歴代隊員たちの成果の上に
コメ増産の取り組みを継続

山崎るうなさん
山崎るうなさん

ウガンダ/食用作物・稲作栽培/2022年度4次隊・千葉県出身

大学時代、アジアやアフリカの農業を学ぶ。大学連携での協力隊参加が決まったが、コロナ禍で待機を余儀なくされる。茨城県の農業法人に就職してコメ作りなどを学ぶ中で農業の魅力を再認識。ウガンダへの派遣が再開となったことから、2023年4月から現地で活動している。

17品種の種子管理探り
8カ月間、連日観察

世界と日本を変える力
圃場にまいて土壌改良などを行うため、もみ殻を加熱して炭化させた「くん炭」を作るなど、さまざまな取り組みに挑戦してきた

   食糧増産が課題となっているアフリカでは、JICAなどが長年にわたって稲作分野の協力を進めてきた。ウガンダは拠点国の一つで、技術協力プロジェクトと共に、協力隊員による取り組みも代々続いている。山崎るうなさんはそのバトンを受け継ぎ、2023年から活動を続けている。

   配属されているのは、ウガンダ国立作物資源研究所の穀物部門。同研究所に派遣されているJICA専門家と相談するなどして始めたことの一つが、品種ごとの種子の休眠期間のデータを取ることだった。

「ウガンダの気温は一年中23~25℃程度で、水さえあればいつ種まきをしても3~4カ月後には収穫できます。そのため、三期作のできる一部の地域では収穫したもみを種子としてすぐ田畑にまくこともあるのですが、それがまだ休眠中の
種子であった場合、何kgもの種子や労力が無駄になることもあります。それを防ぐために必要な、現地の品種の休眠期間のデータがそろっていなかったのです」

   水を張らずに畑で作る陸稲を含む17品種について、休眠期間を調べるため、各100粒のうち何粒が発芽しているか、8カ月間、毎日確認した。「任地から首都へ行く時も、友人の家に泊まりに行く時も、種を持ち歩いて毎日欠かさず記録を取りました」。

   着任から1年過ぎた頃からは、研究所の近隣農家を訪ねるようにもなった。

「最初は農家と研究所の田んぼの状況の差に戸惑ったのですが、話を聞いてみると、農家には農家の理由があることもわかってきました」

   例えば、種まき。研究所では、稲が育った時に歩きやすく、除草作業が楽になるからと、一列に植える「条植え」を勧めていた。しかし、現地の農家のように種を一面にばらまくやり方をすると、稲が隙間なく育ち、雑草が生えにくいというメリットもある。また、まっすぐに植えるには、ひもを張って作業する必要があり、そのために人を雇う経済的負担も大きかった。山崎さんは、農家と話して理由や事情も知った上で、「こうしたほうがいいよ。なぜなら…」と説明することを意識するようになった。そして「農家の人たちにはなぜその方法がいいとされるのかきちんと説明しますが、それを押しつけることはしないように気をつけています」。

受け継がれる取り組み
農家を回ってインパクトを実感

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聞き取り調査のため近隣農家を訪ねる山崎さん

   農家を訪ねるようになって、実感したことがある。それは、これまで稲作栽培の分野に携わってきた隊員が残したインパクトだ。隊員から直接指導を受けて稲を条植えしている農家もおり、人によっては隊員の名前をしっかり覚えていたり、隊員からもらった写真を飾っていたりもする。

「私が堆肥についての研修をしたいと話すと50人くらいの農家が集まってくれました。これも、これまでの隊員たちが良い結果、良い印象を残してくれたからだと思います」

   米作り協力の拠点、ウガンダには、米作りに関わる隊員による「コメ分科会」があり、コロナ禍以前の隊員がまとめた「コメ隊員お助けブック」も受け継がれている。その中では、「農家も忙しいことを理解し、訪問時はできるだけ時間を取らないように」「ジュースなどの手土産を持参する」「少しでもいいので現地語を覚えていく」など実践的な留意点も紹介されていて、派遣前の山崎さんや他国の隊員たちも参考にしてきた。

   今、山崎さん自身も野菜隊員やコミュニティ開発隊員らと定期的に集まり、分科会活動に取り組んでいる。目下、コミュニティ開発など米作りが専門ではない隊員が稲作技術の普及に関わる際、農家にわかりやすく教えられるように、稲の植え方や栽培の仕方についての動画を製作中だ。

   さらに残りの任期に向けては、配属先の近隣農家と共に収穫後の稲わらと鶏ふんを混ぜて堆肥を作る試みを進めている。「化学肥料だけを使い続けた場合と、堆肥も使った場合では、将来的な土の肥沃度が違っていきます。研究所で8年ほど比較栽培を行っている圃場があり、葉の色から違いは一目瞭然です」と山崎さん。まずは近隣の稲作農家に研究所に来てもらい、実際に違いを見せたり、堆肥について学んでから堆肥の作り方の研修に参加してもらったりしているが、実施してから成果が見えるのは数年後だ。それでも自分の活動が将来に続いてくれればとの思いで、取り組みを続けている。

ソロモンで見た「見守り社会」をモデルに
地域で中高生の居場所づくり

太田蒔子(旧姓 服部)さん
太田蒔子さん

(旧姓 服部さん)

ソロモン/青少年活動/2017年度4次隊・千葉県出身

両親が共に協力隊経験者で、当時の隊員仲間が家に来るなど、協力隊が身近な環境で育った。大学卒業後は図書館業務に関わる企業で勤務する中で、「何か新しいことをしたい」との思いから協力隊に現職参加。帰国・復職を経て、青少年のための居場所づくりに取り組もうと退職してNPOのプログラムに参加。2023年から中高生の居場所「ナッツアップ?」の運営を始め、24年に一般社団法人子どものみらい開墾社を設立。

識字率向上を目指して
図書館の活性化に取り組んだ隊員時代

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ソロモンでの隊員時代。学校図書館の整備を手伝ってくれた子どもたち

   現在、故郷の千葉県八街市で中高生の居場所をつくる活動に取り組んでいる太田蒔子さん。その原点は、協力隊時代の経験にあった。

   配属されたのはソロモンのイザベル州教育局。「識字率向上を目的にした読書推進」という要請だったが、多くの小さな島で構成されるソロモンは「海が道路」という環境である。自由にボートを使えるわけではない太田さんには、教育局のある州都ブアラから移動できる場所は限られていた。

   そこで太田さんが取り組んだのは、教育局と同じ建物内にある小さな公共図書館を充実させ、会議などで教育局に来る各地域の小学校長らに図書館の様子を見てもらうこと。まずは乱雑に置かれているだけだった本を分類・整理し、「今月は植物に関する本の特集」など毎月のテーマを決めて展示したり、好きな本を選んでゲーム感覚で書評の競い合いをする「ビブリオバトル」を毎週開催したりした。

   さらに、日本で勤務していた企業に寄付を依頼して新しい本を購入すると、利用する子どもは大きく増えた。校長たちから「我が校でも取り組みたい」と教育局に要請がでて予算がつくようになるなど、取り組みが実を結ぶように。

「ソロモンの地方部ではテレビやインターネットが未普及なので外の世界を知る機会が少なく、見たことのないレンガの建物やスポーツカーの写真が載った本を、子どもたちが目を輝かせながら食いつくように見ているんです。そういう面白いものが図書館にあると教えられたことは良かったと思います」

   そして、活動の中で州都以外の地域を訪れる機会も徐々に増えていく中で、ソロモンの社会環境に魅力を感じた太田さん。

「伝統的な村社会で、コミュニティの大人たち全員が子どもを見守って育てているのはすごく良い環境だと感じました。古き良き時代の生活という印象で、これを日本で再現したいという思いを頭の片隅に置いて帰国しました」

帰国後、日本の子どもに向けて活動
「話を聞く」を基本に居場所づくり

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ナッツアップ?では特にプログラムは設けず、遊んだり自習したりと自由に過ごせる

   帰国後は復職して2年ほど会社員として働いた太田さんだったが、退職して教育系NPOによるユースセンター立ち上げのための起業プログラムに参加。同NPOが運営するセンターの一つで働きながら、ノウハウを学んだ。半年ほどたった頃、JR八街駅に程近い建物を提供してくれる人が見つかり、中高生たちの居場所として「ナッツアップ?」をオープンしたのが2023年4月のことだ。

   現在、ナッツアップ?は週3回開所している。「元々、あまり対象を絞らず単に中高生向けのフリースペースとして開放するつもりだったのですが、実際に運営を始めてみると、家庭環境の問題など、さまざまな課題を抱えた子が多くやって来ました」。

   例えば、親の再婚相手と合わない子や、きょうだいたちの世話に追われるヤングケアラーなど、家で居づらさを感じ、やがて学校でも浮いた存在として居場所を失ってしまった中高生たちだ。ナッツアップ?の開所時間中は自習をしたりボードゲームをしたりと自由に過ごすことができ、太田さんやスタッフが常駐して不安に思っていることや悩み、家庭や社会への不満などに耳を傾けることもする。

「誰かと話すことで憂さ晴らしになる子もいます。私たち大人はあくまでも見守りの立場で、話を聞くのが基本ですが、深刻なケースの場合には、行政機関につないで対応したこともあります」

   また、栄養のある食事を十分に食べられていない子がいることから、同じ建物内に入っているカフェの協力で、手作りの冷凍おにぎりと野菜スープを自由に食べられるように用意している。費用は、子ども食堂向けの助成金を受けて賄っている。

「一番つらく感じるのは、来ていた子が居場所の外で問題を起こしてしまった時」と太田さんは言う。

「根は良い子でも、そういうことがあると彼ら自身も傷つきますし、周囲の見方が一層厳しくなってしまいます。そうならないようにと、この場所をやっているつもりなのですが…」

助成金に頼らない取り組みへ
「BLUE」で起業やビジネスを学ぶ

世界と日本を変える力
午前から午後にかけては学校に行けない中高生を受け入れ、15時以降は、中高生全般に開放する

   現在の大きな課題が運営資金。やって来る子たちの間に利用料を払える、払えないという格差を作らないようお金は取らず、運営資金はほぼ助成金で賄っている。しかし、それがいつまでも続くものではない。別の形で収入を上げ、運営を回していかないと、と考えている時、協力隊経験者向けの起業支援プログラム「BLUE」を知り、参加を決めた。

「BLUEでは、同じようにビジネスの立ち上げに関心のある仲間と出会い、長年ソーシャルビジネスに携わっているプロから3カ月間、起業に必要なノウハウをみっちり学ぶことができました。どうしてその活動をやりたいのか、本当にニーズはあるのか、実際に成り立つのかなどを考えて事業計画を作るところまで伴走してもらうことができました」

   BLUEで考えた事業は、高校を卒業してすぐ就職を希望する生徒が就職先とのミスマッチを極力避けられるよう、インターン体験などを通じて企業を知るプログラム。学校や教育委員会、人材を確保したい企業などの費用負担で実施する仕組みで、この事業収益を、ナッツアップ?の運営事業にも活用しようと考えている。目下、25年の実現を目指して準備を進めている。

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夏休みの流しそうめんイベントのため、竹林のある家に頼んで竹を切る。企画は子どもたちの自主性に任せて、必要な時には大人が関わるようにしている

「ナッツアップ?に来ている子も就職のことは大いに関心があるはずですし、この場所を利用して企業とのマッチングなどのイベントを行うこともできるでしょう。両事業が相互に関わっていくことになると思います」

   帰国後の社会還元に向けた道筋として、再び海外を目指すことも有力な選択肢だが、「日本国内でも、途上国と同じように困っている人がいて、やりがいのある活動があります」と話す太田さん。「私の最終目標は、ソロモンの村のような見守り社会をつくること。これから取り組みが拡大していろいろな世代がこの場所を利用するようになった時も、子どもたちが居場所を見失わないように、ということを忘れずに続けていきたいです」。



Text = 三澤一孔 写真提供=山崎るうなさん、太田蒔子さん