
渡邊 良子さん
青年海外協力隊
Ryoko Watanabe
助産院「温~ぬく~」代表
- 【職場】
- 山梨県
- 【職業】
- 助産師

- 赴任国
-
ラオス人民民主共和国
- 【赴任地】
- サイタニー郡
- 【職種】
- 助産師
- 【派遣期間】
- 2010年9月~2012年9月
ラオスで触れた人の温かさ
助産院を拠点に地元へ広める
医療の届かない村をまわり、ラオスの人たちの毎日を力強く生きる姿を知った。
帰ってきた地元の河口湖町で、育児に悩むお母さんたちが少しでも幸せになれるよう、
人と人とが繋がって、コミュニティ再生のきっかけになるような場を提供したい。
女性たちが集える場を地元に作りたい

「思春期から更年期まで幅広く、地域の女性をケアしサポートする場所。病院へ行くほどでもないけれど、ちょっと不調を感じた時、いつでも相談できるサロンのような場所を作りたいです」モットーとしているのは“あたたかい場所”だ。
協力隊でラオスへ行かなければ、自分で助産院を開こうとは考えつかなかった。
「ラオスの人たちは、よく笑って、よく食べて、よく動いて……毎日を力強く生きているエネルギーを感じました。そこで自分も変わったし、体験したことを地元に還元したいと思ったのです」
中学生の頃から看護師になりたかった渡邊さんは、医療ドキュメントをよく見ていた。アフリカなどで活躍する医療従事者の姿に、自分にできることがあるなら何かしたいと思った。
病院のない村をまわり健康に生きる手助けを
志どおり看護師の資格を取得し、さらに1年勉強して助産師になった。地元の病院に勤務し、生命が生まれる現場に携わる素晴らしさを実感した。
海外で活動したいという志も忘れなかった。旅先のフィジーで、現地の人たちと暮らしを共にする青年海外協力隊の活動ぶりを知り、参加を決意した。2010年9月から、ラオスのサイタニー郡病院の母子保健課で、助産師として働きながら看護の質の向上に努めた。協力隊が中心になった「JICA母子保健改善プロジェクト」の一員としても活動した。
「病院に来られない地域の村を巡回して、健康診断や予防接種をしたり、子どもたちの栄養指導をしたり。雨季には道さえなくなるようなところで暮らす人々に、医療の必要性を知ってもらうのです」
5年間のプロジェクトの最終年だったため、全体の評価とまとめ、終了後のフォローも行った。現地スタッフが自分たちで改善していこうと動きだしたのを見届けて、渡邊さんはラオスを去った。
「協力隊に参加してから、いい意味でゆるくなりました(笑)。ラオスでは停電や断水がしょっちゅうなので、電気がくるだけで有難い。日本は物質的には何の不自由もないけれど、ちょっと窮屈だと感じることがあります。毎日を幸せに生きられればそれでいいというラオスの人たちを見て、自分も毎日を大切にしようと思いました。今がつらいなら、将来のために我慢するより、つらさを解消する努力をしようよって」
ラオスでの経験から教育の重要性を痛感、帰国後は看護学校で教えながら、看護教育の基礎を勉強した。さまざまな背景をもつ学生たちとのコミュニケーションは、いい勉強になった。
「相手の話をよく聞き、その人なりのやり方を尊重する。信頼関係の大切さは協力隊で学びました」
助産院の開業を目指して、横浜の助産院でも働いた。地域に根ざした助産院で、お母さん一人一人に寄り添い、不安をなくしながらサポートする。渡邊さんは、地元にもこういう場所が必要だという思いを強くした。
そして2016年12月、助産院「温~ぬく~」を開業。誰でも来られるオープンデイを月1回設けている。育児に役立つ知識を提供したり、ベビーマッサージの会を開いたり、地域の助産師さんたちも応援してくれている。
海外で活動したいという志も忘れなかった。旅先のフィジーで、現地の人たちと暮らしを共にする青年海外協力隊の活動ぶりを知り、参加を決意した。2010年9月から、ラオスのサイタニー郡病院の母子保健課で、助産師として働きながら看護の質の向上に努めた。協力隊が中心になった「JICA母子保健改善プロジェクト」の一員としても活動した。
「病院に来られない地域の村を巡回して、健康診断や予防接種をしたり、子どもたちの栄養指導をしたり。雨季には道さえなくなるようなところで暮らす人々に、医療の必要性を知ってもらうのです」
5年間のプロジェクトの最終年だったため、全体の評価とまとめ、終了後のフォローも行った。現地スタッフが自分たちで改善していこうと動きだしたのを見届けて、渡邊さんはラオスを去った。
「協力隊に参加してから、いい意味でゆるくなりました(笑)。ラオスでは停電や断水がしょっちゅうなので、電気がくるだけで有難い。日本は物質的には何の不自由もないけれど、ちょっと窮屈だと感じることがあります。毎日を幸せに生きられればそれでいいというラオスの人たちを見て、自分も毎日を大切にしようと思いました。今がつらいなら、将来のために我慢するより、つらさを解消する努力をしようよって」
ラオスでの経験から教育の重要性を痛感、帰国後は看護学校で教えながら、看護教育の基礎を勉強した。さまざまな背景をもつ学生たちとのコミュニケーションは、いい勉強になった。
「相手の話をよく聞き、その人なりのやり方を尊重する。信頼関係の大切さは協力隊で学びました」
助産院の開業を目指して、横浜の助産院でも働いた。地域に根ざした助産院で、お母さん一人一人に寄り添い、不安をなくしながらサポートする。渡邊さんは、地元にもこういう場所が必要だという思いを強くした。
そして2016年12月、助産院「温~ぬく~」を開業。誰でも来られるオープンデイを月1回設けている。育児に役立つ知識を提供したり、ベビーマッサージの会を開いたり、地域の助産師さんたちも応援してくれている。
子育てにも、ほんの少し「ゆるさ」があっていい
「今の子育ては、こうじゃなきゃダメとか、皆と同じでなきゃおかしいとか、あまり個性を見てもらえなくて、それで悩み苦しんでいるお母さんが多い。子どもってかわいいのに、かわいく思えない精神状態に追いつめられている人もいて……。何より、お母さんと子どもが元気に笑っているのが一番。お母さんが笑顔だと、家庭が幸せなエネルギーに包まれます。それくらいお母さんって大きな存在なんです。そんなお母さんを縁の下から支えていきたいと思っています」
河口湖町でも、県外から移住してくる人が増えている。コミュニティに入りにくいお母さんは孤立しがちだ。
「ラオスでは、地域の皆で子どもの面倒を見るんです。感情豊かな人たちに囲まれて、子どもも人懐こくて無邪気。お母さんを信頼しているし、叱られても周りの人がかわいがってくれるから、心にゆとりがあって、穏やかになれるんです」
孤立する人をなくし、ここで繋がって外へ広がっていく─そんなコミュニティ作りのきっかけになればいい。地元の人たちが幸せになる手助けをしたい。それが渡邊さんの願いだ。
河口湖町でも、県外から移住してくる人が増えている。コミュニティに入りにくいお母さんは孤立しがちだ。
「ラオスでは、地域の皆で子どもの面倒を見るんです。感情豊かな人たちに囲まれて、子どもも人懐こくて無邪気。お母さんを信頼しているし、叱られても周りの人がかわいがってくれるから、心にゆとりがあって、穏やかになれるんです」
孤立する人をなくし、ここで繋がって外へ広がっていく─そんなコミュニティ作りのきっかけになればいい。地元の人たちが幸せになる手助けをしたい。それが渡邊さんの願いだ。
-
不定期で開かれる「ぬくカフェ」。食物やアレルギーなどの切実な話題に、熱心に聞き入る。
-
助産院は実家と同じ敷地にある。家族のあたたかい支援も渡邊さんを支えている。
-
小さい子どもを育てるお母さんのメンタル面をケアするため、時間をかけて話し込むことも。
-
渡邊 良子さん
Profile - 山梨県出身。看護師、助産師の資格を取得し、地元の病院で助産師として勤務。2010年9月から協力隊でラオスに派遣、郡病院で助産師業務をしながら、母子保健改善プロジェクトに携わる。帰国後は看護学校教員などを経て、2016年12月に助産院「温~ぬく~」を開業する。
-
地域の人が幸せになれる活躍を
- 渡邊さんが協力隊に行く前に、同じ病院で私も助産師をしていました。ほんわかした雰囲気の人だけれど、何かを学ぼうと思うと徹底的に調べて、得たことを多くの人に伝えようとするんです。ラオスから帰ってきた後は、自分で考えて切り開く行動力が加わったと感じますね。渡邊さんの活躍で幸せな人が増えるよう、私もお手伝いできればと思っています。

- 助産師
- 藤森 公世さん
