Mongolia

モンゴル国
国土の果てにある乾いた極寒の大地。鷹匠の後継である少年はその一歩を踏み出そうとしていた

未来を担う一歩

写真・文  松尾 純(フォトグラファー)

鷹匠を志ざし、歩み始めたカザフ族の少年

出会ったころ3歳だったクジェックは人懐っこく、一人前に「僕もお父さんのように鷹匠(たかじょう)になるよ。子どもに狩りを教えて、馬も今より増やすんだ」―そう言って笑う朗らかな子どもだった。しかし、再会した彼はつねに下を向き、口数も少なく、笑顔すら見せなくなっていた。学校に通うために親元を離れ、親戚のいる村で暮らしているからだ。彼は村に来て二日目から泣いていた。同い年のいとこがクジェックの心の支えだった。

クジェックに笑顔が戻ったのは週末のことだった。車で草原にあるわが家に帰るのだ。窓の外を眺め、草原が見え始めると、まるで水を得た魚のように生き生きと本来のお調子者に変貌していった。

帰りを待ちわびていた母親と祖母がクジェックを抱きしめて迎えた。彼はすぐさま草原に駆け出し、嫌がる家畜の背に乗って暴れ回ったり、怖がるいとこを後ろに乗せて馬を走らせたりした。ほとんどの遊牧民の子どもたちは、こうして6歳から18歳まで村と草原の二重生活を送っている。

モンゴル最西部に暮らすカザフ族には、両翼長2メートルを超える犬鷲(いぬわし)を使って狩猟をする鷹匠文化が残る。その技は代々一家の末子が受け継ぐことになっている。今年6歳になったひとりっ子のクジェックは、鷹匠としての一歩を踏み出そうとしていた。

父親はまず彼に小さな隼(はやぶさ)を与えた。一羽12キロを超える犬鷲では荷が重いからだ。大切なのは、実際に狩りに連れて行くことだと父親は言う。クジェックのためにと、馬や鞍(くら)、祖母が羊の皮をなめして作った鷹匠の衣装“トン”が用意された。

その日の朝の気温はマイナス15度だった。10月18日。キツネの毛がふさふさと美しくなる秋から冬の間が狩りの時季だ。トンの下に厚着をさせ、心配そうにクジェックを送り出す母親と祖母。まだ鐙(あぶみ)にさえ足が届かない少年が、ちょこんと馬にまたがり、大男たちの一行に交ざって出発する。

広大な大地をひたすら駆けて、ようやく目当ての岩山に到着したころにはお昼をまわっていた。これからが本番だ。

父親の腕に乗った鷲が放たれる。鷲は天高く上り、翼を広げ風に体をまかせて漂っていた。だが、あまりに気持ちがいいのか呼んでも戻って来ない。

「カーッ! カーッ! カーッ!」

声を張り上げ必死に呼び寄せようとするクジェック。風が強くなると鷲は戻って来ないこともある。父親は馬に乗り、鷲を追って急斜面を大急ぎで下りて行った。父ほどの乗馬技術を持たないクジェックは頂上に一人取り残され、恐怖で声を上げて泣き始めた。小さな後継者には、この未知の世界で犬鷲を操り、馬を乗りこなす父はどんなに偉大に映るだろうか。

帰路では、くすぶっていた曇天から夕陽が差し、あたりを明るくしていた。家に着くと、母親がトンを脱がせる。

「お父さんすごく強かったよ! 鷲が飛んで逃げそうだったから怖くて、僕がカーッ! カーッ! カーッ! って呼んだんだよ!」

恐怖を乗り越えた経験はいつの間にか自信へと変わり、クジェックは高揚感に満たされていた。その様子を穏やかに見つめながら父親は言う。

「獲物はとれなくても、鷲を持ち、馬に乗って、山の中で過ごせるのは幸せだよ」

しかし、時代は変わってきている。万が一、鷹匠として暮らしていけなくなっても生きていけるように、教育も受けさせたいというのが大人たちの考えだ。

「私たちはクジェックの希望を聞いて、本人の自由にさせたい。後継のことで彼の人生を潰したくない」

そしてつぎの週末、ふたたび村から草原に帰る日がやって来た。案の定、クジェックはみるみる元気を取り戻していく。大好きなカザフの民謡を口ずさみながら。

“生きているうちに歌って踊っていっぱい遊びましょう。人生は一度きり”

2020年7月号「地球ギャラリー」より
2020年7月号「地球ギャラリー」より
松尾 純

松尾 純(まつお・じゅん)

女子美術大学デザイン科卒。 50以上の国と地域での撮影経験を持ち、世界各地の辺境で暮らす人々をテーマに取材を続けている。ニコンカレッジなどでの講師のほか、書籍や雑誌など多方面で活動中。著書に『クゼゥゲ・クシュ』(私家版)、写真提供『夜明けの言葉』(ダライ・ラマ14世 著、三浦順子 訳、大和書房)など。
http://junmatsuo.jp/