Interview

未来の世代の暮らしをつなぐ
持続可能な社会の構築へ

市川 龍之介職種:防災・災害対策
東京都生まれ。千葉大学理学部地球科学科卒業後、建設コンサルタント会社にて勤務。2018年11月からJICA海外協力隊としてフィリピンに赴任する。避難所のリスト化やハザードマップを公開するホームページ、スマートフォンアプリケーションの作成のほか、ドローンを使った建築物の3Dモデル化や洪水発生のシミュレーション作成などにも取り組む。 一時帰国後は、北海道の十勝地方にて酪農と農業に勤しむ。
派遣国:フィリピン
現在の活動:北海道にて、酪農・農業に携わる
01

(上)任国のオフィスにて同僚との仕事風景
(下)現地の様子を同僚と確認する市川隊員

知識やスキルを生かして
自分自身の可能性を広げる

私は大学卒業後、建設コンサルタント会社に入社しました。主に地盤調査や地質調査の業務を行う日々の中で、自然災害から人命や社会生活を守る土木工学を学び、今生きている私たちの生活に密着するこの分野にとても魅力を感じました。

入社2年目のとき、自分の学んだ知識や能力が役に立つ、何か新しいことに挑戦してみたい、と考えるようになります。そのタイミングで、大学時代の後輩からJICA海外協力隊の存在を教えてもらい、休職して応募することに決めました。

国境を越えて働いてみたいと思った理由は、今成長している国の姿を自分の目で確かめたかったからです。日本国内には至るところに建物があり、今後はその維持や管理をする時代に突入しています。ですが、今まさに建設ラッシュの渦中の開発途上国に行くことは、これから建設業界で生きていく上でも、自分の経験値と専門性を高められるよいきっかけになると考えました。

赴任地は、フィリピンのルソン島北部、ラ・トリニダードという町でした。派遣先で私が目標にしたのは、現地の人たちだけでも持続可能な防災の仕組みづくりです。当初は避難基準や避難計画などの作成を支援するという要請で現地入りしたのですが、赴任後、フィリピン国内のボランティアをコーディネートする機関から、赴任地周辺の小学5・6年生へ防災教育を行うことも求められました。

その活動をする中で、より広く地域住民に向けて自分の知識を生かした活動ができるのではないかと考え、現地スタッフと一緒に「地域住民への防災意識の啓蒙」を長期スパンのプロジェクトとして行う計画を立てました。JICA海外協力隊の長期派遣は一人の任期は基本2年間ですが、プロジェクトによっては、一人の隊員が任期を終えたあと次の隊員に活動を引き継いでいくことを前提に、複数年に渡って計画することもあります。 そこで、私が担当する最初の2年はハザードマップ作成や防災支援のためのIT技術導入、学生への防災教育用の資料作成などをメインに行い、次の2年を担当する隊員は、それら資料を使った防災支援や啓蒙活動、そして最後の2年の隊員は、それまでの活動分析や資料の改善をする、という具体的なPDCAサイクルを確立して、地域住民がアクセスしやすい防災情報の基盤づくり、そして現地の人たちが継続して運用できる仕組みづくりを計画しました。

02

キャベツの収穫の様子​

自分の知識を深めるために
時間を有効に使う

一時帰国が決まったときは、出発までの時間が短く、カウンターパート※には挨拶ができたものの、友人には別れの挨拶をする余裕はありませんでした。現地で一番重要視していた“持続可能性”という面では、引継ぎ時間もなく、自分が勉強した知識や活動を今後も引き継いでもらえるような体制づくりができず、中途半端な状況で帰国することになってしまい、とても心残りです。

ただ、過去を振り返っていても何も進みませんし、今ある材料で自分には何ができるかを考え、国内での活動を開始しました。

酪農・農業に携わった理由は、フィリピンの赴任地も農業が盛んな地域だったのですが、台風や洪水によって頻繁に畑が浸水し、作物に被害が出る様子を目の当たりにしていたこと。私は、浸水地域を予測する専門知識はあったのですが、農作物を浸水から守るための知識はなかったので、これを機に一次産業の観点から何か改善できる方法があるのではと考え、挑戦することを決めました。北海道を選んだのは、日本国内最大の規模で酪農・農業が行われているため、幅広く一次産業に関われると考えたからです。

現在の生活スタイルは、時期によりますが、朝5時から畑で野菜の収穫、その後休憩を挟んで乳牛の搾乳と続き、18時頃まで働いています。今までアスパラガスやレタス、キャベツのほか、飼料用のとうもろこしや牧草なども育ててきました。日々何ができるかを考え、試行錯誤を繰り返しながら、挑戦する毎日を送っています。

※カウンターパート:赴任国現地で行動を共にし、活動に協力してくれるパートナーのこと。

03

動物相手の酪農は、プレッシャーや緊張感を感じる日々

日本国内での活動を通して、
フィリピンへ貢献できることが
きっとある

フィリピンと日本の災害対策の違いとして、資金力と防災意識が考えられます。近年の日本の国土強靭化関係予算は約4兆円に上り、フィリピンの国家予算の約半分にもあたる額です。また、日本では災害時の避難基準なども周知されており、ある程度国民の防災意識は高いといえます。一方で、フィリピンでも自然災害に対する危機意識はあるものの、防災情報にアクセスする手段がないために、その周知ができていないという問題点がありました。

フィリピンに戻れたら、北海道で学んだ農作物の生産技術や、自然災害から農作地を守るノウハウも携えて、浸水被害を最小限に抑える総合的な防災対策を現地で考えてみたいと思っています。

04

自らの経験を生かして減災活動に取り組むことを目標としている

自ら考え、決める。
未来に向けた
減災への道のり

会社員時代は、建設コンサルタントという専門的な業界ということもあり、しばらくは勉強が続き、言われたことをこなしていく日々でした。ですが、海外協力隊を経験した今、何が必要かを自分で考えて自分で判断する力を身につけられたと実感しています。自分の行動を自分の意思で決める、その決定権があるという喜びと楽しさを感じています。

近い将来、日本国内で気象データと防災を組み合わせた減災活動をしてみたいと考えています。赴任時には、雨の後に起こる災害をメインとして防災活動を行っていた経験から、これからは、日本の高精度な気象データを利用してどのような災害が起きるかを事前予測できる高度なシステムを構築していきたいと考えています。

※インタビューは2020年10月に行われました。