
派遣前に要請内容を読み込み、現地の情報をよく勉強していても、いざ赴任してみるとまったく予想していない現地事情に驚かされ、時にはそれが活動の壁となってしまうこともあります。
今回は3人の先輩隊員に、自らが赴任時に直面した課題にどのように取り組んだのか、実体験とアドバイスを教えていただきました。
地道に粘り続けたり、活動の目先を変えたり、自分自身のマインドセットを変えたりと、さまざまなアプローチがあるので、自分に合ったやり方を見つける参考にしてほしいと思います。
派遣前に要請内容を読み込み、現地の情報をよく勉強していても、いざ赴任してみるとまったく予想していない現地事情に驚かされ、時にはそれが活動の壁となってしまうこともあります。
今回は3人の先輩隊員に、自らが赴任時に直面した課題にどのように取り組んだのか、実体験とアドバイスを教えていただきました。
地道に粘り続けたり、活動の目先を変えたり、自分自身のマインドセットを変えたりと、さまざまなアプローチがあるので、自分に合ったやり方を見つける参考にしてほしいと思います。
ガボン/野菜栽培/2012年度2次隊・青森県出身
大学まで青森県弘前市で過ごし、青年海外協力隊としてガボンへ赴任。異国での暮らしを経て、地元に戻って地域社会を盛り上げたいと考え、都内で地方創生分野の経験を積んで2018年に弘前市の地域おこし協力隊としてUターン。地域の課題解決などに取り組む「Next Commons Lab」弘前支部の現場コーディネーターとなり、22年にORANDO PLUSを設立。
地方の農業局のスタッフと共に、地域の農家を対象として野菜栽培や苗作りの指導を行うという要請で赴任したものの、スタッフには技術・知識を積極的に学ぶ姿勢が見られず、巡回などの活動にもほとんど同行せず石山さんに丸ごと任せてしまう。しかも、地域には肝心の専業農家もいなかった。
地元・青森県の大学を卒業し、石山紗希さんが新卒でガボンへ赴任したのは2012年。石油の生産で経済的に恵まれてきたガボンだったが、生産量が減少傾向に転じるなど状況が変化しつつあり、政府が他の1次産業や観光業の開発を進めようとしている背景があった。派遣前の石山さんに知らされていた要請内容は、任地・カンゴの農業局で職員に向けて苗床や堆肥を作る指導を行うことや、地域住民に野菜栽培について教えることなどだった。しかし、実際に現地へ赴任してみると、事前に想定していたのとは異なる状況に戸惑った。
「配属されたカンゴ農業局の事務所には所長と秘書、そして展示圃場などで畑仕事をするスタッフが2人いたのですが、求められた活動は『農業を活性化してほしい』という漠然としたもの。多忙な所長は一緒に活動することが難しく、スタッフたちが実質的な同僚となりましたが、彼らはあくまで仕事だから農業局に顔を出しているというスタンスで、新しい知識を学ぶことには消極的でした」
それどころか、石山さんが出勤して待っていてもスタッフたちが事務所に来なかったり、時には酔っぱらって来たりすることさえあった。「現地にはヤシ酒を造るシーズンがあって、特にその時期はみんな働きたがらないので大変でした」。
もともと、この配属先への隊員派遣は、石山さんの先代隊員が任期中盤にニジェールからの振り替えで配属されて始まったので、まだ協力隊受け入れの歴史自体が浅く、配属先の人々の間でも協力隊員という存在への理解が乏しかった。しかもこの地域はもともと農業地域ではなく、散発的に焼き畑農業を行う人がいる程度。石油産業の恩恵で外貨が豊富だったガボンでは周辺国から輸入した野菜が多く流通していて、カンゴでも農業普及に対するニーズがあまり高くなかったのだ。現状で農業が盛んではないからこそ“農業の活性化”が求められているとはいえ、農業を仕事にする住民すら見当たらず、取っかかりがない状況だった。
「赴任して早々に、やることがない!誰に対して何をすればいいのか?と壁にぶつかってしまいました」
ひとまずは配属先の人たちに自分のことを知ってもらおうと、事務所にはきちんと足を運び、常駐するようにした石山さん。敷地内の展示圃場では常に何かしらの作物を育てて管理したり、牛ふんを使った土作りや堆肥作りにも取り組んだりした。そんな中で「自分はただのマンパワーではないか?」と悩み、真面目に職場に来ないことが多いスタッフたちにも頭を抱えながらも、「真剣な態度で話したり、怒ったり、泣いてみたり、それでもだめなら、黙々と働く姿を背中で見せようとしたりと、あらゆるアプローチを試みました(笑)」。
さらに、親身になってくれた事務所の秘書と話したり、スタッフや地域の友人・知人らと一緒に飲みに行ったりする中で、現地の人々の仕事観について聞くことができたのは意味があったと振り返る。
「私の目からは全然働いていないと思えても、当人の基準では仕事をしたと考えていることもあります。すると、私に文句を言われて『なぜ怒られるんだ!』と反感を持ってしまうことも。彼らの基準を理解するのは難しいのが正直なところでしたが、知ることで折り合いをつけることはできました。他者を完全に理解するのは無理だと認識した上で、それでもわかり合おうとする姿勢は大切だと思います」
それでもスタッフのモチベーション問題や任地の農業事情などは簡単に変わるものではなく、石山さんは試行錯誤の2年間を送ることになった。
石山さんは配属先のスタッフたちへの働きかけと並行して、他に何かできることはないかと、自分の足で探して回った。
その中で見つかった活動先の一つが、任地の小学校だった。校長が熱意のある人物で、学校の生徒たちに、どのように自分たちの食べている野菜が育つかを知ってほしいという希望を持っていた。そこで校内のスペースを使って学校菜園を始め、オクラや落花生、ネリカ米などを生徒たちと一緒に栽培した。
「カンゴでは稲作が行われていないので、生徒たちは米がどのようにできるのか知りませんでした。落花生のように地中で実ができると思っていた子もいたのには驚かされましたが、実際に種もみを植えるところから育ててみることで、食育の観点から良い経験をさせられたと思います」
また、任期の途中からは、福祉系の隊員が活動している病院で、精神科と老人科の患者に向けたアクティビティとして敷地内で一緒に野菜を育てる活動も始めた。「首都近くの病院なので、時折出張していました。水や土を触るだけでも患者さんたちにとっては良い刺激になるそうで、認知症のお年寄りが昔の仕事を思い出したのか、収穫した野菜を並べて売るような動きを見せたりする場面もありました」。
育てたのはオクラなどの育てやすい野菜で、収穫した作物は病院食の食材として利用。本来の要請外ではあるものの、自身の知見を現地のために役立てる取り組みとなった。
小学校の菜園で育てたネリカ米はもともと、石山さんがウガンダでネリカ米栽培研修を受講して、種もみも調達してきて実現したものだった。
「時々隊員向けにネリカ米栽培の研修が行われていたので、任地で提案できる取り組みのレパートリーになるのではないかと思って研修を受けました」
ガボン全体でも米の栽培は珍しいため、学校だけでなく配属先の展示圃場の一角でも栽培デモンストレーションを行ったほか、関心を持ってくれた住民の家でも栽培を試した。
「ガボンでは米は輸入されたものを買うのが普通なので、小学生に限らず、一般の大人でも実際に栽培の過程を見る機会はほぼありません。いずれの栽培場所もごく小規模で試験的なものでしたが、住民たちの興味を引き出すことができて、反応は上々だったと思います」
2年間を通じて、配属先でも何かを形にして示そうと、事務所敷地内の展示圃場で堆肥作りや野菜栽培をやってみせることは継続していた石山さん。結局、スタッフらと体系立てて一緒に活動することは最後まで難しかったものの、住民に野菜のことや栽培方法について説明する中で、住民に野菜の苗や種子を提供して家庭菜園造りなどを行う取り組みにつなげることができた。
「住民向けの家庭菜園普及などは、配属先の同僚たちと一緒にできるのが一番だったのですが、そこまでは実現できませんでした。とはいえ、『野菜を輸入に頼り切ってはいけないから家庭菜園をやりたい』などと話す、やる気のある住民が任地にもいることがわかりましたし、収穫した野菜を副収入につなげたという人もいたのはよかったです」
Text=飯渕一樹(本誌) 写真提供=石山紗希さん