ベトナム/番組制作/2021年度1次隊・石川県出身
金沢大学卒業後、石川テレビに入局し、報道記者として勤務。2018年『南京の日本人』でFNSドキュメンタリー大賞優秀賞受賞。21年9月から同局を休職し、協力隊に参加。ベトナムテレビ(VTV4)の日本語情報番組「ジャパンリンク」の制作に携わる。23年10月より復職。
過去の山本さんの記事へ(クロスロード2022年10月号P4)
※PDFがダウンロードされます
勤続16 年のテレビ局を休職しベトナムへ
逆境の中にあるテレビ界で協力隊経験を新たな価値創造の原動力に
現職参加した山本岳人さんの場合
「地元とテレビ局をなんとかしたい」との一心で16年勤めた石川テレビ放送(以下、石川テレビ)を休職し、協力隊員としてベトナムに渡ったのが山本岳人さんだ。
地域への貢献を志して新卒で石川テレビに入社した2005年、アメリカでYouTubeが誕生し、その3年後にはiPhoneが日本に上陸。あっという間にSNS時代が到来して、テレビ業界を取り巻く現状に危機感を抱くようになっていったと振り返る。
「仕事は充実していたものの、入社5年目にはこのままではテレビ局はどうにもならないと感じ始めました。県の枠を越えて人々の役に立つことにチャレンジしていかなければ取り残される。新しいメディアを巻き込み、海外の中でも石川と関わりの深い国との橋渡しができないか、などと漠然と考えるようになりました」
報道記者として多忙な日々を送りつつ、長期休暇には積極的にアジアに出掛け、新規事業の可能性を探った。そんな中で着目したのがベトナムだ。県内に住む外国人の中でベトナム人の割合は最も多く、年々増加していた。しかし、在日ベトナム人向けの情報は質・量ともに足りているとは言い難い。時を同じくして、ベトナムで「番組制作」に携わる協力隊員の募集を知った。「会社を辞めることなくベトナムに行き、帰国後はその経験を社会還元につなげることができる。これは自分のやりたいことと親和性が高いと感じました」。
しかし協力隊に参加するとなれば、派遣前訓練も考慮すると2年間の休職が必要となる。部署の中堅として活躍していた山本さんが抜けるのは組織にも痛手に違いない。山本さんは会社の理解を得るために入念に準備をし、意を決して社長室をノックした。
「ところが、詳しく説明する前に『 いいんじゃない、行っておいで』とあっさり言われて、拍子抜けするほどでした。会社も、何か新しい試みが必要だと感じていたのだと思います」
とはいえ、休職制度が整っていたわけではなく、派遣中の給与や社会保険料のことなど、条件を上司や総務部と相談しながら決めていった。2年後に復職
できるという条件で、休職期間中は無給となったが、「有給だと、気軽に志望
する社員が増えてしまう恐れがあるので、結果的にはよかったと思います」。
一方、家庭においてはすでに幼い子どもが2人いて、19年には3人目が誕生したばかりだった山本さん。
「妻には面と向かって反対されたりはしませんでしたが、単身ベトナムに行けば彼女にすべての負担がかかります。なぜそこまでして行かなければならないのか、自分がベトナムに行くことで家族に何のメリットがあるのか、丁寧に説明しました。『生涯年収を3倍にする!』と約束し、その宣言の結果は今も見守ってもらっている最中です(笑)。腹を括って送り出してくれた妻には感謝しかありません」
最初の受験で合格したものの派遣先がベトナムではなかったために辞退し、2回目に受けた19年の秋募集で念願が叶った。コロナ禍による待機を経て、ベトナム・ハノイの地を踏みしめることができたのは21年9月のことだ。
「ベトナム語の発音には苦労しました。ベトナム語は6つの声調があり、声調が違うとまったく意味が通じないのです。中学生の時に受けた英検3級を持っていただけの自分には本当に大変で、赴任後もひたすらYouTubeを見たり、言語交換アプリ『Hello Talk』でネイティブの人と会話したりと学習を続けました」
任期中は、ベトナムテレビの日本語情報番組「ジャパンリンク」のアドバイザーとして番組制作に携わったが、番組の認知度を上げるための試みとして活用したのがTikTokだ。最初はフォロワー数が伸びず試行錯誤したが、山本さん自身がハノイの街でローカル飯を食べるという動画が人気を博し、最終的に自らがインフルエンサーとしてフォロワー53万人を超えるまでに。
「謎の日本人が一生懸命ベトナムに溶け込もうとする姿がウケたのだと思います。予定調和的なことはせず、純粋に感じたベトナムの魅力を伝えることに徹しました」
帰国まで半年を切る頃になると、社の総務部と連絡を取り合い復職について話し合った。「インフルエンサーとしての価値や経験を帰国後にどう生かすのがいいか考え抜き、国内外にいるベトナム人に向けて日本の魅力を発信していくことに決めました」。
帰国後に配属されたのは営業局営業部。CMセールスを担当しながら、石川県や地方の自治体・企業の情報をベトナムに届ける「ベトナムドウガ」という総合サポート事業を立ち上げた。また、能登半島地震の際には被災した在住ベトナム人の取材に力を入れ、その取り組みから派生して、日本とベトナム双方の国について発信するJICA・石川テレビの共同プロジェクトにも携わっている。
「思い切って休職してベトナムに飛び込んだからこそ現地の人と同じ目線に立つことができるようになりました。その経験を、日本とベトナム双方が幸せになれる関係づくりに生かし続けたいと思います」
赴任から半年間はコロナ禍のため外出もままならず、語学勉強やKindleでの読書ばかりしていました。その反動でコロナ明けからは隙あらば外出してローカルフードを楽しみ、それをひたすらTikTok動画にしていました。
現地の買い物事情任地が首都ハノイの真ん中で日本のチェーン店も徒歩圏内にあったため、何でも手に入る環境でした。むしろユニクロのTシャツは日本で買う方が安かったので、一時帰国の際に日本で買い込みました。
現地のテレビ局での制作支援や改善提案、映像専門学校での指導など、番組・映像の制作に関わる活動を行う職種。山本さんの場合、国営のVTV4で放送されている日本語番組「ジャパンリンク」のアドバイザーとして取材のサポートや原稿の添削、収録の進行のほか、番組の知名度向上のための広報に力を入れた。
現職参加とは仕事を辞めずにJICA海外協力隊に参加することで、所属先の制度と承認に基づいての参加となる。公務員と民間企業などで異なるため、自身の所属先の制度をよく確認すること。現状、無給休職での参加が多くなっているものの、有給での参加が認められる場合もある。なお、教員の場合は、一般公募に加えて、現職教員特別参加制度での応募の機会がある可能性もある。
Text=秋山真由美 写真提供=山本岳人さん