雄大な海とキラキラした目を持つ島人達

【写真】服部 あい(徳島県在住)2018年度4次隊/モルディブ共和国/体育隊員
服部 あい(徳島県在住)

JICA海外協力隊に参加するまで

 私は大学までゴルフ一筋で、ゴルフのことばかり考えて生活していた。そんな私は大学4年生の教育実習で教師というものを経験し、実習最終日に実家へ帰宅したときには、「私、先生になる」と玄関で母に向かって発言したのを今でも覚えている。その後、体育大学を卒業し、大阪の学校で体育教師として勤務した。仕事は忙しかったが、充実した日々を過ごしていた。
 ある日、日本語学校でお手伝いをしていた母がある1枚のチラシを持って帰ってきた。そのチラシがJICA海外協力隊のものだった。「海外で働いてみたい」と心の片隅でぼんやりと思っていた私にとっては少し興味があった。ひとまず募集説明会が開催されることを知り、参加してみることにした。説明会から帰宅後、玄関で両親に「私、JICA海外協力隊に行ってくる」と伝えた。募集説明会で話をしていただいた小学校教育として活動していたJICA海外協力隊員の方をはじめ、帰国された協力隊員たちのキラキラした目がとても印象的だった。

モルディブと日本の強い絆

【画像】 派遣国であるモルディブ共和国は、約1200の島々で成り立っており、すべての島の総面積を足しても、東京24区程(徳島だと、徳島市と鳴門市をあわせた程の面積)の小さい国。モルディブは綺麗な海に囲まれた島国で観光業と漁業がかなり有名である。その一方、海抜が1.5m程度しかない上に平らな地形であることから過去に浸水の被害を何度も繰り返していた。その事実を知った日本は防波堤を首都のマレに15年の年月をかけ作った。完成から2年後の2004年にモルディブに大津波が来て国土の3分の2が水につかってしまったが、防波堤があったおかげで他の被災国のような深刻な被害はなかった。そのことから、島を歩いていると「日本がこの防波堤を作ってくれた。ありがとう!」「日本のおかげで助かった」と言われることが多々あった。日本とモルディブは強い繋がりがあるのだと感じた瞬間だった。

ケオドゥ島からマラドゥ島へ

【画像】 モルディブへ到着後、1カ月間ケオドゥ島で現地語訓練を受けた。ケオドゥ島では英語はほぼ通じずディベヒ語漬けになった。1カ月の語学訓練後、少し話せる状態になり意気揚々と任地へと向かった。
 私の任地はアッドゥ環礁(最南端)のマラドゥ島であった。4つの島が繋がったモルディブの中ではかなり特徴的な島で、第二の首都と呼ばれる場所であった。到着後、覚えたてのディベヒ語で現地の人に話しかけると、聞いたことのない言葉が返ってきた。その言葉はアッドゥ環礁のみ使用されるアッドゥ語だった(日本の標準語と沖縄の方言ぐらい異なる)。かなりの違いに驚いたが、現地のホストファミリーに教えてもらったりと現地の方と多く触れ合える時間ができそこで信頼関係を築くことができたので、結果的に私にとっては良かった。

モルディブでの活動で感じたこと

 私の主な活動としては、体育授業の指導方法を現地教員に伝えていく仕事であった。担当は小学校1年生~8年生の男女。学校の全校生徒は300人ほどであった。学校初日、先生と会った時に「あいが来てくれたから体育の授業は、休憩時間にできる。あい!これから体育の授業よろしく」と言われた。
 現地で行われている体育の授業を見てみると、ボール1つ生徒に渡し、「サッカーをしておいで」という自由時間みたいな状況だった。ただ、前任の方の影響で、授業前にはきちんと整列してから日本の準備運動が組み込まれている状況だった。準備運動もなく本当に自由時間のところからのスタートだと思っていたので驚いた。先生は、授業時間に遅れてきたり来なかったりだったが、生徒たちはみんなキラキラした目をして授業に出席していた。子供たちに「体育の授業は、こんなに楽しいんだ。体の動かし方はサッカー以外にも沢山あって、練習すればできるようになる。できた時が本当に最高なんだ。」と伝えたい気持ちももちろんあったが、私の一番の目的は、先生に体育の授業を持つ楽しさとやりがいを伝えることだった。着任当初、活動に対してかなり気合いが入っていた私は「しっかりリードしないと」「しっかり技術移転をしないと」そんなことばかり考え、堅苦しく、空回りの連続で全くうまくいかなかった。そんなことが続き、私は初めて現地の先生に弱音を吐いて相談した。すると、そこから拍車がかかったかのように現地の先生と連携が取れ、活動がうまく回っていった。その時に、時には人を頼ること。相談すること。一人で抱えないこと。自由に楽しく自分らしく。当たり前なことがとても大切であり、活動のリズムを大きく変えたきっかけになった。
 それからは、授業案の書き方などもわかりやすくイラストを使用して一緒に準備をしたり、各担当の先生と授業前にアクティビティの練習をし、実際の授業では現地の先生が子供たちに見本を披露したり、やり方のポイントを教えた。

JICA海外協力隊としてモルディブに行き、今感じること

【画像】 技術移転と意気込んでモルディブへ行ったが、実際は学ぶことだらけ。周りの人が困っていたら、自分事のように考え助けようとする。どんなトラブルがあってもポジティブに楽しもうとする。すれ違った人には挨拶をする。「ありがとう」「ごめんね」をしっかり相手に伝える。嬉しかったこと悲しかったこともストレートに相手に伝える。そんな“当たり前”で普通のことがどうしてか大人になると難しくなる。モルディブではその“当たり前”のことが大人になっても失われず、島人達がみんな前を向いて支え合いながら生活していた。とても心がホッとするそんな国だった。私もモルディブ人みたいに“当たり前”のことを当たり前にできるそんな素敵なキラキラした大人になりたい。

帰国してからの現在

 そんな私は現在、JICA四国 徳島デスクの国際協力推進員として徳島県国際交流協会(TOPIA)で勤務しています。どこかモルディブに似ている徳島県が好きになり、大阪から徳島県に移り住みました。今は、徳島県に移り住む外国人のサポートや、徳島県の子供たちに向けた国際理解教育活動に力を入れています。資料を作成するときにモルディブの写真を見るのでよくモルディブが恋しくなります。あのキラキラした目を忘れることなく、次は私がキラキラした目で子供たちにモルディブ人や世界のことを伝えていきたい。