帰国後、内定までの就職活動の方法を聞きました。
就職先:茅ヶ崎市役所
茅ヶ崎市の概要:神奈川県茅ヶ崎市は相模湾に面し、気候も温暖という自然に恵まれた環境の中、県下で7番目の人口24万の都市に発展している。職員採用においては人物重視の独自の採用試験「脱・公務員試験!」を行っている。
大学を卒業して民間企業に3年間勤めた後、協力隊に参加した西村隆仁さん。もともと国際貢献に興味はあったが、高校時代の同級生が協力隊に参加したことが決意を後押しした。
派遣国は中米コスタリカ。要請内容は、家庭菜園を行っている住民に野菜栽培と食育の指導をすることだったが、なかなか広く浸透せず、手応えを感じられずにいた西村さんは、指導の対象を小学校の子どもたちにシフト。栄養や衛生面などの指導をしたいと1人で校長に交渉するところから始め、任期を終える頃には6校で授業をするまでに活動を広げていった。
しかし、この2年間の活動を、西村さんは「悔しかった」と振り返る。
「〝地域のため〟と自分なりに頑張ったつもりですが、私が始めた授業は、私がいなくなっても継続するような成果になりませんでした」
この悔しさが、帰国後に市の職員という職業を選ぶ動機となった。
「住民の目線に立ち、課題を共有し解決するという活動をしながら、これは市の職員と同じだと思いました。そして、活動の続きを日本でやりたい、コスタリカでできなかったことを日本でリベンジしたい、と強く思うようになりました」。西村さんは日本から公務員試験の教材を取り寄せ、活動の合間に勉強を始めた。
市の職員を選んだのは、環境教育隊員としてコスタリカに赴任した同期の存在も大きかったという。
「市役所からの現職参加でしたが、ごみ分別のマニュアルの作り方、住民への広報など、経験に裏づけられたノウハウを持っていました。彼の仕事のやり方に感心させられたのも、市の職員に興味を持った理由の一つです」
茅ヶ崎市役所に入庁して、今年で9年目。「地域のために働きたい」という思いは今も尽きていない。
「20代は自分のために、30代は家族のために。40代を目前に、今後は周りの人たちのために頑張ってみようと考えています」
派遣先地域の住民に生ゴミコンポストの作り方を説明する西村さん
食育の授業の一環として小学校内に学校菜園を作る西村さん
コスタリカ北部の厚生省の地方事務所に、3代目隊員として配属されました。要請内容は、炭水化物中心の食生活で栄養面に偏りがある住民に家庭菜園を作り、維持・活用することを促すため、栄養指導と農業指導を行うというものでした。前任者の活動により、やる気のある住民に野菜栽培が定着している一方で、それ以外の住民からはやる気を引き出すのは難しいと感じました。そこで、指導の対象を大人から子どもに替えることにし、小学校の校長先生に直談判した上で、食育・衛生・健康の授業をさせてもらうことにしました。授業では言葉の壁があったので、紙芝居を作るなど工夫もしました。私の活動に賛同してくれる同僚も現れ、最終的には授業をする学校を6校まで増やすことができました。
任期を終えるのが30歳手前になるので、派遣中に就職の準備をしないと20歳代までの応募条件のところには間に合わないため、1年たったら就職活動を始めようと考えていました。帰国後の進路を市役所に決めると、任期2年目に公務員試験の教材を取り寄せ、活動の合間に勉強も始めました。
公務員の募集は6~7月に始まるので、帰国後すぐに公務員試験の予備校に入学し、試験や面接のための準備をしました。どの市にするかは特にこだわりはなく、地元大阪や前職で勤務していた北海道、赴任する前に観光に行った鎌倉などをいくつかピックアップしました。その中にあったのが茅ヶ崎市役所でした。関西の人間なので茅ヶ崎のことは詳しく知らなかったのですが、海に近くていいと漠然と思いました。茅ヶ崎市役所の採用試験は人物重視のため公務員試験がなく、そんなところにも興味を引かれました。
第1次試験は書類選考です。エントリーシートは、出題された内容について書くというものでした。テーマは、茅ヶ崎市役所で何をしたいかというような内容だったと思います。提出前には、市役所から現職参加していた同期の隊員に内容をチェックしてもらい、自分がやりたいことをただ書くのではなく、市の基本計画に落とし込むようにアドバイスをもらいました。
2次試験は7~8人での集団面接、3次試験は個人面接とグループディスカッション、4次試験が最終面接で、副市長や部長との個人面接でした。協力隊経験者が珍しかったようで、どのような活動をしていたのか、非常に興味を持って聞かれました。入庁後、面接担当の当時の部長から「協力隊の話が面白かったから採用した」と言われたことを覚えています。
現在勤務している茅ヶ崎市役所の前で
最初の4年間は防災対策課に配属され、住民と連携し地域の防災を考えました。その後、東京五輪前にスポーツ推進課に異動。茅ヶ崎市は北マケドニアのホストタウンとなっていたため、選手団の担当者と交渉し受け入れの準備を進めました。結局、コロナ禍のために選手が来ることはなかったのですが、外国人との交渉には協力隊での経験も役立ったと思っています。22年4月からは収納課の総務を担当しています。行政に携わる上で税金の収納・管理を経験したいと思い、異動を希望しました。現在は、DX(デジタルトランスフォーメーション)推進の業務が中心となっています。
私は現在、協力隊とまったく関係のない仕事をしていますが、そこで頑張った2年間は決して無駄ではなかったですし、経験は生きていると思っています。同期の隊員には、JICAの専門家や民間の開発コンサルタントになるなど、協力隊の延長線上で活動している人もいます。帰国後の就職では、協力隊の経験を生かすべきか悩むこともあると思いますが、どちらを選んでも間違いではありません。いろいろな視点を持ち、それぞれに合った選択をしていってください。
JICA海外協力隊ウェブサイト「帰国隊員の進路開拓についての相談受付」
※カウンセラー/相談役により対応可能な日が異なりますので、
あらかじめ電話またはメールでのご連絡をお願いします。
Text =油科真弓 写真提供=西村隆仁さん