの人たちによくしてもらったから、南米の人たちに恩返ししたいという気持ちも生まれました」
最高のコンディションでオリンピックへ送るために
 日本には日本のやり方があるし、エクアドルにはエクアドルのやり方がある。どちらがいい悪いではなく、文化の違いなのだ。違いを認識し、その時その場に応じた対応ができるようになったと、糸井さんは言う。生徒たちにも、違いを楽しんで、と伝えている。
 糸井さんがまだエクアドルにいる時、2020年のオリンピックが東京で開催されることが決定した。帰国した糸井さんに、エクアドル、ペルー、ボリビアの3ヵ国合同で、オリンピック代表水泳チームの直前合宿を岐阜でしたい、という要請が舞い込んだ。
 糸井さんは今、この合宿に向けて、オリンピックの本番で最大限の力を発揮できるよう奔走中だ。日系人の岐阜県人会に呼びかけて、料理を作ってもらう手配もした。故郷の味が恋しくなるだろうという、仲間ならではの心尽くしだ。
 合宿の後は、仲間とともに東京オリンピックへ。夢は、エクアドル水泳陣がまだ果たしていない決勝進出だ。
 糸井さんには揺らがない軸がある。育ててくれた水泳に対する愛情。協力隊でお世話になった南米の人々への感謝。東京オリンピック、そしてその後もずっと、糸井さんの恩返しは続く。
  • 力強く語る言葉からは、水泳の未来を見据える気持ちが伝わってくる。
    力強く語る言葉からは、水泳の未来を見据える気持ちが伝わってくる。
  • 「2019世界パラ水泳選手権大会代表選考会」では、スターターや審判員を務める。
    「2019世界パラ水泳選手権大会代表選考会」では、スターターや審判員を務める。
  • 国際審判の資格を持ち、審判員として経験を重ね、スキルアップする努力も怠らない。
    国際審判の資格を持ち、審判員として経験を重ね、スキルアップする努力も怠らない。
糸井 紀さん
Profile
 岐阜県出身。小学校1年生から水泳を始める。大学では水泳の指導法を研究し、大学院まで進む。岐阜県で県立高校の教職に就き、水泳部を指導。現職教員特別参加制度で青年海外協力隊に参加、2013年7月から南米エクアドルへ。帰国後は教職に復帰、岐阜県水泳連盟の副理事長を務める。
糸井さんへのエール! 障がい者水泳の発展にも力を貸してほしい
 私も協力隊でマレーシアへ行きました。糸井さんとは派遣された時期も国も違うけれど、協力隊ということで繋がる何かがあると感じます。困難に直面した時、無理じゃないかと諦めず、どうしたらいいかという考え方をする人。糸井さんには障がい者水泳の競技役員としても関わってもらっていますが、東京パラリンピック以降も障がい者水泳のレベルアップのため、力を貸してもらいたいと思っています。
パラリンピック水泳日本代表 ヘッドコーチ 峰村 史世さん
パラリンピック水泳日本代表
ヘッドコーチ
峰村 史世さん
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