大栁 由紀子さん
青年海外協力隊
Yukiko Oyanagi
学校法人アジア学院 副校長兼教務主任
- 【職場】
- 栃木県
- 【職業】
- 専門学校教職員
- 赴任国
-
サモア独立国
- 【赴任地】
- アピア市
- 【職種】
- 野菜
- 【派遣期間】
- 1995年12月~1998年6月
協力隊での学びを活かして
開発途上国で活躍する農村リーダーを育てる
協力隊時代、農村を巡って家々を訪問し、住民と寝食を共にしながら信頼関係を築いた。
「生まれ変わっても協力隊に行く」そんな誇りを胸に、今は開発途上国からの留学生と寝食を共にする。
様々な課題が山積する時代の中で、世界だけでなく地域にも開かれた学校づくりを目指している。
日本で出会った理想の学校とカウンターパート
学生は、開発途上国のNGOや農民組合などから選ばれた、指導者候補とも言える優秀な人材だ。毎年4月から12月まで、9ヶ月の研修を行っている。学費は寄付や奨学基金で賄われている。毎年約30人を受け入れ、1973年の創立からこれまでの卒業生は1,300人を超え、アジアだけでなくアフリカ、太平洋諸国など約 60ヶ国で活躍している。同学院が目指すのは、現地住民に寄り添う「仕える指導者」、多様性や個性を重視する「共同体形成」、そして食べ物と命のつながりを意味する「フードライフ」だ。
「ここでは世界各国の疑似農村が体験できます。留学生たちは、協力隊時代のカウンターパートのような存在ですね」自身の理想とも言える同学院を、大栁さんはそう表現する。
協力隊員を輩出する大学へ
“何者でもない自分”がいたサモア
大学受験に失敗した後、通っていた予備校の担当教員が地球環境保全や国際協力に関心があったことから、大栁さんの人生が変わっていく。「触発されて、国際協力と環境、農業を学ぼうと東京農業大学へ進学しました」同大学は協力隊員をこれまで1,200人以上輩出するなどJICAとの結び付きも強く、大栁さんの担当教員もJICAの技術顧問だった。「志があるうちに行け」と勧められ、在学中に協力隊への応募を決意。野菜隊員としてサモアへ派遣された。
当初は、サトイモの葉腐れ病対策や女性のハンドクラフト指導を行う予定だったが、現地に到着すると要請が変更。村々を巡回し、農業の実態調査や作物の栽培方法などの啓発活動を行うことになった。カウンターパートや同僚、そしてコミュニティ開発や保健師の協力隊員らとともにチームを結成し、首都を拠点に2年半の活動期間で200以上の村を訪問。行けなかったのは僅か4村だけだった。民族衣装を着た日本人が活動しているというだけで村民の関心を引き、おのずと人が集まることから、チームの他の仕事もスムーズに進んだという。
「若くて経験はありませんでしたが、村民と共に食事をし共に悩むことで、少しずつ受け入れてもらえるようになりました。協力隊員としての一番の思い出は、しがらみのない、何者でもない自分でいられたことですね」
当初は、サトイモの葉腐れ病対策や女性のハンドクラフト指導を行う予定だったが、現地に到着すると要請が変更。村々を巡回し、農業の実態調査や作物の栽培方法などの啓発活動を行うことになった。カウンターパートや同僚、そしてコミュニティ開発や保健師の協力隊員らとともにチームを結成し、首都を拠点に2年半の活動期間で200以上の村を訪問。行けなかったのは僅か4村だけだった。民族衣装を着た日本人が活動しているというだけで村民の関心を引き、おのずと人が集まることから、チームの他の仕事もスムーズに進んだという。
「若くて経験はありませんでしたが、村民と共に食事をし共に悩むことで、少しずつ受け入れてもらえるようになりました。協力隊員としての一番の思い出は、しがらみのない、何者でもない自分でいられたことですね」
協力隊、各国とのつながり
そして地域とともに
アジア学院には現在、大栁さんを含め5人の協力隊経験者が勤務している。「派遣されていた国にいるようで居心地が良い」というのが共通の感想だ。学生だけでなくスタッフにも各国出身者がおり、共通語は英語。同学院内で消費する食料のうち95%は自給自足、塩や砂糖以外はほぼすべて自分たちの土地から収穫する。そんな「世界各国の疑似農村」という環境はJICAの課題別派遣前訓練※にぴったりで、これまでに多くの協力隊候補生が同学院で学び、旅立った。
2020年7月末には、コロナ禍で一時帰国した隊員8人が同学院で2週間暮らし、外国人スタッフや学生とともに農業体験だけでなく、コミュニケーションスキルなどを磨いた。この研修は隊員たちに好評で、同年11月には更に8人が参加。その時に中心となって対応したのが大栁さんだ。参加者は大栁さんとの何気ない会話や相談を通して、一時帰国の不安を軽減し、さらなる進路へのモチベーションを高めたという。
那須の地に根を張った同学院は、世界でも類のないユニークな学校だ。その中で大栁さんは協力隊の経験を還元しながら、これまでの垣根を越えた新たな共同体との連携にも力を注ぐ。定期的に開催する日帰りプログラムで一般の見学者や地元小中学生らを対象にした地域プログラムも始めている。
「これまでは開発途上国の指導者育成が中心でしたが、今後は地域社会や国内にも目を向けた学校運営をしていきたいです」世界、そして地域に開かれた学校づくりが大栁さんの新たな目標だ。
※旧技術補完研修。選考試験に合格し隊員候補者となった人たちに出発前の期間を利用して、現地で役立つより実践的な知識や技能を補完するために行われているもの。
2020年7月末には、コロナ禍で一時帰国した隊員8人が同学院で2週間暮らし、外国人スタッフや学生とともに農業体験だけでなく、コミュニケーションスキルなどを磨いた。この研修は隊員たちに好評で、同年11月には更に8人が参加。その時に中心となって対応したのが大栁さんだ。参加者は大栁さんとの何気ない会話や相談を通して、一時帰国の不安を軽減し、さらなる進路へのモチベーションを高めたという。
那須の地に根を張った同学院は、世界でも類のないユニークな学校だ。その中で大栁さんは協力隊の経験を還元しながら、これまでの垣根を越えた新たな共同体との連携にも力を注ぐ。定期的に開催する日帰りプログラムで一般の見学者や地元小中学生らを対象にした地域プログラムも始めている。
「これまでは開発途上国の指導者育成が中心でしたが、今後は地域社会や国内にも目を向けた学校運営をしていきたいです」世界、そして地域に開かれた学校づくりが大栁さんの新たな目標だ。
※旧技術補完研修。選考試験に合格し隊員候補者となった人たちに出発前の期間を利用して、現地で役立つより実践的な知識や技能を補完するために行われているもの。
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事務所で同僚と談笑する大栁さん。世界各国から集まった信頼できる仲間たちに囲まれ、充実した毎日を過ごしている。
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現在、コロナ禍で学生は少なく、ビジターの制限もあるなか、大栁さんは彼らのために最善の学びの場を提供できるよう尽くしている。
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有機農業による時給自足は同学院のこだわり。地域の人たちにも農業体験を通じて、同学院ならではの暮らし方を感じてほしいという。
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大栁 由紀子さん
Profile - 東京都出身。大学在学中、教員の勧めで青年海外協力隊に参加。1995年、野菜隊員としてサモアに派遣され、作物の栽培指導に従事。2年半の活動を終え、1998年に帰国。塾講師などを経て学校法人アジア学院でボランティア活動を開始。その後、職員となり食品加工、野菜・作物を担当。2010年、教務主任に就任。現在、副校長兼教務主任として学生の指導に従事。
- この学校に協力隊の経験は必要不可欠
- 協力隊員は現地の人と生活や仕事を共にし、時には失敗して、それを乗り越えた経験を持っています。それは日本では得られないもので、大栁さんが当学院で活躍しているのは、開発途上国で育んだ感性があるから。上手くいかなくてもそれを良しとし、あきらめず落ち込まず、そんな彼女からは他の教職員も多くのことを学んでいます。開発途上国での経験は今後の日本には必要です。そんなプログラムづくりも期待しています。
- 学校法人アジア学院 校長
- 荒川 朋子さん