People's Republic of Bangladesh

バングラデシュ人民共和国
仕事場へ向けてダッカの街を歩く少年。時刻はまだ午前4時30分だ

彼の人生、彼の夢

写真・文  吉田亮人(写真家)

Special movie
写真家からのメッセージ

教育の機会を奪われた少年が見る夢

早朝4時半。まだ夜が明け切らぬ闇の中を一人の少年が歩いている。上着のポケットに手を突っ込みながらとぼとぼ歩いて向かう先は、バスの駐車場。到着するやいなや少年は1台のバスの中に乗り込み、シートや窓や手すりを手際よく清掃し始める。それが終わるとドライバーとともに始発停留所まで移動し、客の呼び込みを始めた。

少年の名はムハンマド・リアジ。バングラデシュの首都ダッカで路線バスの車掌として働いている。私がリアジ君と出会ったのは2016年のことだ。それから3年にわたり彼の生活や働きぶりを定期的に写真に収めてきたわけだが、私が彼のような〝バスの車掌〞に興味を持ったのには理由がある。

〝働く人〞を写真に撮るためにこれまで幾度もバングラデシュを訪れてきた私は、ダッカ市内の移動の足として頻繁に路線バスを利用していた。バングラデシュの民間路線バスには必ずドライバーと、運賃を徴収する車掌がセットで乗車しているのだが、車掌にはまだ年端もいかない少年たちが多い。次から次へと乗ってくる客をさばきながら、狭くて揺れる車内を歩いて汗だくになりながら仕事に励む彼らを見ているうちに、素朴な関心として彼らの生活を知りたい、追ってみたいと思ったのだ。そこで声をかけたのがリアジ君だった。

当時15歳だった彼はまだ幼さが残る顔立ちながら、大人顔負けの仕事を毎日こなしていた。4時に起床し、6時に仕事開始。そこから往復3時間の路線をひた走りながら、大声で乗客を呼び込み、乗車させ、一人ずつ運賃を徴収していく。車内にはクーラーはおろか扇風機すらもないため、蒸し風呂のように暑くなる。おまけに道路はいつでもどこでも大渋滞。全開した窓からは排気ガスと埃っぽい外気が熱気とともに入り込み、それをめいっぱい吸いながら彼はまた大声で客を呼び込むのである。

それを一日4〜5往復して仕事が終わるのは22時頃。両親と妹が待つ家に着く頃には時計は23時を回り、そこから遅い夕飯を食べ、就寝間際にスマホをいじりながら眠りに就くのは0時過ぎである。そうやって文字通り朝から晩まで働いて得られる日当はわずか500タカ(約640円程度)だ。

「乗客と運賃のことでもめて、喧嘩になることがよくあるんだ。でも相手は大人だからいつも負けてしまう。それがこの仕事で一番つらい」。

年齢的にも立場的にも弱く、いつも大人たちに言い負かされて浮かない顔をしている彼が、それでも毎日職場に立ち続ける理由は家族にあった。

リアジ君の一家は、よりよい生活を求めて地方からダッカにやって来た。父親はバス会社に就職したのだが、賃金は低く、暮らしは一向によくならない。両親の手助けを少しでもしたいリアジ君は、通っていた学校をやめて父親と同じバス会社に就職し、車掌となったのである。

「息子が働いてくれるおかげで私たちは助かっています。娘も学校に行くことができています」。

リアジ君の自宅を訪ねた際、彼の母親がつぶやいたこの言葉は考えさせられるものだった。

「今一番したいことは、仕事以外のこと。ゲームしたり、友達と遊んだり、たくさん寝たり、普通のことをしたい。夢はバス会社のオーナーになって両親が働かなくてすむようにしてあげたい」。

まだ子どもでありたいと思う気持ちと、働かざるを得ない現実を生きる彼のささやかな願い、その両方が垣間見えたリアジ君の言葉に、私はやり場のない思いを募らせつつ写真を撮ることしかできなかった。

リアジ君のように教育の機会を奪われて働く子どもの数は、バングラデシュ国内だけで数百万人に上るといわれている。家庭の事情が許さないとはいえ、教育を受けられないことによる個人的・社会的損失はとてつもなく大きいといえるだろう。

2019年7月号「地球ギャラリー」より
2019年7月号「地球ギャラリー」より
吉田亮人

吉田亮人(よしだ・あきひと)

1980年宮崎県生まれ。小学校教員として6年間勤務後、2010年より写真家として活動を開始。写真集に『THE ABSENCE OF TWO』(2019年、青幻舎)などがある。
Web http://www.akihito-yoshida.com