日本語の専門家として
「やさしい日本語」の普及に尽力

話=岩田一成さん
●聖心女子大学現代教養学部日本語日本文学科教授
●青年海外協力隊経験者(中華人民共和国・日本語教師・1998年度1次隊)

中華人民共和国で日本語教師隊員として活動した後、日本語教育学の研究者となった岩田さん。外国人にもわかりやすい「やさしい日本語」を研究対象の1つとし、それを地方自治体や学校などに普及させる活動にも精力的に取り組んでいる。






PROFILE

いわた・かずなり●1974年生まれ、滋賀県出身。大阪大学大学院言語文化研究科博士後期課程修了。博士(言語文化学)。専門は日本語教育学。98年7月、青年海外協力隊員として中華人民共和国に赴任。2000年12月に帰国。20年より現職。近著に『〈やさしい日本語〉と多文化共生』(共著、ココ出版、19年)、『「やさしい日本語」で伝わる! 公務員のための外国人対応』(共著、学陽書房、20年)など。

協力隊時代●主に日本への留学を希望する学生が通う日本語学校に配属され、上級クラスの授業の実施、現地教員を対象とする勉強会の開催などに取り組んだ。右写真は、配属校の前で教え子たちと(中央が岩田さん)。


−−研究されている「やさしい日本語」の概要についてお教えください。

地域の日本語教室でボランティア教員を務める人を対象に、日本語教育に関する講習を行う岩田さん

「容器をご持参のうえ、ご参集ください」を「コップを持って来てください」に言い換えるなどして、母語話者(*)ではない方にもわかるように調整した日本語のことです。阪神淡路大震災をきっかけに広く普及しました。当時、情報を英語で発信してもあまり伝わらないこと、日本語もそのままでは伝わらないことが明らかになり、「やさしい日本語」に注目が集まったのです。その後、外国人住民に対する平時の情報発信でも取り入れるべきだと考えられるようになりました。
 私が「やさしい日本語」を研究対象とするようになったのは2008年のことです。それ以前から、役所の公用文が日本人にもわかりづらいことに日本語の研究者として興味を持っており、その原因を分析したいというのが動機でした。その後、職員を対象に「やさしい日本語」の研修をしてほしいという依頼を地方自治体からいただくようになったのですが、役所の公用文がわかりづらい原因を解説する本(※)を16年に出したところ、研修やコンサルティングの依頼が急に増えました。今年は延べ50程度の地方自治体や学校を回っています。こういった依頼に積極的に応じ、地方自治体の職員や学校の先生とおしゃべりをするなかで、課題を明確にしていく。「現場」に重きを置くそうした研究方法は、現地の先生たちと共に働きながら自分に貢献できることを探っていった協力隊時代の活動と重なるものだと感じています。

* 母語話者…その言語を幼少期から自然に習得し、実際に使う人。
※ 『読み手に伝わる公用文—〈やさしい日本語〉の視点から—』(大修館書店)

−−研修やコンサルティングの依頼が多いのは、それだけ外国人住民が増え、地方自治体や学校の業務に「やさしい日本語」を取り入れる必要性が高まっているということでしょうか。

 そうだと思います。さらにここ1、2年は、「やさしい日本語」の普及に強い追い風が吹いています。その1つは、国が「やさしい日本語」の活用の促進に乗り出したことです。18年に閣議決定された外国人の受け入れに関するプラン「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」(こちらの記事を参照) の改訂版で、「やさしい日本語」の活用が明記されました。それを受け、出入国在留管理庁と文部科学省が今年8月に共同で「在留支援のためのやさしい日本語ガイドライン」 を出しています。その作成に向けて設けられた有識者会議は私もメンバーとして加わっています。
 もう1つの追い風は、こちらも私がメンバーとなっている文化庁の文化審議会国語分科会で、「公用文」に関する見直しが進められていることです。1973年以降、役所の公用文は「公用文と法令における表記の一体化」が原則となっています。例えば、「うけうり」という単語は、「け」を入れて「受け売り」とする一方、「うけとり」の場合には送り仮名を入れずに「受取」とする、といった決まりです。しかし近年、地方自治体が住民に向けて直接発信するウェブサイトの記事などでは、そのルールを外れ、一般的な表現が使われるようになってきているのが実態です。「公用文の中の広報文」などと呼ばれるそうした文書を、内部向けの公用文と区別し、前者で使う表現は対象に合わせたものにすることを認めるべきだといった議論が、文化審議会国語分科会ではなされています。形式の制約が少なくなれば、より多くの労力を文章をわかりやすくすることに割けるようになるはずです。

−−母語話者ではない外国人にもわかりやすい文章にするためには、具体的にどのような手法があるのでしょうか。

 さまざまなものがありますが、地方自治体の職員研修などで特に重点を置いてお伝えしていることの1つは、敬語などによる「相手への配慮」や「正確性」を求めれば、それだけ「わかりやすさ」は損なわれるという、文章が負う根本的な性質です。例えば、地方自治体が実施する制度は、適用される対象者の範囲を厳密に伝えようとすると、「例外」をいくつも列挙しなければなりません。しかし、それをすれば制度の要点はわかりづらくなってしまいます。ですから、例外事項はほどほどに抑えておく必要があります。そうすることで、外国人だけでなく、日本人にもきちんと情報が伝わるようになると思います。
 最近は学校から研修を依頼されることも多くなっているのですが、学校で課題となっているのは、「保護者へのお知らせ」のプリントを外国人の保護者にもわかりやすくすることです。「お知らせ」は従来、「保護者は何をしなければならないのか」が日本人にもわかりづらい書き方が慣例となっています。例えば、水泳の授業が始まることに関する「お知らせ」で保護者にやってほしい行動は、「水泳の授業がある日には、子どもの体調を見て水泳カードに『参加可能』のサインをする」ということです。それならば、真っ先にそれを明記すべきなのに、季節のあいさつが長々とあり、続いて水泳の授業の開始について説明した後、最後に「カードにサインを」という文が置かれていたりします。研修では、「お知らせ」を書くときは保護者に対する行動要求を明確にしましょうと伝えるようにしています。

−−「やさしい日本語」について今後、どのような仕事をされていくのか、ビジョンをお聞かせください。

 にわかに注目が集まるようになった「やさしい日本語」ですが、私たち研究者の役割は、さまざまな提案の根拠となるデータを提示していくことだと思います。例えば、「どのような日本語の表現がわかりやすいと言えるのか」について、受け取り手の意見なども聞きながら「客観的根拠」を集めることが重要です。すでにさまざまな研究がなされているので、それらをわかりやすく現場の人に伝える。日本語の専門家として、そうした学術的な作業を担っていければと考えています。

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