
激変する山岳民族の生活
激変するシェルパ族の生活で“変わるもの”、“変わらぬもの”
世界最高峰のエベレストを筆頭に、ヒマラヤの山々が連なるネパールのトレッキングコース、通称“エベレスト街道”には、多くの登山客が世界中から訪れる。その壮大な景色の中に“プチ移住”をするという夢を持っていたのだが、今回、富士山よりも高い標高3,800メートルにある山岳少数民族のシェルパ族の空き家を借りることができた。アジアの山岳少数民族の多くは、山中で貧しい生活をしている。ネパールという国もまた、国土のほとんどが山岳地帯だ。しかしシェルパ族の村に住みながら彼らの生活や文化と接する中で、経済的に貧しかった山岳少数民族が時流に乗って大きく変貌していく姿を見ることになった。
シェルパ族が世界的に注目され始めたのは、1953年にニュージーランド人でイギリス隊のメンバーだったエドモンド・ヒラリーが、シェルパ族のテンジン・ノルゲイと一緒にエベレストに人類初登頂を果たした時からだ。もともと彼らが居住する地域はジャガイモしか育たない寒冷な高地で、長い間家畜の放牧や交易に頼る貧しい生活をしてきた。だがヒラリーのエベレスト初登頂後、この地は空前の登山ブームに巻き込まれていった。シェルパ族は高地での生活で高度順化した強靭な体力を買われ、エベレスト街道にやって来る外国人のガイドや荷物運び(ポーター)として雇われるようになっていく。
村に住み始めたころ、男性が少ないことを不思議に感じていた。外国人が訪れるのは、気候のいい10月から11月と3月から5月の乾季に集中しており、この時期、働き盛りの男性の多くは稼ぎ時で家を留守にする。雨季に入るとジャガイモを植える農作業が始まるが、最近ではこの時期に海外に出稼ぎに出る人も少なくない。外国人と接する機会がふだんから多く、国外への出稼ぎも難なくこなすので、農業が主体のほかのアジアの山岳少数民族とは違い、シェルパ族は現金収入を得る術を持っている。
-
水汲みに向かう3歳の少女。乗り物がない地域での生活は幼い子どもも含め人力が頼りだ -
最近はお城のような立派な家もある -
石の瓦に土壁でできた昔ながらの家は、シェルパ族が裕福になるにつれて少なくなってきた -
夕日に染まるエベレスト -
重いガスボンベも大型ヘリで荷揚げされる時代となり、輸送にかかる時間が大幅に短縮された -
チベット仏教独特の仮面舞踏祭「マニ・リンドゥ」 -
週に1度開かれる市場に商品を運ぶポーター -
シェルパ族の伝統的な衣装を着た男性 -
年配の女性はふだんからシェルパ族の衣装を着ている -
チベット仏教を篤く信仰するシェルパ族の家々には、山の神に捧げる祈禱旗が飾られている。3か月に1度、その旗を新しいものに交換する儀式を行う -
山の尾根や頂などには、山の神に捧げる祈禱旗が飾られる -
標高4,500m のロッジでクレジットカードが使える -
ナムチェバザールの商店ではさまざまな酒類も売られている -
エベレスト街道の拠点となっている標高3,440mのナムチェバザールには銀行のATMま である
昔はポーターの代名詞にもなっていたシェルパ族だが、裕福になってくると、きついポーターの仕事をしなくなった。代わりに標高の低いところに住むほかの民族が、現金収入を求めてポーターをするようになってきているという。シェルパ族の医療を担っているクンデ病院には、こうしたほかの民族のポーターたちが高山病で担ぎ込まれるケースが増えているそうだ。
裕福になってきたシェルパ族は、子どもの教育にも熱心だ。子どもを首都カトマンズや国外の学校で学ばせる家庭も多くなってきている。そこで学んだ若い世代は、不便な山の生活に戻ろうとしない。カトマンズに別宅を構え、厳冬期を暖かい場所で過ごす家庭も増えている。実際、私が暮らしていた村は3割ほどが空き家のようだった。
私がエベレスト街道を初めて訪れた約30年前は、まだ石の瓦や土壁の昔ながらの家が多く、人々が着ている服もけっしてきれいではなかった。電気もなく、夜になれば真っ暗な中で寝るしかなかった。しかし1990年代半ばにオーストリアの援助で水力発電所が完成すると、シェルパ族の生活は一変した。電灯で夜が明るくなり、台所には煮炊き用の電熱器や冷蔵庫が置かれるようになった。それまでは重労働だった薪を集める作業などが、大幅に軽減された。エベレスト街道の拠点にある標高3,440メートルのナムチェバザールには、ネオンが煌々と点いたバーも数軒でき、すっかり町並みが変わってしまっていた。
生活が変貌しつつあるシェルパ族だが、一方でチベット仏教を篤く信仰し、毎日祈りを捧げる姿は昔と変わらない。ゴンパと呼ばれるチベット仏教寺院から僧侶を招き、災いを追い払い、幸せを呼び込むご祈禱はいたるところで目にした。高地の厳しい環境で暮らし、ガイドという危険な仕事を生業としてきたシェルパ族は、裕福になってもお金では解決できない部分を仏にすがることで生き抜いていこうとしているように見えた。激変していく生活様式と変わらない信仰心、その両方が同居しているのが今のシェルパ族の姿だった。


堀 むあん(ほり・むあん)
1964年静岡県生まれ。全国紙の報道カメラマンを経てフリーに。30年以上にわたってアジア各地を取材し、アジアの都市風景やネパールのヒンズー教、メコン川流域などをテーマに写真展や写真集で発表している。最近では、ミャンマーで1年半暮らし、全州をオートバイで走破。帰国後1年間、伊豆半島の限界集落で暮らした後、ネパールのエベレスト街道に“プチ移住”した。